二十一 嵐の後に

 嵐が過ぎ去るも、未だ空には翳りが見える。寒さは過ぎ去ってはおらず、灰色の空からは雪が舞っていた。

 ロアンは、昨日まで会合が行われていたそこで、光差し込む窓の外を眺めた。

 会合の予定が無くなった広々とした部屋は冷え切り、暖炉も断りを入れたため、寒々しい空気にある。


 特に約束をしていたわけではない。突如呼び立て、己を忌避している人物が此処を訪れるかどうかは、賭けに近かった。

 だが、ロアンは呼び立てた人物を待った。

 一時間、二時間と時が過ぎゆく。そして、三時間が経った頃、漸く扉が開いた。


 白髪白髭を蓄えた老人はゆっくりとした足取りと、落ち着いた様子が余裕を醸し出す。

 何故呼ばれたかを知っているのだろう。ロアンの隣の席――最長老としての椅子に座る。ゆったりと座り、肘掛けに腕を乗せ、ロアンをジロリと見た。


「して――用とは?」


 嫌味を含む始まりに、ロアンは嘆息も出なかった。

 ロアンが何を話して、何を嘆願に来たかを分かっている。それを愉悦に変えて、楽しんでいるのだろう。


「……知っているだろうが昨日、末弟まっていに襲われた」

「ああ。吹雪の中、不幸があったようだ。こちらでも数名消えていると聞いておる。哀れにも貧民街の者に刺されたとか。あの様な場所に踏み込み油断とは」


 淡々と、其方が勝手に傷ついたとでも言いたげに、最長老は投げやりに答える。


「それで、その末弟の容態は如何か?」

「治療なら終わった。予定通りに残り一週間滞在の後、南部へと帰る予定だ」


 その言葉に、最長老の指がピクリと動く。


「そうか、それは良かった。魔術師が貧民街程度の者に殺されるなど、恥でしかないからな」

「全くだ。其方は……まあ、貧民街に居たとなれば、跡も残っては居ないだろうが」


 ロアンの表情は何一つ変わらなかった。同時に最長老も眉一つ機微を見せなかったものの、其の指先は肘掛けの先端をミシミシと唸りそうなまでに握る。

 焦燥か、苛立ちか。最長老の機微を見てロアンは続けた。


「最長老、崔国さいこくの次の獲物は、燈国とうこくなのだろう? 俺は興味が無い、人間同士の戦争なんぞ勝手にやれば良い」

「それが慢心だというのだ。南部は特に、妖魔の相手なぞ下位の者か妖魔狩りにでもやらせておけば良い。国の為に生きろと言っておるのだ」

「南部が他に比べて泰平たるは、常に妖魔を狩る魔術師がいるからだ。でなければ、南部の人間はもっと喰われているだろうよ。あんたらには理解できんだろうがな」

「高々、獣だろう!!只人なんぞ放っておけば良いのだ!!」


 最長老の嗄れた顔がより一層、険しく皺が深くなった。憤怒を最早隠す事もなく、声を荒げる。

 その様子に、ロアンは鼻で笑う。余裕のない姿がより一層、胸のすくというものだろう。


「魔術師は、偶然にも不死なる力を見つけただけのだ。只人などという言葉を作って、人を見下して悦に浸るのは如何にもあんたらしいが」


 そう言って、ロアンは立ち上がるとそのまま扉へと向かって歩き始めた。


「待て!話は終わっとらんぞ!!」

「燈との戦は好きにしろと言っただろ。俺の弟子を引き抜きたいなら勝手にやってくれ。簡単に寝返るような奴など最初から不要だ」


 怒りを煽る言葉ばかりを並べ、出口へと向かうロアンの背後で最長老は額に青筋まで立つ。

 それを知ってか知らずか、「だが、今まで通り俺の弟子を戦場へ行かせる以外の命令は従ってやる」とだけ最後に告げると、ロアンは振り返る事もなくそのまま出て行った。

 最長老の怒りの形相を見る事もなく――

 


 ◆◇◆


 

