23

 夜部市内にある大規模なショッピングモールは一つ。ビル街にあるそれは、平日休日を問わず人で溢れかえっている。夜部市内に住む人々が気軽に遊び目的で行ける場所なんて、このショッピングモールか街にいくつかあるカラオケくらいだからだろう。今日も平日の夕方とはいえ、放課後を満喫したい学生たちや仕事終わりのストレス発散目的でやってきた大人たちの姿がたくさん見られる。

 二階建ての施設にはゲームセンター、フードコート、雑貨屋、服屋、ドラッグストアなど様々なお店が寄せ集められている。子供から大人まで、誰でも一つくらいは楽しめるお店が見つかるはずだ。


「それで、どうしてここに?」


 制服では目立つからと、私服に着替えさせられて連れてこられたショッピングモール。万妃もいつの間に着替えたのか、私服と思われる洋服に身を包んでいた。白く可愛らしいレースの襟がついたシャツ。胸元には黒いリボンが結ばれている。黒く長いスカートに入れられたスリットの隙間からは、白く細い足が覗いている。厚底の靴を履いているため、今の万妃の身長は普段よりも少し高い。長い髪の隙間から覗く耳にはピアスがつけられており、なるほど、校則でピアスは禁止されているはずなのだが穴を開けているところを見るにやっぱり万妃は不良なのかもしれない。

 万妃は私の問いかけに、呆れたような表情を見せる。


「どうしてって、遊ぶために決まってるだろ。ああ、金なら心配するな。調査に協力してくれてるお礼として、お姉さんが奢ってやるよ」

「お姉さんって、同学年でしょ?」


 指摘をすれば、万妃は何やら気まずそうに目を逸らす。


「……細えことはいいんだよ。ほら、行くぞ」


 万妃はぐい、と私の手を引いて歩き始めた。

 コツコツと足音を鳴らして、万妃は堂々とした様子で歩いていく。その姿に目を奪われない人間はいない。すれ違う人々はみな、ちらりと万妃に目を向ける。こちらを見てこそこそと小声で話している男子高校生たち。可愛い、だとかモデルみたいだ、なんて言葉が聞こえてくる。万妃を見つめるだけでは満足しないのか、中にはあのー、と声をかけようとしてくる男の人の姿もあった。だが万妃はそんな輩のことは目に入っていないのか、無視をして適当な店へと入っていく。

 万妃が最初に選んだ店は可愛らしい若者向けの洋服がたくさん取り揃えられた服屋。万妃はフリルのついたワンピースやミニスカートを手に取って鏡の前で合わせてみたり、私に似合いそうだなんて言って私を無理矢理試試着室に押し込んだり。勧められた服を着てみれば、万妃は満足そうに笑って頷いていた。

 一通り服を見た後、万妃は迷うことなく化粧品売り場へと向かった。これが使いやすいだのこれが可愛いだの言いながらアイシャドウやリップを物色していく。赤い口紅が好きなのか、似たような物を手に取ってみては違う、と首を振ったり、これだ、と頷いたりしていた。マニキュアも好きなのか、赤や黒のものを手に取って見つめる。校則違反でしょと指摘すれば、いいんだよ、なんて気にした様子もなく小さなマニキュアを二、三個買っていた。


「っと、もしかしなくてもアタシばっかり楽しんでるな」


 がさ、とマニキュアの入った小さな袋を揺らしながら、万妃は少し不安そうな様子で私を見つめる。


「そんなことないよ? 私もちゃんと楽しんでる」


 ショッピングモールに来ることはあまりないから、色々な店を見ることができてとても楽しい。お店を見るのもだけど、万妃が楽そうにショッピングを楽しんでいることも嬉しかった。なんというか、年相応な感じがして。


「ならいいんだけど。あ、あそこの店に入っていいか?」


 万妃が指さしたのはアクセサリー類がたくさん置かれた雑貨屋さん。頷くと、万妃はうきうきとした様子で店内に足を進めた。

 たくさんのイヤリングやピアスが壁にかけられている。天井の明かりに照らされて、それらは小さく輝いていた。テーブルの上にはいくつもの髪飾りが並べられている。髪飾り、か。

 ちら、と横でピアスを物色している万妃を見つめる。長い髪は下ろされたまま。その状態でも綺麗だけれど、横からだとせっかくの可愛い顔が隠れてしまうのが勿体無い。

 すっと手を伸ばして万妃の髪に触れる。


「? なんだよ」


 訝しげな表情を向ける万妃を無視して、長い髪の毛をいじる。三つ編み、は少し幼く見えすぎるだろう。かといって一つ結びにすれば大人っぽくなりすぎるような気もする。なら、と長い髪を二つに分けて、耳よりも高い位置でぎゅっと握ってみた。万妃は怪訝な顔をしたまま首を傾げている。


