46
万妃が地面を力強く蹴る。跳び上がった万妃はふらふらと歩き続ける秋菜目掛けて勢いよく落下。危険を察知したのか、秋菜の周囲に口が展開され始める。
腕を振る。周囲に展開された口たちを白い刃で切り裂いた。私だって見ているだけじゃない。口たちを壊して、万妃が秋菜へと向かう道を確保する。
開かれた道を、万妃は真っ直ぐに落ちていく。落下した勢いのまま、万妃は秋菜の身体に槍を突き刺した。槍は秋菜の背中からお腹へと貫通。勢いよく血飛沫が舞い上がる。飛び散った血液は鋭い刃へと姿を変えて、万妃目掛けて放たれた。それらを口で飲み込んで、万妃を守る。ああ、やっぱり
万妃は秋菜から槍を引き抜いて地面へと着地。秋菜の頭がぐらりと揺れる。ゆっくりと、秋菜は万妃の方へと振り返った。
赤い瞳はぼんやりとした様子。秋菜は焦点の合っていない瞳を万妃に向ける。あ、と秋菜の口が開かれた。あたり一面に黒い球体が現れる。万妃の目の前に。私の周りに。そして、私たちが立っている地面に。現れた口がぱかりと開かれる。地面が消える感覚。落ちる。そう思ったところで、足元に突如紅い床が現れた。周囲を見れば、紅い足場がいくつも浮遊している。床を蹴って跳び上がる。別の足場へと着地したところで、先ほどまで立っていた床がばくりと口に飲み込まれてしまった。
直後、ぞわりと内臓が裏返るような感覚。気がつけば真上には黒い口。大きく開かれた中身は赤黒く、中からは透明で粘ついた液体が落ちてきていた。
喰われる——わけには、いかない。
即座に自分の口を展開して、秋菜の口を丸呑みにする。噛み砕けばごりごりとした硬い食感。本当に、これは
下を見れば、万妃は再び秋菜へと向かっていっていた。勢いよく走る万妃。万妃は槍を動かして、秋菜の右腕を切り落とす。切断部から紅い血が飛び散った。吹き出した紅い血液は腕のような形へと変形する。血液で作られた腕が振り上げられた。鋭い爪が、万妃を切り裂こうと振り下ろされる。
高い音が鳴る。槍で爪を弾き飛ばした万妃はその衝撃で秋菜から離れる。着地した万妃はすぐにまた駆け出して、秋菜の左腕も切り落とした。
異変に気がついたのは、その時。
周囲の口を壊しながら、万妃に襲いかかろうとしている口を壊しながら空を見上げる。空を覆う口は先ほどよりも開かれているように見えた。開かれた口から、ぼとぼとと黒い液体が垂れ落ちている。垂れ落ちた液体が近くの街路樹へとかかった。黒い液体がかかった街路樹はじゅっと音を立てて灰色の煙を上げる。街路樹だけじゃない。黒い液体は建物に、地面にもこぼれ落ちる。そのたびに、音を立てて液体がかかった場所が煙を上げて溶けていく。
これは、まずい。
「っ」
街中に放っていた口を上空に集める。溢れる液体を受け止めようと、空いっぱいに口を展開した。
「ぐ、う」
身体に痛みが走る。あの大きな口から流れ落ちる液体は、とてもじゃないが喰べるものじゃない。受け止めるたびに激痛が身体を襲う。
両手を広げて空に広げた口を支えつつ、周囲に浮遊する小さな口たちを白い刃を操って切り裂く。万妃の補助も忘れない。やることが多い。負担もそれなりに大きい。それでもこの程度で音を上げるわけにはいかない。万妃だって必死に戦っているのだから。
両腕を切り落とされた秋菜。その切断部から伸びる紅い手から繰り出される攻撃を防ぎつつ、万妃は秋菜の両足も切り落とす。地面に転がる両手足からはどくどくと血液が流れ出していた。流れ出した血液は空中に浮かび上がり、ナイフや槍のような形へと姿を変える。凶器たちが、万妃に襲いかかる。
「ぐ、っ、万妃!」
刃を飛ばすが、流石に全部は弾ききれなかった。数本の凶器たちが万妃を貫く。万妃は小さく呻き声を上げたが、動きを止めることなく秋菜への攻撃を続けていた。
血で作られた手足が切り裂かれる。腹が貫かれる。首を切られる。びしゃりびしゃりと秋菜の血が辺りに飛び散っていく。
秋菜の身体が、大きく揺れて倒れかけた。
「こ、れで、終わりだ!」
万妃の槍が、秋菜の胸を貫いた。
地面に倒れる秋菜。紅い槍が、秋菜を地面に縫い止める。胸元からは血が溢れていた。
ふっと、自分にかかっていた圧力が消えるような感覚。頭上の口を消せば、上空には青空が広がっているのが目に入った。
万妃が秋菜の胸から槍を引き抜く。二人のもとへと近づくと、秋菜はひゅうひゅうと口から息を漏らしながらぼんやりとした様子で横たわっていた。もう、長くはない。これはもう、助からない。人間を捕食すれば助かるだろうけど、そんなこと、させられない。だからもう、これは。
