13

 長い金の髪の毛が、ビル街の白い光に照らされて揺れる。周囲を警戒しているのか、その後ろ姿は緊張感に満ちていた。

 万妃の後ろを、距離が離れないよう気をつけながら歩く。ちらりと、万妃がこちらを振り返った。


「何か気になるもの、見慣れないものがあったら言え」

「わかった」


 私の返事を聞いて、万妃はまた正面を向いてしまった。

 夜のビル街はなんだか非現実的な空間だ。普段あまりビル街の方に来ることがなかったし、ましてや夜にここを歩く機会なんてこれまでなかったからだろう。

 暗い夜空に溶けるように、長方形の建物が規則正しくずらりと並んでいる。暗闇には点々と、白く四角い光が浮かんでいた。

 道のそばには背の高い街灯と街路樹が等間隔に並んでいる。緑色の葉が、ざわざわと風に吹かれて揺れていた。

 人通りはあるものの、みな顔を下に向けたまま早足で通り過ぎて行く。そんな通行人たちは、なんだかゲームに登場するモブキャラを連想させる。

 きょろきょろと周囲を見渡しながら、万妃の後ろを歩く。今のところおかしなものは何もない。気になるものも特にない、と考えかけて、見切った姿が目に入った。道路の向こう。セーラー服に身を包んだ一人の少女が、ふらふらとした足取りでビルの隙間へと向かっている。


「万妃。あの子、うちの学校の子だよ」


 声をかけると、万妃は立ち止まってじっと少女を見つめる。


「知り合いか?」

「うん、愚裏ぐうら可憐ちゃん。同じ委員会の後輩なの」


 それにしても、昼間見た時とは随分と雰囲気が異なっている気がする。おぼつかない足取り。ふらふらとら揺れる身体。その姿はまるで食料を求めて彷徨うゾンビのよう、なんて。可愛らしい後輩に似つかわしくない想像が頭に浮かぶ。いけない。首を振って、馬鹿な考えを否定した。

 けれど、おかしいと感じたのは私だけではなかったらしい。


「なるほどな。けど、様子が変じゃないか? なんか、人間らしくないっていうか、言い方が悪いけどグールあいつらみたいっていうか。ちょっと追いかけてみようぜ」


 そう言うと、万妃は可憐ちゃんが入っていったビルの隙間に向かって歩き始める。横断歩道を渡ってその入り口に辿り着いた時には、可憐ちゃんの姿は見えなくなってしまっていた。

 ビルの隙間は暗い。先があるのか行き止まりなのかもわからない。地面は舗装されておらず、乾いた土の道が奥へと続いていた。

 万妃は暗くても平気なのか、すいすいと路地裏を進んでいく。万妃から離れないように注意しながら、私も奥へと足を進める。

 進めば進むほど周囲は暗くなっていく。表通りからどんどん遠ざかって、車の音も人の足音も聞こえなくなっていく。奥に行けば行くほど、水気を含んだようなじっとりとした空気になっていく。ああ、ここはなんだか、気持ちが悪い。

 万妃が立ち止まった。目の前には、背の丈よりも少し高い壁。


「行き止まり、だな」

「可憐ちゃんは?」

「さて、どこに行ったか。少なくとも、目の前の壁は普通の中学生が飛び越えられるようなもんじゃない。ま、今は後輩のことは放っておいたほうがよさそうだぜ」


 どうして、と言葉を投げかけようとしたところで、突然万妃がこちらに振り返った。何事かなんて聞く暇もない。万妃はさっと私に近寄ると、難なく私を抱き上げて目の前の壁から距離を取った。

 その直後。

 どさり、と重たい何かが落下した音。それも、三つ。

 私たちが先ほどまで立っていた場所に、白い何かが一つ。鳥の皮のような肌に頭から垂れる細長い髪の毛。指先や足先から伸びる爪は鋭く、何か紅い液体がべっとりと付着しているように見える。この姿には、見覚えがある。昨日と同じ化け物——グールだ。