「……うん。表情が勿体無い」

「おい。突然失礼だな」


 眉をひそめる万妃。どんな表情をしていたって万妃の可愛さや美しさが損なわれることはない。ないのだけど、それでも少し勿体無い。


「万妃はせっかく可愛いんだから、もっと笑えばいいのに」

「はあ? なんだよ突然」


 照れているのか、万妃はふいと視線を逸らす。


「言葉遣いももうちょっと丁寧にしてさ。乱暴すぎるのも万妃らしくて良いけど、ちょっと近寄りにくくなる原因の一つだろうから……もっとこう、ギャルっぽくしてみるとか」

「この見た目でギャルっぽく喋っちまったらそれはもうただのギャルなんだよ。アタシはギャルじゃないっての。で、人の髪掴んで何してんだよかなめは」


 じとりとした視線を向ける万妃。改めて万妃を見つめる。

 うん。やっぱりこっちの方が良い気がする。


「うん。万妃、ツインテール似合うよ。明日からこれで学校に来たら?」


 まあ、耳より上で髪の毛を結ぶのは校則違反だし、ピアス穴が見えてしまうので実際にやるのは難しいだろうが。

 掴んでいた手を離す。さらさらの髪の毛はすとんと落ちて、簡単にもとのストレートヘアへと戻ってしまった。


「……あ、そ。ま、しないけど」


 くるりと背を向けて、万妃は雑貨屋から出て行こうとする。纏っている空気は穏やかなものだから、怒っているわけではなさそうだ。

 待ってよ、と後を追おうとしたところで、視界の端で何かが光った。立ち止まって床を見てみれば、何かが落ちているのが目に入る。しゃがみ込んで拾ってみると、それはストラップのついた鍵だった。


「どうした?」


 先を歩いていた万妃が立ち止まった私に気がついて戻ってくる。そうして私の手に鍵が握られていることに気がつくと、なんだか呆れたような表情を浮かべた。


「落とし物か。普通なら見て見ぬふりしそうなものだが」

「そんなことないと思うけど。あ、すみません」


 近くにいた店員さんに声をかけて鍵を渡す。その間、万妃はなんだかやけに真剣な顔をしていた。

 店員さんと別れて、再び目的地もないまま歩き出す。次はどこに行くのか、どこに向かうのか。何も考えず、ただ万妃の隣を歩く。


「ほんっと、かなめは真面目だな」


 ため息混じりに万妃がこぼした。呆れているようで、少し優しい声色。同い年のはずなのに、なんとなく万妃の方がお姉さんに感じられるような、そんな声。


「そう、かな。さっきのは、当たり前のことでしょ。落とした人が困ってるかもしれないし。だから、善い人なら誰だってそうするよ」

「善い人なら、か」


 そう言って、万妃は口をつぐむ。万妃の表情は真剣なもので、何かを考え込んでいるようだった。


「万妃?」

「かなめは、善人になりたいんだな。別に、そんなのなる必要なんてないのに」

「必要ないって、どうして?」


 私の問いかけに、万妃はだって、と言葉を続ける。


「無理になるようなものじゃないだろ、それ。そりゃあ善人が増えれば世の中過ごしやすくなるとは思う。けど、そもそも善悪なんて人間が自分たちに不利益がないように、少しでも自分たちが暮らしやすいように決めたルールでしかない。自然にある物じゃない。あくまでも、今を生きる人たちが少しでも過ごしやすくするためのものだ。絶対にそうしなければならない、そうでなければならない、なんてことはないだろ」


 あくまでも人間たちが決めたルール。人間たちが自分たちが過ごしやすくするために定めたもの。それが善悪だと万妃は言う。けれど、そのルールを守らなければ、価値観に縛られていなければ世の中は無法地帯になってしまう。それはある意味自然なことなのかもしれないけど、それなら人が人である必要はない。人間であるならば、人間でいたいなら善悪に縛られていなければいけないんじゃないだろうか。


「絶対、ではないかもしれないけど、でもなるべく善人でいるべきだとは、やっぱり思うな」

「ま、それはそうだな。あくまでも縛られすぎるのは良くない、ってだけだ。善悪やら倫理観やらを守って生きてなきゃ、この世は地獄より酷いものになるだろうよ。けど」


 けど、と。万妃は真剣な瞳で私を見つめた。


「人が決めた善悪は、それでも絶対のものじゃない。絶対に正しいとは言えないし、間違っているとも言えない。善悪も正誤も、その時々によって変わる。時代や立場、いろいろなことが原因で変わっていく。本当の善人も、本当の悪人もこの世には存在しない。善人で居続けるなんてことは、誰にもできない」


 そこまで言って、万妃はがしがしと頭を掻く。そして、あー、と言いにくそうに口を開いた。


「だからな、まあ、かなめがなんで善人であることに拘ってるのかは知らない。けど、それに縛られすぎるな。他の人たちの基準だけを頼りにするんじゃなくて、自分の中で本当に善いと思うこと、正しいと思うことを大事にしなさい。いや、そうじゃないな。一番大事にすべきなのは、自分が本当はどうしたいか、だ。だから、世の中の決まりに縛られすぎずに、自分の気持ちを大事にして生きなさい」


 なんて、まるで先生みたいなことを言って万妃は私に微笑みかけた。その笑みは穏やかで、優しくて。


「万——」


 妃、と言いかけたところで、くう、と小さくお腹が鳴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る