六 不死の術

「師父、待って下さい!」


 突如、戸口辺りから大声が響いたのは、夕暮れも沈んだ夜迫る時刻に差し掛かった頃だった。

 イーライが声を荒げ、何やら騒いでいる。トビと共に書庫に篭っていたユーリックだったが、どうにもいつもと違う様子に、右隣の机に座って書類をまとめていたトビと目を合わせた。


「……どうしたんだろ?」


 イーライは、ユーリックに対する当たりには毒があるが、心酔しているロアンに対して無礼である事はまず無い。そんな男が、終始何かを訴えている様は一大事にも等しく、ユーリックは声の方にばかり目がいった。

 しかし、トビはというと、ユーリック程気にはなっていない――というよりも既に原因を知っているのか、然程興味も持たず淡々と筆の続きを走らせていた。

 

「夕餉の時に師父から話がある筈だ。その時分かるさ」


 そう言って、トビは口の端を僅かに吊り上げ、嘲笑っている様子だった。ユーリックではなく、イーライに向けて。

 トビは、イーライと二つしか歳が変わらない。イーライの方が先に拾われ、一応イーライはトビにとって『師兄』に当たる。

 だが、今や実力はトビの方が上だ。順当に中位魔術師の道を進むトビと違って、イーライは今一つ。

 技量、知識共に同程度。しかし、一つだけ大きな差が出ていた。


 中位魔術師として認められる要素の一つ『不死の術』。イーライは今も不死の術の会得に至っていない。これが、大きな差だった。


 そもそも、不死の術とは何か。

 簡単に言えば、肉体の命を先延ばしにする秘術である。

 経験、化学式、どちらにも当てはまらない『命』という曖昧な存在。


 だが、実際に肉体を『命』や『魂』なる不確定な存在が維持しているわけではない。

 肉体の組織が生命を繋ぎ、人たる個を創りだす。『命』はあくまで、それらを総合した言語化に過ぎないとされている。実に不可視無信心たる魔術師らしい考えと言える。

 


 ◆



 食卓は、いつも以上に険悪だった。イーライの目線がいつも以上にユーリックを睨め付け、更にはトビにまで憎悪を見せた。


 ――そういう所だと思うけど


 と、ユーリックは心の内でぼやく。何があったかは知らないが、感情を全面に出す時は時と場所を鑑みねばならない。

 特に、ユーリックは師父と同席する食卓は、微塵も気は抜かない。

 許しがあるまで声は出さないし、どれだけ愚鈍で尊敬に値しない師兄であっても何も無い様を演じる。


 重苦しい空気が続いていたが、ふと、ロアンが箸を置いた。


「――ユーリック、お前は不死の秘術に関しての書は読んだか」


 ユーリックもロアンに倣い、箸を置き姿勢を正すと、「はい」とだけ答える。そもそも、それが昨日から今日に渡っての課題だ。勿論、ただ読むだけでなく内容を記憶し知識としなければ、意味はない。


「不死の術とは何かを簡潔に答えろ」


 ユーリックは俯き唇に指を当て考える素振りを見せる。そして、一分と経たないうちに再び顔を上げたが、そこに迷いは無かった。

 

「死の三兆候(脳停止、心臓停止、呼吸停止)回避の為による内蔵器官及び、肉体老化における細胞、筋組織等を魔素の供給により衰退の阻止を行う事です」

「どうやる」

「既に魔素の循環を会得している事を仮定として――流れに乗せて魔素を体内組織に張り巡らせ、魔素の生命活力エネルギー浸透により肉体組織の劣化を防ぎます。ですが、未だ魔素を浸透させた場合に起こる不死性の発生は偶発的な産物とされ、実証はされているが、何故肉体の劣化を防げるかまでの解明には至ってはいない。加えて、完全なる永久機関としては未だ不完全な為、あくまでも保っている間のみ不死が維持され、術を使用している者次第では早々に老いが進む脆弱な術でもある」

「次第とは」

「魔素保有量及び、継続的な術使用における精神性です」


 ユーリックが言葉を終えると、ロアンの獲物を捉えるギラリとした鷹の目は、イーライを粛々と見据えていた。


「今のは基礎段階の話だが、お前の反論は」

「……維持は、まだ……これから」


 睨みに耐え切れないのか、自信喪失しうしろ暗く声を落としていく。

 

「ああ、それで問題無い。俺が不死の術を完全に心得たのも遅い」


 言葉通り、ロアンは四十代半ば頃の容姿を保っているが、実際はかれこれ――と数える程の年齢でもある。

 術の会得は個人差がある。死ぬ迄会得できない者も居れば、会得できても完全では無くゆっくりと歳をとる者もいる。最悪、体内組織に負荷をかけ死期が早まる者もいたりと様々だ。


 トビはこれをあっさりとやってのけた。これにイーライは焦っているわけだが――


「だが、今回の会合はお前を外す。代替は、トビとユーリックの二人だ」


 その瞬間、ユーリックは驚きと同時に、ユーリックはトビの『夕餉の時に師父から話がある』と言っていた言葉を思い出す。


 ――この事か……


 先に話してくれれば良いのに。じっとりとトビを睨むが、トビはトビで一人素知らぬ顔で食事を続けている。


「不死の術の出来不出来は恥では無いが、北部の連中は何かと面倒だ。俺も会合の間は、何が起こっても対処は出来ん。も、下位魔術師を名乗っている今度ばかりは容認してやれん」


 ロアンは、厳格ながらも諭すように話した。が最後の言葉にだけは棘があった。


「ですが、あれはっ……」

「挑発されたとしても、その喧嘩を買って負けたのはお前自身だ。五年経った所で彼方側の思考も変わらん。今回は、此方に居ろ。リョソンに留守を任せる予定だ。お前は、バイユーが続行している新種の調査を手伝え」


 決定事項を前に、イーライはそれ以上騒ぐ事なく、苦悩を浮かべながらも席を立つ事だけはしなかった。


 ――あらら、落ち込んじゃった


 ユーリックは横目に一瞥するも、他人事のように再び端を手に取った。同情はしない。所詮、夜間という機関に所属している限り――いや、、実力が全てだと考えるしかなかった。

 貶められたくなければ、弱者として数えられたくなければ、自らの生き方を選びたいのなら、実力がいる。ただ、それだけの事だ。


「トビ」

「はい」

「北部の連中の挑発があれば、お前が対処しろ。問題が発覚すれば次から国立書府院は使用出来なくなる可能性もある。良いな」


 問題が起こる前提に、トビは静かに「はい」とだけ返事する。


「ユーリック、お前も何があっても見て見ぬ振りをしろ。会合の期間だけが資料の閲覧が解放され、お前のようなただの弟子でも、俺の下として写しの許可が与えられる」

「はい」


 真面目に学ぶ者ばかりではない。最後にそれだけを告げると、ロアンは再び食事を再開していた。

 ユーリックは再びイーライの顔を一瞥する。もう睨む気力もない男は、膝の上で拳を握り締め屈辱を堪えている。

 その様を見ても、ユーリックは優越感に浸る事はなく、その存在を素知らぬふりをして、冷めかけた食事に手を伸ばしていた。

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