4/優しい一日

21

 等間隔に並ぶ扉の向こう。その先にもたくさんのお菓子が待っていることはわかっていた。廊下を歩くお菓子だけじゃ物足りない。だって少ししか落ちていない。これではとてもじゃないけど満足なんてできない。

 ふらふらと扉の前を歩く。すん、と鼻を動かすと、甘くて美味しそうな、良い香りが漂ってくる部屋を見つけた。

 ガチャリ、と躊躇なく扉を開ける。

 中に入ると、お菓子たちがテーブルを囲んで楽しそうにお話をしていた。この部屋のお菓子はクッキー。クッキーたちは優しくて、廊下ですれ違う私によく声をかけてくれていた。

 椅子に座ったクッキーたち。私に気がついていないのか、穏やかな雰囲気で談笑を楽しんでいる。邪魔をするのは悪いけど、美味しそうなのだから仕方がない。それに、お菓子は食べられるものだ。

 ぺた、と一歩踏み出す。足音で私に気がついたクッキーのうちの一つが振り返った。その一つを、摘んで口に放り込む。サクサクとした食感が心地よい。家族が食べられたことに驚いたのか、残り二枚のクッキーたちが慌てて椅子から立ち上がった。オロオロとした様子のクッキーたち。立ち止まっているから、簡単に捕まえることができる。もう一枚、ひょいと捕まえて口に運んだ。しょっぱくて美味しい塩クッキー。ざくざくと噛み締めていると、残された一枚のクッキーがこてん、と尻餅をついた。カタカタと小刻みに震えながら私を見つめるクッキー。一人取り残されて不安に思っているのだろう。可哀想だから、残さず食べてあげなくちゃ。拾い上げて、大きく口を開けてかぶりつく。歯を立てたところから、とろりと黒い液体が溢れて地面に落ちた。甘くてとろける食感。どうやらチョコチップが入っていたらしい。

 ごくりと飲み込んで、次の部屋へと向かう。

 次の部屋はケーキのお部屋。リビングには美味しそうなロールケーキとパウンドケーキが落ちていた。鼻歌まじりにキッチンでお皿を洗うパウンドケーキは、私の存在に気がついていない。ソファに座ってテレビを見ているロールケーキも、私に気がつかない。驚かせないように忍び足で近づいて、ソファに身体を預けているロールケーキに頭からかぶりついた。ぼとりぼとりと食べきれなかったクリームがソファに、床にこぼれ落ちる。勿体無いと掬い上げて舐めていると、ガシャン、とキッチンの方から大きな音。振り返れば、パウンドケーキは小刻みに震えながら私とまだ半分残っているロールケーキを見つめていた。パウンドケーキは震えながら床に崩れ落ちる。そのまま彼女は這いずるようにして、リビングの隣にある部屋の方へと向かっていた。それを見つめながら、残ったロールケーキを一口で頬張る。甘いクリームがべっとりと口の周りに張り付いた。ロールケーキを飲み込みながら、別の部屋へと向かったパウンドケーキを取りに行く。彼女が向かったのは寝室。パウンドケーキはガタガタと震えながら、ベッドの上で眠る小さなチーズケーキとショートケーキを起こそうとしていた。ゆっくりとした足取りで彼女に近づく。ぺたぺたと床に脚が張り付く音を聞いて、パウンドケーキが振り返った。それを、拾い上げて口に放り込む。ナッツ類のごろごろとした食感が楽しい。ごりごりと音を鳴らしながら、パウンドケーキを咀嚼する。ベッドの上の小さなケーキたちはまだ目覚めない。彼女たちは放課後、よくお外で一緒に遊んでくれたっけ。楽しい思い出が頭に浮かんで、ごくりと唾を飲み込んだ。口の中でしっかりと噛み砕かれたパウンドケーキを飲み込んで、ベッドの上のチーズケーキをそうっと取り上げる。端っこからぱくりと食べてみると、ぼとりと間に挟まれていたらしいクリームのようなものがベッドに落ちた。ぱくりぱくりと食べ進めていく。シーツはクリーム塗れでベタベタになってしまっていた。次にショートケーキに手を伸ばす。上に乗った苺をぷちりと摘んで口に運ぶ。噛むと中からたっぷりと果汁が漏れ出た。口の端からぽとりと溢れて、汚れたシーツをさらに汚す。私は気にせず残ったケーキを口に運ぶ。ふわふわとして甘いクリーム。手にも口元にもクリームがべったりとついてしまった。手についたクリームを舐め取りながら、私はまた次の部屋へと向かう。

