七 目指すは帝都

 寒々しい旅路の始まりだった。

 南部から北上して中央部へと目指し、白き雪原の中を五頭の馬が並んで歩く。吹雪はないが風は冷たく、皆襟巻きで目の下辺りまで被り寒さを凌ぐ。頭から身体全体を覆う外套は一見何の変哲もない黒地の布だが、中にはしっかりと毛皮が張り付けられている。

 辰帝国の冬、ひいては北へと向かうとなれば防寒は必須だ。

 

 北部では、水どころか大地も凍りつき、家もしっかりと温めなければ、家の中ですら凍りついてしまう。そして、寒々とした区域によくある、肺が凍る程の寒さという例え通り、呼吸一つで肺は凍てつき外出もままならない状況もあるのだとか。


 とは言え、今回向かうのはその手前にある中央部の都で、寒さも南部と同程度である。

 だからと言って、野宿も有り得る中での行路は中々に厳しいものがあり、手は抜けない。

 南部糜膸びすい県から中央部――金黎きんれい州帝都への道のりは凡そ二千里程である。

 その旅程は片道一ヶ月を想定し、滞在は二週間の予定だ。

 馬車でも連れて行けたなら寒さを凌げる使い道もあるのだろうが、雪が積もると邪魔になる恐れもあり、一人一人が馬に乗り旅路を行く。


 五人。ロアンを筆頭に、側近として弟子を二人、初老姿で白髪頭のウェイと壮年姿の赤毛のキーフ。そして、雑用係と資料収集に当たるトビとユーリックが後方を行く。

 今回の旅路の目的である帝都で開かれる会合とやらは、最長老を含む老師の集まりだ。五年に一度、近況報告やら重大案件やらの話し合いが開催される。

 何故、わざわざ冬場に開催されるのかというと、老師の多くが冬場は過ごし易い帝都に滞在するからである。

 ロアンからすれば、迷惑極まりない話だ。が、最長老がそこに含まれるため、冬という季節の開催が変更される事はないだろう。どの道、春など妖魔がたんと湧く時期でもあるので、結局のところ山が静まる冬場がロアンにとっても都合が良いと言う事実も否定できない。それ故に五年に一度、大掛かりな荷物と共に帝都を目指すのだ。


 街道を進む中、時には馬に身を寄せ暖を取り、宿場町に辿り着けたなら屋根と壁で守られた宿で眠る。

 日が昇り、時には外套を脱いで日光を堪能出来る日もあったが、殆どが、白で埋め尽くされた景色ばかりだった。


 そうして段々と南部の景色と言える、白き山が遠ざかる。


 ユーリックは、旅路の中でも何度も山を振り返った。何故だか、無性に薄寂しいものを感じて切なくなったのだ。遠ざかれば遠ざかる程に、ユーリックは何度も振り返り、その度にトビがユーリックに声をかけた。


 しかしそれも、白き山が見えなくなると、ユーリックは振り返る事はなくなり、旅路は順調に続いた。そして――


  

 一行は、金黎きんれい州の地を踏んだ。

 

 金黎きんれい州に入って更に三日、日も沈んだ夜の入りの頃に、漸く目的である帝都に辿り着いた。

 華々しい、金の都と呼ばれる帝都。皇帝が座す城が都の中心に摩天楼が如く聳え立ち、こちらの様子を伺っている。


 そこかしこに行燈が吊るされて都を彩り仄かに照らす街並みは、兎に角賑やかしく、馬を連れて歩くのにも苦労する程に人であふれごった返していた。

 あまりの人並みに飲まれながら、ユーリックは物珍しげに辺りに目を配った。いつも行く場所と言えば、小さな町や、村ばかり。あとは、南部独特の深い山だ。

 夜が明るい様がなんとも珍しく、金の都と呼ばれる所以であろう摩天楼は、黄色に塗りたくられた柱や壁が、体現している。

 華美に溢れた街並みであるはずなのに、道行く者達は、疲れているのか仄暗い色を宿して歩く姿が、ユーリックの目には帝都という華々しい様相から逸脱している様に映っていた。


 ◆


 手配されていた宿は、夜門機関が手配した賓館だった。貴族御用達であるその宿に街並み同然に華美絢爛として慣れないユーリックは縮こまるも、隣に立つトビは毅然と動揺の一つもなかった。

 トビも、会合に出向くのは二回目だ。けれども、下位魔術師として普段から在るからだろうか。トビの毅然とした態度に感化され、ユーリックも不安げながらも背筋を伸ばした。


 そして、漸く息がつけたのは、宿泊する部屋にたどり着いた時だった。


 ユーリックはトビと共に二人部屋をあてがわれた。男女一緒の理由は、ユーリックが女だから、だそうだ。

 トビと共に行動する事で、ロアンの一派である事を証明する手立てにもなる。

 馬鹿らしい、とはユーリックも言えなかった。

 十六にもなった今、この国で生きる女の息苦しさをユーリックも実感していた。

  

