六 試験

 平坦な街道から外れた道なき平原で、ユーリックは前を行く黒馬をしょうの背に乗って追っていた。

 青々とした草原には穏やかな風が流れ、草花が揺れる音が心地良く耳をくすぐる。暖かな日差しも相まって、目の前の男さえいなければその辺でしょうと一緒に昼寝でもしたい所……とユーリックはロアンから目を逸らして平原の先を眺めた。


 春も終わり、冬の間に溜め込んだ精気を吐き出して、一旦は落ち着きを取り戻した山々。静かだが、あちらこちらに妖魔の気配がしっかりと蔓延る。

 そんな不穏に塗れた道すがらも、ユーリックは青々と新緑に染まった山々を眺めながらもどこまで行くのかを呑気に考えていた。


 家に戻り次第、話すと言っていた詳細が語られる事はなく、ただ『お前を試す必要がある』とだけ告げられていた。相変わらず言葉は端的で説明もないが、ユーリックにとってはもう慣れたもので言葉に従うだけだった。

 半日かけ、平坦な道を進んだかと思えば、次は深々とした山へと入っていく。

 ある程度の討伐が行われたとはいえ、山へと入ったならば道中の討伐は付きものである。妖魔を倒しながら、更に半日がかり――漸くたどり着いたのは、ユーリックが初めて足を踏み入れる暗闇の森の入り口だった。


「此処は……」


 人の出入りなど、殆どないであろう未開の地の一つ。言わば、禁足地であるそこは、木々の連なりによって光が遮られた場所だった。

 行きなれた闇とはまた違う。 

 ユーリックは自然に出た声など忘れて、呆然と上を見上げた。静かで、獣も鳥の声もない。光は届かず、なれた闇のようでそうでない。

 何が違うか、それはユーリックにも判然としない事柄だった。

                                                                                                                                                                                                                                           

 呆然とユーリックが景色を眺めていると、ふっと気配が二つ現れた。


「師父、お待ちしておりました」


 艶かしい声を携えて暗闇の中から姿を現したのは、闇に溶けそうなまでの黒髪黒目の男女二人だった。猫背の気怠そうな男と、短髪の所為か目つきの鋭さが目につく小柄な女。男はこれと言って興味もなさそうだったが、女の方はユーリックを値踏みして睨め付けていた。


「この子が例の……ですか?」


 女はユーリックの目の前まで歩み寄ると、馬から降りろと地面を指差す。初対面ではあったが、ユーリックは師姐ししゃの言葉だからと、特に迷いなくしょうの背からおりた。が、小柄な女とは頭ひとつ分違う背丈に、ユーリックは女を見下ろすしかない。


「何食べたらそんなにデカくなるのよ」

「何……と言われても」


 小さな猫にでも威嚇されている気分で、ユーリックは戸惑いながらも見下ろした。ユーリックの方が年下ではあるが、大人びたユーリックに相対するように女の見た目が小柄なのも相まって幼くも見える。


 ――可愛い……


 ユーリックにとって、何も女性は珍しいものではない。いつもならば使用人のメイが近くにいるし、偶に行く南部の都や地方の村で滞在すればそれこそ当たり前にいる。

 が、メイはどちらかと言えば快活で明るい姉御肌なのに対して、目の前の女は小柄な体格ながらにも、威勢を張っている姿が何とも猫の威嚇のようにしか見えなかったのだ。


 その猫は、ユーリックをしっかりと上から下まで眺めた後、馬を繋いでいたロアンへと目を向けた。

  

