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 ◇

 

 じっと、黒い瞳が万妃を見つめていた。

 その視線に気がつきながらも、万妃はかなめが目に入っていないふりをして鞄を肩にかける。かなめが話をしたがっていることはわかっていたが、何を話していいか、どう振る舞うべきかわからない万妃は早足で教室を後にした。

 昨日の出来事を考えれば、万妃の反応は当然のものだろう。楽美によって、万妃の目的がかなめの監視であったことが本人にバレてしまった。その上で昨日までと変わらずパートナーとして振る舞うなんてことは、万妃にはできない。できなかった。一体どんな顔をしてかなめの隣にいればいいというのか。

 かなめの疑いは未だ晴れていない。かなめが五年前の事件の犯人であるという確かな証拠はまだない。それならば適当に誤魔化して、これまで通り監視を続けるべきだ。そう頭ではわかっているものの、万妃の心はそれを許さない。そんなのは誠実じゃない——そもそも監視目的で、証拠を見つけるために手を組んだ時点で、誠実なんて言葉と自身が程遠いことは理解しているが。

 知らず知らずのうちに、万妃の目は吊り上がっていく。

 やはり嘘をつくべきだったか。かなめが犯人であると言い切ることはできないものの、現時点でもっとも怪しい人物であるということに違いはない。怪しいどころか、正直に言ってしまえば万妃はかなめこそが五年前の事件の犯人であると確信していた。当時の状況——目撃者はいないがカメラの様子や人々の証言から魔喰いが犯人であろうという見当はつく、そもそもあんな事件は人間には起こせないだろう。これまでのかなめの振る舞い——善人であることに拘っているのは事件を起こした罪悪感を消したいからじゃないのか、それだけじゃない、今回の事件を解決したいのだっておそらくは罪の償いのつもりなのだろう。そして、かなめの出自——彼女は、彼女の正体は。それらの要素から、万妃は五年前の事件の犯人はかなめであると推測していた。

 足音は乱暴に。無意識のうちに舌打ちをしたことに気がついて、しまったと周囲を見渡す。近くにいた生徒たちは怯えたように万妃から距離を取って目を逸らした。

 ため息を吐きながら、万妃は早足で学校を去る。自身が周囲によく思われていないことはわかっているし、そもそもよく思われたいなどとは思っていない。所詮は調査のための学校生活。この先高校生活なんてものも、その先の普通の人生もない万妃にとって他者の繋がりなんてものは無駄なものでしかない。それ以前に、擬似的とはいえ不老不死である自分は誰かと必要以上に関わるべきではないというのが万妃の考えだった。老いるのが人よりも遅い以上、他者と関わり続ければどうしたって途中で怪しまれる。自身が魔喰いであると明かしたところで、大抵の人間には理解ができない。理解できないだけならいいが、自分の仕事に巻き込んでしまう可能性だってある。万妃はただ他人のために、他者と関わりを持つことを避けていた。

 だから、かなめとの関係は万妃にとって特異なものだった。

 本来ならあり得ない関係だ。だって万妃は事件の調査員で、かなめは事件の容疑者。

 本来ならあり得ない時間だった。日常が続いたのなら、二人が関わりを持つことはなかったのだから。

 無駄な時間だと、言われてもおかしくはない。そもそもこれまでかなめを監視するだけに留めていた時点で非難されるべきことではあるのだが。

 それでも、と。

 昨日までの出来事を思い出す。

 最初にかなめを目にした入学式。ただじっと、何もせずに見つめ続けた二年間。同じクラスになったからといって、何をすることもなかったけれど。そして、あの日。助ける必要もないのに手を出してしまった夕方。もう関わるつもりはなかった。なのに、監視対象は話しかけてきた。今回の事件の解決をしたいと、そのために協力してほしいと。まさか五年前の事件の協力を申し出てくるとは思わなかったが。幼馴染を傷つけたくないという嘘ではない建前と、仲良くなりたいなんて馬鹿みたいな本心。事件のことを聞けば、淡々と話しながらもその裏では死にそうなほど思い詰めているのが感じられた。けれどもかなめは弱いわけではない。もう近づくなと忠告しようとすれば、パートナーだからと意思のこもった力強い瞳で見つめてきた。今回の事件の原因が自分にあると告げれば、それは違うと否定する。それは誤魔化しでしかなかったけれど、それでもその言葉に、態度に確かに万妃の心は少し軽くなった。意思は決して弱くはなく、その心は正しく優しい。可憐との出来事があった後は、彼女の言動や心情に思うところがあったのか、少し落ち込んでいるようだった。死にそうな顔で一日を過ごしていた理由は、それだけではないように思えるけれど。放っておいてもよかったのに、万妃はかなめを気分転換に誘った。何のためか。死なれたら困るからか。それもある。けれどもただ、友達と遊びたかっただけなのかもしれない。

 そこまで考えて、万妃は自身の口元が自然と緩んでいたことに気がつく。馬鹿なことを、と首を振る。自分にはそんな権利はないし、かなめをどうするべきかもいい加減答えを出さなければならない。情を抱くべきではないなんて、わかっている。

 けれども昨日の、ショッピングモールで過ごした時間が楽しかったことは事実だ。いや、あの時間だけではない。かなめと過ごしたこの三日間は、万妃にとって心から楽しいと、心地よいと思える時間だった。

 そのことが、万妃の意思を揺らす。まだかなめの処遇は決めていない。どうするべきか、決定権は万妃に委ねられている。ただ、見逃すという選択肢だけはなかった。

 自身の家へと向かう道を歩く途中、かなめのマンションが目に入る。一瞬目を細めて、すぐに万妃はその建物から目を逸らした。

 ……かなめのことは、後回しにしても問題ない。今はそれよりも、楽美と可憐をどうにかするべきだろう。

 優先順位を確認した万妃はよし、と静かに頷いた。

 吸血鬼もどきは、今夜も一人街に。

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