14

 そう言って、万妃は私の横を通り過ぎる。その後を追いかけながら、私は先ほど頭に浮かんだ言葉を何も考えずに発していた。


「万妃はなんだか吸血鬼、の、お姫様みたいだね」


 吸血鬼みたいだね、と言いそうになったところを誤魔化す。いや、全く誤魔化せてはいないんだけど。それでも単に吸血鬼、なんて言うのは失礼だと言葉にしてから思い直して。

 なんだそれ、という呆れたような言葉が返ってくると思っていた。きっと万妃は、私には何も教えてくれないだろうと思っていたから。けれど。


「お姫様じゃないけど、吸血鬼はあながち間違いでもないぜ。けど、ちょっと違うな」


 返ってきた言葉は、否定ではなかった。


「アタシは吸血鬼を喰らった者の末裔なんだよ。吸血鬼の魔喰い。それがアタシの正体だ」

「……魔喰い」


 そ、と万妃は頷く。その声は心なしか落ち込んでいるような、暗いような。


「……それって、なんなの?」


 なるべく自然な言葉を選ぶ。万妃を刺激したくなくて、私の気持ちを悟られたくなくて。言葉選びは間違っていなかったのか、万妃は気にした様子もなく魔喰いについての説明を始めた。


「魔喰いってのは簡単に言えば人外の化け物を喰った人間、及びその末裔のことだ。まあ、そのまんまだな。魔を喰った者」

「化け物なんて、食べられるの?」

「喰う人間がいたんだよ。人間は好奇心旺盛な生き物だからな。別に何もおかしな話じゃない。だってそうだろ。毒のあるものや害獣とされるもの、色んなものを食べて人間は生きているんだから」


 それはそうだ。他の動物たちが食べられないようなものだって、さまざまな工夫を凝らして食べてしまう。あの手この手で色々なものを食べようとしてしまう。なら、化け物を食べることだっておかしな話ではない。


「ま、喰ったやつには代償があるんだがな」


 はあ、と万妃は重たいため息を吐いた。


「魔喰いには祝福と呪いって能力があるんだ。喰った存在から与えられた祝福とも取れるし、喰った存在に呪われたとも取れる能力。どっちが正しいのかは、ま、それを持つアタシたちが判断することなんだろうな」


 こちらに背を向けているため、万妃の表情は見えない。それでも複雑な気持ちでいるのだろうということだけはわかる。


「アタシのそれは吸血鬼に関するものだ。もう見たからわかると思うけど、アタシは自分の血液を自由に操れる。槍以外のものにもできるし、液体の状態のまま動かすことだってできる」


 さらさらと自分の能力について話す万妃。一見何も感じていないようにも見えるけど、それはきっと違う。なんとなく、万妃にとってそれは祝福なんかではないのだろうと……それはきっと誰にとっても、私にとっても……ただの呪いなのだろうと、そう感じられた。


「それ以外にも、血液を摂取すればこの身体は強くなる。強くなるだけじゃない。血液がある限り、アタシは死なない。たとえ大怪我をしたとしても、身体の中に血液さえ残っていれば治っちまう。ま、そもそもの体質として死ににくいし、老いるのも人より遅いんだがな」

「それ、って」


 ああ、と万妃が頷いたのが目に入った。


「擬似的な不老不死、ってやつだ。それでも、その体質を維持するためには血液を摂取し続ける必要がある。普通の人間でも魔喰い同類でも構わない。なんなら、動物でも」


 ——それは。


「ああ、安心しろよ。普段は管理機関の方に血液を用意してもらってるから、誰彼構わず襲ったりすることはない。ま、血液がなくなったって死ぬだけだ。他の誰かを襲うなんてことはしないよ。ただこのまま、魔喰いのまま生きていたいなら血が必要なんだ。……生きるために、アタシは他人を消費している」


 それは——。

 万妃がわずかにこちらを振り返った。そうして少しだけ悲しげな顔で、口元を無理矢理歪める。不恰好な笑顔が、胸に突き刺さった。


「驚いたか? アタシは正真正銘化け物なんだよ。だから」

「万妃は、化け物じゃないよ」


 万妃の足が止まった。アメジストの瞳が見開かれる。


「だって化け物なら、罪悪感なんてないはずだよ。誰彼構わず襲って、みんな殺して、それでも笑っていられるなら確かに化け物なのかもしれない。でも、万妃はそうじゃないでしょ。私は万妃のこと、よく知らない。でも万妃が化け物じゃないってことくらいは、わかるよ」


 それに本当の化け物は、生きるためなんて理由で人を喰べない。もっと酷い理由。ただそこに喰べられそうなものがあったからとか、ただ喰べることが楽しいとか。本当なら喰べなくてもいいのに喰べるような存在こそ、化け物と呼ばれるべき存在なんじゃないだろうか。