 どんどんどんどん喰べていく。小さいマシュマロがたくさん転がっていた部屋。硬い煎餅が二枚寄り添って眠っていた部屋。羊羹が一つ、寂しく置かれた部屋。他にもビスケットに飴、モンブランにタルト。美味しいお菓子がたくさんお腹に入っていく。

 でも全部の部屋がそうなわけじゃない。嫌な匂いの部屋もあったから、そこには入らなかった。この部屋のお菓子はたしか、万引きをしているらしい。あの部屋のお菓子はたしか、騒音を出して周りのお菓子たちに迷惑をかけているらしい。そういうお菓子たちは腐っているから喰べられない。でも喰べてあげられないのが申し訳なくて、そんな部屋には花冠だけを置いて離れた。ちょっとしたプレゼント。お給料が増えるとか、力が強くなるとか、足が速くなるとか。そんな、ちょっとした良いことが起きる魔法のプレゼント。

 全ての部屋を回り終わって、自分の部屋に戻る。玄関を開けて中に入ると、リビングにはとびきり美味しそうなチョコレートが二つ。チョコレートたちはどこか憔悴したような様子で、たら、とコーティングを少し溶かした状態で椅子に座っていた。

 チョコレートたちは私が帰ってきたことに気がつくと、何かを喋りながら立ち上がる。でもごめんなさい。お菓子の言葉は今の私にはわからない。通じない。もしかしたら喰べてほしいのだろうか。なんて、自分に都合の良いように解釈をして片方のチョコレートに手を伸ばした。

 チョコレートたちから驚いたような雰囲気を感じ取ったけど、私の動きは止まらない。持ち上げられたチョコレートが何かを喚いている。でもわからないんだから、仕方がない。無視して口の中へ。取り残されたもう一つのチョコレートが悲鳴を上げた。ゆっくり口の中で転がすけど、チョコレートはなかなか溶けない。取り残されたチョコレートがまだ何か叫んでいる。まだ溶けないチョコレート。仕方がないから噛んでみた。ぷち、と音がして、中から何かがとろけ出る。ぼた、と口の端からそれがこぼれ落ちた。床に落ちた液体は紅い。私を見ていたチョコレートが、床に崩れ落ちた。甘酸っぱい味が口の中に広がる。ラズベリーのフィリングでも入っていたのだろう。

 ああ、とても美味しい。もう一つはどんな味なのだろうか。

 床に座り込んで茫然と私を見上げるもう一つのチョコレートを掴む。そこで、溶けかけていたコーティングがずるりと剥がれてしまった。


「——って、まって」


 チョコレートなんて、嘘。


「めて、やめて、かなめ」


 その顔は、見慣れたお母さんのそれで。

 ——ああ、これ、食べ物じゃない。


「ひっ、いや、いや、やめて、お願い、かなめ」


 なのに、私の手は止まらない。身体は勝手に動いて、チョコレートじゃないのにそれを、それを——。


「——あ」


 喰べて、しまった。

 吐き出したいのに、口は自然に動いてぷちりと呆気なく噛み潰してしまう。ごりごりというチョコレートには似合わない咀嚼音。酸っぱい液体が、口の中いっぱいに広がった。

 目の前には誰もいないリビング。床には、私の手には、寝巻きには紅い液体がべっとりと付着している。満たされたお腹に、自分が何をしたのかを理解して急速に冷えていく頭。

 正気に戻ったってもう遅い。

 ああ、私が喰べていたのは——。

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