「!」
ゆっくりと、秋菜の身体が持ち上がった。血の手足はゆらゆらと揺れていて、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど不安定。それでもその安定しない手足を無理矢理動かして、秋菜は立ち上がった。
先ほどまでぼんやりとしていた瞳には光が宿っている。今にも消えてしまいそうな光。それでもはっきりと意思のこもった瞳。その瞳が、私を捉えた。
「し、て、やる」
万妃は槍を構えない。ただ悲しそうに秋菜を見つめている。
「ころ、す。ころ、し、て、やる。わた、しが、わたしが、あんた、を」
息を漏らしながら、秋菜が歩いてくる。血の足を引きずって、ずるずると近づいてくる。
あ、と。秋菜が口を開いた。
目の前には黒い口。ぱかりと開かれた口の中にはボロボロになった歯が見えた。口からこぼれ落ちる液体は紅い。
黒い口の向こう。万妃がじっと私を見つめているのが目に入る。何かを見守るように。私の決断を、見守るように。
幸い、持ってきていた鞄は近くに落ちていた。
鞄を拾い上げて手を入れる。ひんやりとした感触が手に伝わってきた。一瞬、躊躇いから手を離しそうになる。それでも、決めたことだから。冷たいそれを握りしめて、鞄から取り出す。
手に握るのは、銀のナイフ。
秋菜がこうなった責任は私にある。だから最後は、これは私の仕事だ。
ナイフを動かせば、目の前の口は簡単に割れて落ちてしまった。落ちた口はどろりと溶けて消えてしまう。新たな口が出現する気配はない。
秋菜は私を睨みつけながら、ゆらゆらとこちらに近づいてきている。ナイフを握りしめて、私は歩き始めた。
一歩。
きっと正しくない。
二歩。
それでも、ここで死ぬわけにはいかない。これ以上、秋菜を苦しめるわけにはいかない。
三歩。
責任の取り方はわからない。それでも、抱えると決めた。背負って生きると、決めた。
「か、えして、おと、さ、おか、みん、な、かえ」
血の手がゆっくりと持ち上がる。私に向かって伸ばされる。私を傷つけようと動かされる。
でも、その手が届くことはない。
「ごめんね、秋菜」
ずぶりと。銀のナイフが、秋菜の胸に沈み込んだ。
「あ」
秋菜の目が大きく見開かれる。秋菜は私から離れて、大きく揺れて地面に倒れてしまった。倒れ込んだ秋菜の手足が、ぱしんと音を立てて崩れ落ちる。
「あ、あ」
赤い瞳がじわじわと元の色へと戻っていく。長い金髪が、青白い肌が、身体が、全てがぼろぼろと崩れ落ちていく。消えていく。
「あ——」
からん、と。ナイフが紅い水溜りの中に落ちた。
残ったのは、それだけ。
欠けたような状態の建物たち。ビルの窓には血痕。ところどころが溶けた街路樹。ボロボロになった道。
どれだけの人が生きているのかわからない。どれだけの人が無事でいるのかわからない。
この惨状を引き起こしたのは私。私は結局、あのマンションに住んでいた人たちも、この街の人たちも、大事な幼馴染も、みんな殺してしまった。みんな私が、殺した。
「っ、う、うう、うううう——!」
足から力が抜けて、地面に崩れ落ちる。耐えきれなくて、目からは涙が溢れ始めた。
結局私一人が生き残ってしまった。あれだけ悪いことをしたのに、あれだけ殺したのに、それでも私は死にたくないからと生き延びてしまった。人を、人を殺してしまった。
償いきれない。背負いきれない。逃げ出したい。
それでも、それでも私は死にたくない。
私は。
「生きるんだろ、かなめ」
白い手が視界に入る。顔を上げれば、アメジストの瞳が優しく私を見つめていた。
「ほら、帰ろう」
どこに帰ればいいのかわからない。それでも差し伸ばされた手が嬉しくて、私は自然と頷いていた。
「ん、うん」
涙を拭ってその手を取る。柔らかな、温かい手を握りしめて立ち上がる。
「さて、行くか」
「行くって、どこに?」
問いかければ、万妃はどこか楽そうな様子で笑みを浮かべる。
「決まってるだろ。魔喰い管理機関だよ。かなめのことは、これからそこで面倒見るから。そういうわけで、これからよろしくな。相棒」
うん、と頷きかけて頭を止めた。今、万妃はなんて言った?
「…………あい、ぼう?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます