22

 ぴり、と袋を破いてマシュマロを取り出すと、万妃は躊躇うことなく白くふわふわとしたそれを口に運んでもぐもぐと食べてしまった。

 私の部屋での作戦会議、という名のティータイム。放課後の楽しいひととき、のはず。けれども私の頭には今朝見た夢がこびりついて離れない。お菓子を食べるのはいつも義務感から。食べることは、好きじゃない。苦痛だ。本当は食べたくもないお菓子。それでも空腹になるわけにはいかないから、無理矢理チョコレートを口に押し込んだ。


「かなめ、本当に大丈夫か? 今朝からずっと顔色が悪いぞ」


 万妃はマシュマロを飲み込んで、心配そうな様子で私の顔を覗き込む。アメジストの瞳が真っ直ぐに私を見つめる。その優しい視線がなんだか痛くて、私は目を逸らしてしまった。


「うん、平気だよ。ちょっと嫌な夢を見ただけだから」


 だから平気、と笑顔を作る。万妃は何か言いたそうにしていたけど、そうか、と納得したふりをしてくれた。


「それより、これからどうするの?」


 昨日はあの後お開きになってしまった。マンションまで送ってくれはしたけど、今後のことも可憐ちゃんのことも何も話せていない。

 今日改めて可憐ちゃんと話したかったけど、残念ながら可憐ちゃんはお休みだった。昨日の今日。私とも万妃とも顔を合わせたくなかったのかもしれない。

 伴場先生に話しかける、というわけにもいかず、今日は一日何もできないまま放課後になってしまった。


「伴場先生をどうにかしないとだな。目的も何もわからないが、アイツを捕まえなきゃいけないのはたしかだ」


 可憐ちゃんがグールになってしまった原因。これまでの行方不明事件の犯人。そして、今回の行方不明事件にも関わりがあるであろう伴場先生。彼女を捕まえるという方針には賛成だ。


「けど、可憐ちゃんはどうするの?」


 自分こそがこれまでの行方不明事件の犯人であると語っていた可憐ちゃん。万妃に殺してほしいと望んでいる彼女を、万妃はどうするつもりなのだろうか。


「可憐は殺さない」


 きっぱりと、万妃は言い切った。思わず顔を上げると万妃と目が合う。真剣な眼差しから、それが万妃の中で揺らがない決定事項なのだろうということが伺えた。


「……どうして? 可憐ちゃんは、悪いことをたくさんしてきた。ううん、それだけじゃない。可憐ちゃんが生きていれば、これからも大勢の人が死ぬかもしれない。可憐ちゃんはそれを嫌がっているし、もう死にたいって思ってる。死ぬしかないって、思ってる。それでも万妃は、可憐ちゃんを殺さないの?」

「ああ、殺さない」


 万妃の瞳は、意思はやっぱり揺らがない。アメジストの瞳は真っ直ぐに私を見つめていた。


「悪いことをしたんなら、その償いをしなくちゃいけない。アイツは死ぬことがそれに当たると思っているようだが、そんなのは違う。罪は生きて償うものだ」


 でも。


「でも、可憐ちゃんは人を喰べなくちゃ生きていられない。生きてる限り人を殺し続けてしまう。罪を犯し続けてしまうことになる。そしたら、償いどころじゃ」


 ない。それじゃあ生き地獄だ。泥沼だ。そんな状態になってまで、生きていろというのか——。


「アイツを助ける方法は、ある」

「——へ」

「アイツがこれ以上罪を犯さなくていいようになる方法は、あるんだよ」


 万妃の表情は真剣だ。嘘をついているとは思えない。だけどそんな方法が、本当にあるというのか。


「その、方法って?」


 すっと万妃が人差し指と中指を立てた。


「方法は二つ。一つは解毒剤だ」


 それは可憐ちゃんが、理科室で口にしていた言葉。けれどそれは伴場先生には作るつもりがないと、そう言っていた。


「伴場先生を捕まえて説得して、グール化を解く薬を作らせる。もっとも、解毒剤なんてものが本当に作れるのかはわからない。前例がないからな。それにアイツが大人しく従うとも思えない。こっちの方法で可憐を助けられる可能性は低い」


 理想的な解決方法ではあるけど、実現する可能性は低い。その方法はあまり現実的ではないと、私も思う。


「もう一つは?」

「眷属には階級がある、って言っただろ?」


 低級であれば知能が低くなり、階級が高いほど万妃に、魔喰いに近くなる。万妃は血を飲むことはあっても、人間の肉を喰べることはないという話だ。なら。


「階級を上げてアタシに近づける。そうすれば、少なくともずっと人間を喰べ続けるなんてことはしなくてもよくなるはずだ」


 普通の食事で栄養が摂れるようになる。人間を喰べずとも生きられるようになる。普通の人間に近い生活ができるようになるかもしれない、ということか。

 けれど可憐ちゃんは、それを受け入れるのだろうか。普通の人間として生きられないことは可憐ちゃんが死にたい理由の一つではあるのだろう。でもそれが一番の理由ではない。

 ずっと人を喰べてきた。ずっと他の人に危害を加えながら生きてきた。償いきれない重さの罪を犯した。自分は許されることがない罪人であるという意識。それがきっと、可憐ちゃんが万妃に殺されたいと願った一番の理由。

 だからきっと、可憐ちゃんはどうしたって生きる道を選ばないんじゃないだろうか。もう生きていたいなんて思えないからこそ、わざわざ万妃の前に現れた。わざわざ万妃が自分を殺すように仕向けようとしたんじゃないのか。


「……ま、とりあえず今日は調査はお休みだ。かなめも調子が悪そうだしな。今日は気分転換の日にしようぜ」


 力を抜いて、背もたれに身体を預ける万妃。一旦この話はおしまい、ということだろう。


「気分転換って、何するの?」


 私の問いかけに、万妃はニヤリと笑みを浮かべた。なんだか楽しそうな、浮かれているような。


「なに。ちょっとばかし、アタシのやりたいことに付き合ってもらうぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る