「自分に近づくべきじゃないって、万妃は言いたいんだよね。忠告したいから、万妃はわざわざ、本当は話したくないことを教えてくれたんでしょ」


 私の問いかけに、万妃は目を逸らした。


「ありがとう、万妃。でも」


 それでも私は、やらなきゃいけないことがある。そのために万妃の力が必要だ。

 それでも私には、償わなければならない罪がある。そのために、万妃の力が必要なのだ。


「でも、私はもう決めたから。だからこれからも万妃に協力するし、万妃にも私に協力してほしい。言ったでしょ、私たちはパートナーだ、って」


 それはただ、自分の願いを叶えるための言葉。本当は万妃の気持ちなんて何一つ考えていない、自分勝手なワガママ。それでも、ここで万妃から離れるわけにはいかなかった。

 ぐ、と万妃の両手が握りしめられる。どこか泣き出しそうな顔で、万妃は口を開いた。


「…………かなめはさ、吸血鬼に襲われた人間がどうなるか、知ってるか?」


 唐突な質問に首を傾げる。たしか、吸血鬼に襲われた人間はその吸血鬼の眷属になる、というのがよくある話だったはずだ。

 それが一体どうしたのか。訊ねようとして、万妃の言いたいことがなんなのか、思い至ってしまった。

 私の表情でそれを察したのか、万妃は作り笑いを浮かべてくるりとわたしに背を向ける。


「ああ。かなめの考えてる通りだよ」


 そうして少しだけ早足で、表通りに向かって歩き始めた。


「アタシの能力の一つに、血を吸った相手を眷属化することができる、ってのがある。正確に言うと血を与えた相手の眷属化。血を吸う時にこちらの血液を流し込むことで相手を眷属にする、ってのが主流だったから、血を吸われた相手は眷属になるって言い伝えが残ってるんだ。ただ事故でもそういうことが起きる可能性はある。だから普段はそうなることがないように、あらかじめ採取しておいた血液を摂取してるんだ」

「そ、っか」


 なら、この考えは間違っているはずだ。だって万妃は誰の血も直接吸っていないと言っている。それならそんなことが起きることは、ないはずだ。そう思おうとしたところで、万妃が少しだけこちらに振り向いた。鋭い視線。私が逃げることを、許さないような目。


「何が言いたいか、わかってるだろ」


 その言葉に、心臓がどくりと脈打つ。

 万妃はまた、正面を向いてしまった。


「アタシの血を与えられた存在はグールと呼ばれるものになるんだ」

「グールって」


 ああ、と万妃は頷く。


「今この街に出没してるグールたちは、間違いなくアタシの血を与えられた元人間だ」


 そう、あっさりと万妃は自身が今回の事件の原因であることを認めた。


「……本当に?」

「ああ。直接アタシが操ることはできなくても、アタシの支配下になくても、それでもアイツらがアタシの眷属だってことくらいはわかる。その程度の繋がりはあるんだ。ま、できることはアイツらの気配を探ることだけ。アイツらがアタシの眷属だってことがわかることだけだけどな」


 万妃は乱暴に頭を掻いて、あー、とどこか言いづらそうな様子で言葉を続ける。


「でも、だな。アタシが直接アイツらに血を与えたわけじゃないっていうか、アタシが犯人なわけじゃないっていうか」

「どういうこと?」


 私が訊ねると、万妃はちら、と私に視線を向けた。けれどすぐに、気まずい様子で目を逸らしてしまった。


「その、だな。何年か前に、血液を大量に奪われたんだよ。何年前だっけな。あー、十年くらい前、か? で、今回の犯人はおそらくソイツだ。アタシの血を持ってるやつなんて、ソイツくらいしか思い当たる存在がいないからな。だから多分、ソイツが今この街の人間たちをグールに変えて行方不明事件を起こしてるんだ、ってアタシは考えてる。ま、親玉ってやつか」


 万妃は自分が犯人なわけではない、と語る。それはきっと、本当のことだろう。万妃がわざわざ嘘をついているとは思えないし、何より万妃は誰かを傷つけたり酷い目に遭わせたりするような性格じゃない気がする。そうでなければ、私を助けたりなんてしない。そもそも今回の事件を解決しようともしないだろう。


「でも、そんなのは言い訳でしかない」


 頭を掻いていた腕を下ろして、万妃は重たいため息を吐く。


「アタシは確かに犯人じゃない。けど、原因ではある。他の奴らからすれば、この街の人間たちからすれば、アタシが犯人みたいなものだ。この事件が起きた責任は、アタシにある。だから」