 ユーリックは珍しくも固くない寝台に倒れ込む。倒れ込んでも痛くない程に綿が確りと詰まった布団など、恐れ多くていつもであれば床で寝転んでいた所だが、一ヶ月という旅程と都に入ってからも、明らかに魔術師の集団である事は一目瞭然か遠巻きではあったものの視線が突き刺ささり疲れを増長させ、もう限界だった。

 何とも嫌な目つきばかりな上に、賓館は賓館で、貴族達からの冷たい視線が送られる。

 常に誰かに見られているという感覚が、疲れた身体に鞭打っていた。   


「……疲れた」

「そうだな」


 寝台に突っ伏すユーリックと違って、隣の寝台に座ったトビは悠々とした顔でユーリックの疲れ切った姿を眺めていた。普段通りの声色が何とも腹立たしい。ユーリックは不満を浮かべて、顔をトビに向ける。


「……帝都なら魔術師なんて珍しくないでしょ? 何であんなに睨むわけ?」

「嫌われてるからな。特に最長老が」


 何となく、夜門機関の頂点である事はい知っていたが、南部の寂れた田舎で留まっているユーリックには、今一つ顔も情報も浮かばない。

 

「どんな人?」

「国政に口出しして皇帝に戦争起こさせてる張本人。戦争は金がかかるからな、国民どころか貴族にも恨まれてる。あと好色って噂があるな」

「最後の情報要らない」


 ユーリックは嫌悪から「うえっ」と態とらしくえずいたような声真似をして見せ、重要な情報だけ教えてくれと抗議する。トビは態とらしくユーリックの表情に対してニヤニヤと返したが、それも翳りができると薄ら笑いで静かに続けた。

 

「……それと、人喰いって噂もな」


 その言葉に、ユーリックは寝台に沈めていた顔をゆっくりと上げた。


「……それって」

「人肉って意味じゃ無い。正確に言えば、魔素喰いだな」

「……その……戦争の敵……とか?」

「それもあるかもしれないけど、ガキとか女とかって噂だ。時々、最長老の周りで人が消えるんだとさ……まあ、あくまで噂だけどな」


 この国で人が消えるなどよくある事だ。それでも、ユーリックの顔色は冗談めいた好色と聞いた時よりも一層嫌悪の色が強くなっていた。嫌悪というよりも、侮蔑だ。

 『魔素喰い』という言葉を聞いた事はなくとも、その意味は想像に難く無い。


「……魔素って、食べれるものなの?」

「喰える。けど、単純じゃない」


 ユーリックはしっかりと起き上がると、トビを真似て寝台縁に座り込み、正面からトビの顔を捉える。

 トビがいつも以上に真剣な様子だったのもあるだろう。茶化さず、誤魔化さず、ユーリックと向き合う姿で言葉が全て真実なのだと告げる。その真剣な顔の主――トビの人差し指が、不意にトビ自身の心臓を刺した。


「魔素の核を確立するのと同じ手段だ」


 魔素の確立の手段は簡単だ。

 人の肉体は二重構造になっている。

 一つは、ただの肉塊だ。肉があり、内臓があり、組織がある。

 そして、もう一つ。肉に内にしてそうでない。普通ならば、誰にも気づかれずに終わるものでもある。

 決して見えず、触れる事もないそれは、手に魔素を込める事で初めて存在するものだ。

 その時はまだ、魔素はただの――いや、触れるまで何でもない『モノ』でしかない。肉の内の見えない場所で、靄や霧の如く形すら存在せず、そこに在るだけだ。

 心臓部と同じ位置に魔素を収束して初めて、魔素の核――第二の心臓を確立させるのだ。

 

 心臓部は血液の循環を意識させる為でもあるが、心臓という『命』を司るその場所である事には意味があるとされる。


『命』という言葉は、生命においての言語化に過ぎない。

 けれども魔素の核を確立させると同時に心臓と同調する。それ故に、もし、魔素の核を摘み取られたならば、そこで『命』も終わる。

 これが、魔素の核が第二の心臓と呼ばれる所以でもある。


 その取り出した魔素――『命』を喰らう。


「それって――」


 ユーリックは少々懐疑的なのか、首を傾げる。魔素を物体として取り出せたとして、それを取り込む意味はあるのか。

 

 魔素を体外に排出するのは簡単だ。あくまで物体ではなく、気体としての話だが。

 それこそ、指先一つでも良いし、己を原点として座標を指定すればある程度までなら遠隔的に発生させられる。

 しかし、その排出した魔素は使い終われば空に溶けて消えてしまうのだ。

 多少の魔素の残滓はあっても、効能など欠片も無いだろう。


 そんな逡巡するユーリックを尻目に、トビは確信を持ってして答えた。

 

「意味はある。魔素の核――この場合は器だな。他者の魔素の核を喰うと、器が大きくなる。そして取り込んだ分の魔素が上乗せされてより増える。それも――格段にな」


 それこそ、修練で必死になって増やすよりも簡単に。

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