「で、今年は師父の言葉通り、最低限しか狩っていませんが」

「ああ、それで良い」


 何が始まるのか。ユーリックは試すという言葉から、今度はこの山で狩りが始まるのだとは何となく察していた。

 ユーリックも馬を繋ぎ、持ってきていた角灯に火を灯そうとした時だった。


とは、また違う。此処は灯りをつけてはならん」


 と、ロアンはユーリックを制止した。


「此処は、火に過敏なんだ」


 それまで気怠そうにしていた男がボソリと呟く。

 ユーリックのそばまで歩み寄り、今度は男がまじまじとユーリックを眺める番だった。しっかりと頭のてっぺんから爪先まで眺めながらもしっかりと口は動く。


「あちらは制約なく魔術が使えるが、こちらは火は厳禁。魔術で火や熱を使おうものなら、一斉に妖魔が生まれて手に負えなくなる」

「何故?」

「さあね。妖魔を産んだ神様ってのに聞いてみないとな」


 男はユーリックの観察が終わってただの猫背に戻ると二ヘラと笑う。不気味で何かを期待した眼差しをユーリックに向け、ニーベルグだ、と名乗った。

 その隣で、今度は女と目が合うと、睨む目を止めた女が口を開く。 


「私は、スー。一週間宜しくねって言いたいけど……」


 スーは、ユーリックの背後まで迫っていたロアンにチラリと目線をやる。


「手は出すな。こいつが取りこぼした奴をお前らが片付けろ」

「……だ、そうよ。頑張ってね」


 ユーリックは恐れる事なく振り返る。背後に立つロアンは、いつも通りの厳しい顔を拵えて、試しとやらの真意は測れない。

 下位魔術師になるのに、トビに試験とやらは無かった。ならば、ユーリックに求められているものは何か。それを聞いた所で答えてくれない事だけは明白で、ユーリックはロアンから目を逸らして闇世の中にある森を見た。


 まるで、視界を遮るが如く森は茂みによって隔たりが作られていた。その向こうの禍々しさは、ほんの数日前まで滞在していた場所とは異なる世界を思わせる。

  

「此処は、閉ざされている」


 ロアンの呟きに、ユーリックは一瞥するも目線は再び森へと戻った。


「南部にある禁足地の中でも特に、此処は他よりも妖魔が大きく獰猛だ。火を使えば尚更。だが、此処は他の地と違って境界が存在する。不思議と限界まで増え過ぎなければ、他と同じで境界からは出ては来ない」

「では、私がするべき事は――」

「いつもと同じだ。境界の中で、一週間。妖魔を狩れ」


 それならばなんとかなりそうだ、とユーリックは少々肩の力を緩めた。が、その姿をロアンがギロリと睨む。


「条件は一つ。一日に一度、火を使って妖魔を集めろ」

「……なっ、それを私一人でやれと言うのですか!?」

「やりたくないなら別に良いが、書類は破棄する」


 無茶だ。ユーリックの脳裏に絶望が浮かんでいた。そんな事が出来るはずが無い。いつもの禁足地すら、十人の体制で一週間かけてやる。しかも、ユーリックに至っては別件で忙しく動き回るバイユーの代理で呼ばれただけで、本来ならば位階の無い者の仕事ではないのだ。


 だが、ユーリックの目の前に位階という言葉がチラついた。それ相応の実力は認められると言う事と、負けず嫌いの性格がユーリックの闘志を燃やす。

 本来、下位の位階を得るのに試練などない。


 ――思惑に乗ってやる


 ユーリックは拳を握り締め、振り返るとロアンを真っ直ぐに見た。


「やります」


 ユーリックの目に宿る意思を見ても、ロアンの冷徹な目の色は変わらない。


「短剣と携帯食と水だけ持って境界に入れ。あとは――これを貸してやる」


 ロアンは革帯ベルトからぶら下がっている鎖を外すと、そのまま下服ズボン衣嚢ポケットから金属を取り出した。丸い、それを見た瞬間にユーリックは破顔する。その金属の値段こそ知らないが、高価である事だけはよく知っていたからだ。


 ――懐中時計……


 破顔のまま顔は引き攣った。何せ、精密な機械である時計自体が高級品である。しかも、金製。

 そして、これからユーリックが行う事は、無謀にも近い状況での妖魔退治である。もしも壊したとなれば――と焦るユーリックの額からは冷や汗が落ちた。

 そんなユーリックを前にして、ロアンは追い打ちをかけているのか「壊すなよ」とぼやくのでユーリックに顔は更に引き攣る。


「今の時間は――四時か。境界に入り、日付が変わる頃合に火を焚け。条件以外は好きにやれ。以上だ」


 そう言って、ロアンはユーリックに懐中時計を無理やり手渡すと、やるならさっさと入れと煽った。


 苛立ちは必須である。

 ユーリックは、ムカっ腹をこさえてしょうに括り付けていた荷物から干し肉やら水筒やら最低限に必要なものを取り出し、革製の小物入れポーチに詰めていくと腰に取り付けた。

 準備は出来た。が、何かを察したのだろう、寂しがり屋のしょうが、じとっとユーリックを睨む。

 相変わらず、しょうは暗闇の中で一人が嫌いだ。既にお怒りなのか、右前足で蹄を鳴らして不満をぶつけている。

 それでも、ユーリックはごめんねと謝って撫でてやる事しか出来ない。

 それも、三度撫でると擦り寄るしょうから離れた。


「スーリ師姐ししゃしょうをお願いします」


 ユーリックは決意と共に、再び森へと目を向けた。

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