「それは違うよ」


 思わず否定の言葉が口からこぼれる。万妃は視線を上げて、私を見つめた。


「血を取られたのも、今それが原因でグールが発生してるのも、どっちも万妃のせいじゃないよ。こんなの、ただの事故でしょ」


 何も悪くない、とは言えなかった。だって、この街の人間からすればきっと万妃は悪だから。だから、事故だなんて言葉で誤魔化した。でも、事故だとしても万妃が加害者であることは間違いないのだろう。実際に大勢の人が傷ついている。傷ついているどころか、亡くなっている。たくさんの被害者がいるのに、軽々しく事故だから、なんて言うのは、それは、誰のための言葉なのだろうか。万妃はそれをわかっているから、責任は自分にあると言った。この言葉は、慰めなんかじゃない。事故だということにしたいのは私。私は私のために、無責任な言葉を吐いただけだ。

 ぱっと周囲が明るくなる。気がつけば、表通りに辿り着いていた。白い街明かりに照らされた万妃は、弱々しい笑みを浮かべて小さく頷く。


「そう、だな」

「……うん。万妃のせいじゃないよ。その証明のためにも、早く事件を解決して犯人を捕まえないと」


 ね、と声をかける。万妃は少しだけ悲しそうな様子で、けれどもどこか嬉しそうな顔をして再び私に背を向けて歩き出した。


「ああ、そうだな。そんなやる気満々なかなめに、パートナーとしてお願いがあるんだが」

「! なに⁈」


 パートナーと呼ばれたことが嬉しくて、思っていたよりも大きな声が出てしまった。万妃はそんな私の様子がおかしかったのか、はは、と笑みをこぼして私へのお願いを口にする。


「さっきの、かなめの後輩のことだ」


 その言葉にハッとする。グールに気を取られていたけど、あの後どこにも可憐ちゃんの姿はなかった。どこかに抜け道があったのか。それとも、飛び越えられそうもない壁を飛び越えたのか。


「どう考えても怪しいからな。できる範囲で探ってみてほしい」

「うん、わかった。任せて」


 自然と口元が緩む。万妃が私を頼ってくれた。パートナーだって言ってくれた。認めてくれた。それだけで、正直今すぐ駆け出してしまいたいぐらいには嬉しくなっている。

 万妃は私の喜びを知ってか知らずか、どこか柔らかい雰囲気を纏って歩いていた。

 白い明かりに包まれていたビル街を出て、ぽつりぽつりと街灯の並ぶ夜道を進む。今夜はこのまま解散だろうか。


「もういいの?」


 退治したグールは三匹。明日の予定も決まったけど、これで終わるのも何だかな、という感じ。そう思って訊ねたのだが、万妃は呆れた様子でため息混じりに言葉を紡いだ。


「あのなあ。アタシは問題ないけど、かなめは普通の人間だろ。明日だって学校があるじゃないか。真面目な優等生さんに、居眠りや遅刻なんてさせられない」

「……私、真面目でも優等生でもないよ?」

「そうか? 授業は真面目に受けてるし、無遅刻無欠席。おまけに委員会やボランティア活動までしてる。十分すぎるくらい優等生だろ」


 可憐ちゃんに言われたことと似たようなことを、万妃にまで言われてしまった。私はただ、そうしなきゃいけないからそうしているだけなのに。


「……まあ、万妃に比べればそうかもね」


 そうそう、と万妃は私のマンションがある方へと進んでいく。ビル街からは随分と離れてしまっていた。


「一人で大丈夫なのに」

「グールが出るかもしれないだろ。そうじゃなくても、女の子が夜に一人で出歩くなんて危ないんだから」


 いつも周りなんてどうでもいい、みたいな顔をしているくせに、万妃は意外と世話焼きみたいだ。わざわざ私なんかの心配をしてくれるなんて。でも万妃だって女の子でしょ、なんて言いそうになるのを飲み込む。万妃は強いから、きっと一人でも大丈夫なんだろう。


「ああ、そうだ」


 と、万妃がくるりと振り向いた。


「学校ではなるべく話しかけるなよ。優等生が不良と仲良くしてるのは良くないからな。けど、帰りは一緒に帰ること。今後のこととか五年前のこととか、話したいことがあるからな」

「うん、わかった」


 頷いたところで、万妃の足が止まる。

 目の前には見慣れた忌まわしい建物。あっという間に、別れの時間が来てしまった。


「よし、と。じゃあな、かなめ」


 すっと万妃は私から離れて来た道へと戻る。


「うん、また明日」


 そう声をかけると、万妃は一瞬だけ驚いたような顔をして、そうして小さな声でまた明日、と呟いた。

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