 一週間が、これ程長く感じた事もないだろう。

 帝都に来て、まさか宿に押し込められてしまうなどと、ユーリックは予測もしていなかった筈だ。

 いくらしたからとは言え、あくまで人の細胞を活性化させ自己治癒力を高めただけなので、基本的に暫くは安静なのだ。


 なのだから、仕方がない。が、――


 ――すぐ側に書府院も貸本屋もあるのに部屋に引き篭もるなんて罰以外の何物でもないよ……


 既に読み終わった本ばかりが乱雑に寝台の上に転がされている。ユーリックもまた、その隣で駄々を捏ねた子供のように寝そべり項垂れていた。

 足をバタつかせ本気で子供の真似をした所で、現在ユーリックを見張っている人物は見向きもしないだろう。

 ユーリックは顔を上げて、脚元の側にあるいつも読書で占領していた卓を見やる。そこには、ユーリックが読み終わった幻想小説に目を通す初老の男――ウェイの姿があった。

 暇つぶし程度に読んでいるのだろうか、これといって感情の起伏は見えない男をユーリックはじっとりと観察する。


「……その様な顔をしたところで貸本屋には連れていかんぞ。あと一日だ、我慢しろ」


 一切目線を上げる事なく、この一週間ユーリックが部屋を抜け出さない様に見張るウェイ。見た目の所為か、師父よりも年上の姿が落ち着いた風貌を思わせるが、実際に落ち着き払った人物であるが寡黙では無い。

 

「はぁい」


 先達を前にだらしない姿勢な上に覇気のない返事だったが、ウェイは何一つ気にする事なく読書を続けた。狭い部屋でする事は少なく、らしく寝台の上にいる間は度が過ぎていなければ叱られる事も無かった。


 ウェイが常にそばに居るのは、念の為弱った末弟の見張とともに看病と銘打った賊の襲撃への懸念も含まれるからで、面倒ごとを避ける要員とも言える。が、実質何も無ければウェイにとっても退屈なだけの時間だろう。互いに会話が得意ではい為に必要最低限の干渉に留めている為、意識しなければ互いに本を捲るだけの空気だ。


 ある意味で、穏やかな時間。

 平穏な時は、ゆっくり、ゆっくりと過ぎ去っていく。怪我の傷も、痛みも、後遺症の何一つ無い穏やかで退屈な時も残すところあと少し。

 珍しくも晴れ間の午後、窓から夕暮れが差し掛かり四時を知らせる鐘の音が鳴った。

 

 ――漸く、終わる

 

 ユーリックは、安堵にも似た嘆息と共に、仕方なく何周読んだかもわからない本を再び捲り始めた時だった。


「ウェイ師兄、戻りました」


 鐘の音の終焉と共に、清涼な声を携えた男が扉を開けていた。


「ああ、ならば私は部屋に戻る」

「ええ。貸本の返却もしておきます」

「頼む」


 起き上がる時期タイミングを失ったユーリックは、衝立の向こう側でパタンと扉が閉まる音に再び肩を揺らす。

 そう、この一週間。ユーリックはトビと二人の空間がこの上なく辛かった。

 が、その当人はというと、何事もなかったの様に接してくるものだから余計に困惑する上に心苦しくて堪らないのだ。

 今も、うつ伏せでいっその事、無意味に狸寝入りでもしようかと逡巡している間も、足音は寝台すぐ側まで迫っていた。


「お前、なんて格好してんだ」


 つい先程まで兄弟子がすぐそばに居た筈なのに、だらりと寝そべるユーリックの姿にトビは呆れ顔を見せる。 

 

「……暇だもん」


 ちらりとトビの顔を見て、またそらす。警戒はしているが、顔を合わせずらい日々が続いているからか余計に心苦しいのか。

 早く、自分の寝台にでも行って。なんて心で祈っていると、寝台が更なる重みでギシリ――と呻いた。

 その音だけで、ユーリックの心臓は飛び跳ねた。片腕の重心を寝台に預けたトビの顔が、ユーリックの真横まで迫る。吐息が耳にかかり、妙に熱い。

 ユーリックに逃げ出す手段もなく早鐘を打つ鼓動を抑えるだけで精一杯だった。


「……、手は出さねえよ」


 いつもよりも低く聞こえた声が耳元で囁く。いつもの清涼な声とは違った音質が耳をくすぐったかと思えば、気配は再び寝台を呻かせて離れていった。

 トビの真意が、悪くもユーリックの心を弄び掻き乱す。顔を寝台に埋め、ユーリックはただ明日が早く来いと願うばかりだった。

 


 こうして、波乱の帝都での日々は終わりを告げた。

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