1/白い化け物
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それが事実かどうかは置いておいて、この中学校に通う生徒のほとんどはそう信じていた。
話しかければ睨みつける。授業中は居眠りをする。なんなら授業をサボっていることもある。それだけならまだしも、乱暴にドアを蹴飛ばしているのを見ただとか、電話をしながら舌打ちをしていただとか、街で大人を怒鳴りつけてしまいには殴っていたなんて話まである。
小柄で整った愛くるしい容姿。そんな見た目とはかけ離れた態度のせいか、この中学校で過ごすのも三年目になるというのに、いまだ誰も彼女とは親しくないようだった。
私がそんな彼女を初めて見たのは入学式の時。
平均よりも低い背に、触れれば折れてしまいそうなほど細い手足。するりと滑らかな陶器のように白い肌。歩くたびに揺れる長く色素の薄い金の髪の毛は、日の光を浴びてキラキラと輝いていた。長いまつ毛の下に佇むアメジストの瞳は気品を感じさせる。唇も魅力的で、口紅やグロスを塗っているわけでもないだろうに瑞々しい桃色をしていた。全体的に整ったパーツの中、少しだけ吊り上がった目は彼女の美しさを引き締めるスパイスのようで——。
ああ、まるでおとぎ話に出てくるお姫様。いや、お姫様と呼ぶには少し雰囲気が悪い。彼女の纏う空気は刺々しくて、けれどもどこか寂しげで、それは危ない夜のよう。なら、そう。お姫様という可愛らしい言葉の前に、吸血鬼の、なんて単語をつけるくらいがちょうど良さそうだ。
ともかく、そのどこか人間らしさを感じられない美しさと雰囲気に、私はずっと惹かれている。
彼女のことが気になる理由は、それだけではないのだろうけど。
一目見た時から話してみたいとは思っていたものの、一年生、二年生とクラスが一緒になることはなく、委員会や部活動といった接点もなかった。それが今年になってようやく同じクラスになれた。けれども彼女の纏う緊張感のある空気や周囲の目もあって、結局一言も会話をすることのないまま一ヶ月。
今日こそは、今日こそはといつだって思っているのに。
躊躇っている間に、時間はどんどん過ぎていく。時間が過ぎれば過ぎるほど、私の頼りない覚悟は揺らいでいく。だから、躊躇なんてしている場合じゃない。一刻も早く彼女に話しかけなければ。そうじゃないと私の願いはいつまで経っても——。
「かなめ、朝からなにぼんやりしてるの? 朝ごはん、ちゃんと食べた?」
気がつけば、前の席には不思議そうに私の顔を覗き込む幼馴染の姿があった。
ぼんやりとしていた頭を切り替えて、いつも通りの笑みを浮かべて秋菜の問いに答える。
「食べたよ。おはよう、秋菜」
私の返答に安心したのか、秋菜はニッと歯を見せて笑った。ショートカットの似合う快活な笑顔が、私には少し眩しい。思わず目を逸らしそうになるのをぐっと堪える。
「そう? ならいいけど。ま、かなめがご飯を抜くなんてありえないか」
そう言いながら、秋菜は手のひらをひらひらと振る。いつも通り、明るい雰囲気の秋菜。おかしなところも、いつもと違うところもない。その様子に安心しかけたところで、秋菜は手を下ろして少しだけ顔を伏せた。
その仕草に、自然と身体が強張った。
秋菜の纏う空気が、少しだけ落ち込んだものへと変わる。暗く、重たく、じとりとした雰囲気。落ち着いているように見える。冷静であるように見える。けれどその瞳は小さく揺れ動いていて、机の上に置かれた両手は固く握りしめられている。浮かべているのは悲しげな表情。些細な違和感だ。小さな変化だ。だけどそれらの全てが、秋菜の内心が穏やかではないことを表していた。……それらの全てが、私を後ろめたい気分にさせた。
彼女が何を話すつもりなのか。彼女が何を考えているのか。秋菜の表情が、仕草が、雰囲気が、私に答えを突きつける。