「ちっ、囲まれたか」


 後ろを見れば、私たちが来た道の方にも二体のグールの姿があった。


「さて、今回の事件の犯人のお出ましだ」


 やはり、今回の行方不明事件はグールによるものであるということか。非現実的だ。ありえない。そんな言葉は思い浮かばない。ただ、どうしてという疑問だけは残る。一体彼らはどこから現れて、何のために人々を襲っているのだろうか。一体彼らの正体は、目的は何なのか。


「ま、こうなってしまったら仕方がない」


 万妃は私を下ろして、申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「見たくなかったら目を瞑っておけ。けど、この場から一歩も動くなよ。守りきれなくなるかもしれないからな」


 私が頷いたのを確認して、万妃は自分の腕に口を寄せる。何を、と。思った時にはもう、鋭い牙が白く柔らかそうな肌に沈み込んでいた。歯が刺さったところから、ぼたぼたと血液が零れ落ちる。腕から流れ出た紅い液体は、スルスルと形を変えて万妃の手に収まった。

 紅い槍が、夜の闇の中で鈍く光った。

 万妃が槍を構える。腕の傷はもう、塞がっていた。

 グールたちがゆっくりと私たちに近づく。ぺたり、ぺたりと地面に張り付くような足音。だらりと開いた口から溢れるのは紅色が混じった液体と低く地を這うような呻き声。万妃は一歩も動かず、ただグールたちをじっと見つめている。真っ黒な穴がこちらの様子を伺っている。じりじりと距離を詰めてくるグールたちの空洞は、万妃ではなく私に向けられているような気がした。

 グールたちが一斉に駆け出す。

 振り上げられた手が狙っているのは私。彼らの獲物は、どうやら私で間違いないらしい。

 万妃は槍をぐるりと回してグールと私との距離を開く。一匹が槍に引っ掻かれて短く悲鳴を上げた。わずかな隙を逃すまいと、万妃はその一匹目掛けて槍を投げる。紅い槍がずぶりとグールの腹に穴を空けた。ドーナツのようになったグールは、そのまま地面に崩れ落ちる。

 手ぶらになった万妃目掛けて残り二匹のグールが襲いかかった。万妃は慌てた様子もなく、右手で片方のグールの頭を掴んでもう片方のグールへと投げつけた。ごしゃり、という音と共にグールたちが地面に転がる。首の骨が折れたのか、グールの頭は思いっきり曲がっていた。けれどそれでもまだ生きているらしく、グールたちはゆらりと立ち上がって曲がっていた首を無理矢理元の形に戻す。ぼきり、ごきりと骨が折れたような音が路地裏に響いた。

 気がつけば、万妃の手には槍が握られている。いつの間に拾ったのだろうか。

 再びこちらに向かってくるグールたちを、今度は槍を用いて一直線に切り裂く。グールたちの喉元のあたり。一本の紅い線が暗闇に浮かんで消えた。切り裂かれた首から紅い液体が吹き上がる。グールたちの身体はぐらりと揺れて地面に崩れ落ちた。残ったのは砂のようなものだけ。それも、さあ、と吹いた風に飛ばされてなくなってしまう。もうここには、何もない。

 万妃は周囲を見渡した後、槍から手を離す。途端、槍はとろりと溶けて消えてしまった。

 ああ、やっぱり万妃には吸血鬼という言葉がよく似合う。鋭い犬歯に血液を操る能力。白い肌に金の髪。何もかもが、そのイメージにピッタリだ。

 もし。もし、吸血鬼なら。もしそうだというのなら。やっぱり、やっぱり万妃なら——。


「無事か、かなめ」

「あ、うん。ありがとう」


 お礼を告げると、万妃はふい、とそっぽを向いてしまった。軽く咳払いをして、万妃は再び周囲を見渡す。

「他にグールはいないみたいだし、あの後輩もいない。ここにはもう、用はないだろ」

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