答えがわかるのは、もう一つ、今週末があの日だからという理由も、あるけれど。
「ねえ、そろそろあの日、だよね」
その言葉に、自然と呼吸が浅くなる。息苦しくて、思わずセーラー服の襟元を掴んだ。
「…………」
あの日。
それは五年前の、大量行方不明事件が起きた日のこと。秋菜の両親が、私の両親が、あのマンションに住んでいた多くの人たちが死んだ日のこと。できることなら思い出したくない、叶うのならば忘れたい、それでも絶対に覚えておかなければならない日のことだ。
毎年、秋菜はこの時期になると気持ちが少し不安定になる。事件のことを、両親のことを思い出すからだろう。昔はこの時期だけじゃなかった。例えばニュースで事件が取り上げられているのを見た時。例えば街で誰かが事件の話をしていた時。事件に関する情報や話題に触れると、秋菜はひどく取り乱してしまうことがあった。最近は落ち着いているけど、それでも完全に平気なわけじゃない。今でも事件に関係する話題が出ると、秋菜の様子は少しおかしくなる。
本当は自分から話題にするのだって嫌なはず。それでもこの時期が来ることは避けられない。完全になかったことにして過ごすことは、できない。
「今週末、お墓参りに行こうと思うんだ。かなめも、行くでしょ?」
「うん、そのつもり」
冷静に言葉を返す。冷たくなりすぎないように、けれども感情が必要以上に入らないように。
秋菜はそっか、と少しだけ安心したような様子でこぼした。秋菜の目はゆらゆらと揺れている。気をつけていなければ泣き出してしまいそうなのかもしれない。握りしめられたままの手には、さらに力が込められていた。
何か言葉を探すように黙り込んだままの秋菜。
その様子が、私の胸を強く締め付ける。きっと秋菜はまだあの事件を、両親の死を受け入れていない。彼女の心はまだ、あの日に囚われたまま。もしかしたらずっと、一生このままなのかもしれない。
「……まあ、私はさ、お墓参りなんてのは、違うって思うんだけど」
言いづらそうに、秋菜は言葉を紡ぐ。その言葉は、あの日から何度も聞いてきたものだった。
「だって、だってさ、死体は見つかってないわけじゃん。そりゃ、部屋に残ってたのはお父さんとお母さんの血だって、そう、言われたけど。でも、でもまだどこかで生きてるはずだって、遺体が、骨の一欠片も見つかってないんだからそうに決まってるって。かなめも、かなめだってそう思うでしょ?」
秋菜の言葉に、私は視線を机に落とす。その質問には答えられない。答えることが、私にはできない。
あの日のことを、あの事件のことを秋菜と語り合う資格は私にはない。
「……あのね、かなめ——」
ガラリと。
何かを言いかけた秋菜の声を遮るように、教室内に扉の開いた音が響く。その音が聞こえたのと同時に、先ほどまで雑談を楽しんでいたクラスメイトたちの声が消えた。
音がした方。顔を上げて、教室の出入り口に視線を向ける。
「…………」
そこにはたった今登校してきたばかりであろう血分さんの姿があった。不機嫌そうな表情を浮かべる彼女は、少しだけ眉をひそめて小さくため息を吐く。その態度に、数人のクラスメイトの肩がびくりと震えた。
「わ、私、自分の席に戻るね」
秋菜は小さな声でそう言って、さっと自分の席へと移動した。クラスメイトたちも、それぞれ解散して大人しく各自の席へと戻っていく。
それを見た血分さんは眉間の皺を深くして、
「…………ちっ」
小さく舌打ちをした。そのまま、仏頂面でずかずかと教室内に入る。クラスメイトたちは血分さんと視線を合わせないようにと、机をじっと見つめていたり、教科書で顔を隠したりしていた。血分さんは誰に視線を向けることもなく、黙って自分の席へと向かう。その途中。
「…………」
ちらりと、アメジストの瞳がこちらを向いたような気がした。
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