十八 秘密 壱

「師父!!」


 ユーリックを抱えて戻ったトビは、礼儀も全て忘れてロアンの部屋へと駆け込んだ。

 その剣幕たるや、それだけで十二分に状況は理解できるだろう。

 ロアンは円卓に書類を広げながらも、ぬっと視線を上げるが、ただ「ああ」と呟いただけだった。


「傷は深いのか」

「師父!!腹刺されたんですよ!?」

「息してんだろ。問題ない」


 何を――トビは初めて師父であるロアンに飛び掛かりそうだった。腕の中で苦しむユーリックがいなければ、本当にそうなっていたかもしれないほどに熱り立つ。

 それに対して、ロアンは焦りの一つも見せなかった。ゆっくりと立ち上がり、トビにユーリックを床に置くように指示すると、ウェイとキーフを呼んでこいと言う。


「そんな事よりも、傷の手当てをっ」


 トビでは、繊細な内臓の治癒が未だ難しい。だからこそ、いの一番に師父である男の部屋に駆け込んだ。ユーリックの顔色は悪くなるばかりで、今も腹には得物は刺さったまま血は流れ続けている。

 にも関わらず、弟子の一人が重症だと言うのにロアンは依然冷静なままだった。


 ――そりゃ、こんな事で慌てたりしないだろうけどっ


 トビは腹立たしくも、ロアンの言う通りにするしか無かった。治癒は高等技術だ。他人の内臓など、それこそ針に糸を通すよりも繊細な作業を続けねばならない。一行の中で、恐らく可能と期待できるのがロアン一人である事も事実だった。


 そして、トビがウェイとキーフ連れて戻ると、ロアンは寸分の動作も見せず、ただ床の上に寝かせたユーリックの前に座っているだけだった。

 落ち着き払い、特に憂慮を見せるでもない。そもそも、他人を慮る姿すら想像できない男ではあるのだが。


「師父――」

「トビ、扉を閉めろ。部屋の近くには誰もいなかったか」

「……居ませんでした」

「此処に来るまでに誰かに見られたか」

「賓館の主人には……何事かと聞かれたので、刺された……とだけ」

「その程度であれば問題無いな」


 ロアンは三人に近づくように言う。ユーリックの顔色はますます青ざめていた。血の気がなく、呼吸も浅い。

 時間が無い。


「師父!!」

「黙って見てろ」


 そう言ったロアンは、ユーリックに刺さったままになっている得物に手をかけた。そして――迷いなく引き抜いたのだ。

 慌てたのは、トビだった。


「な……何してるんですかっ!!」


 今の出血の量からしても、内臓を傷つけているのは間違いない。下手に刃物を抜けば、出血を促すだけ。なのに躊躇すらないロアンの姿に、トビは憤りよりもユーリックが死ぬかもしれないという絶望感に飲み込まれそうになっていた。

 ロアンは傷を確認するため、ユーリックが纏っていた外套の前を広げ腹部を晒す。傷ましくも、傷が見えないまでに止めどなく血が溢れ続けていた。 

 トビが勢いで、傷を押さえようと手を伸ばすが、トビの手を遮ったのは矢張りロアンだった。


「見ていろ」


 血が溢れる。

 腹部から、どろり、どろりと流れ出る赤きそれは、ユーリックの命が流れ出ているようでトビは激情にかられるままに師父へ掴みかかりそうでならなかった。黒い筈の外套が赤く染まるほどに血が流れ、今にもユーリックの呼吸が止まりそうな、その時だった。


 血が、止まった。


 ――え?


 同時に、ユーリックの顔色は戻り、呼吸も落ち着いたのか寝息まで聞こえ始めた。トビを制止していたロアンの手が離れると、トビの手が恐る恐るユーリックの腹部についてた血をその手で拭うも、傷は、どこにもなかった。


「……師父、これが以前言っていた」

「ああ、」


 目の前で起きた出来事にトビが言葉を失っていると、ウェイの瞳が物珍しそうにユーリックを見入る。キーフにしてもそうだ。どちらも、傷が治る事を受け入れているのだ。

 そして、ウェイの物言いは以前から知っていた事を指し示していた。


「……知ってたんですか、治るって」

「ああ。試した事があるからな」


 トビは思い起こすも、ユーリックが大怪我を負った記憶が見当たらなかったが、同時に小さな傷の一つも思い出せなかった。


「脈は正常だ。トビ、ユーリックを部屋に連れて行って着替えさせろ。此処は人を呼んで掃除させる」


 床は、外套を含め血まみれだった。そこで寝そべっているユーリックも同様だろう。命じられたトビは、ユーリックを当然のごとく抱えるも、未だ腹には蟠りを残している。

 納得いかないとしっかりと顔に書かれつつも、安堵も混じって複雑とでも言いたげな表情を残した男を他所に、現状を眺めなているだけだったキーフが最もな疑問を呟いた。

 

「何と言うつもりですか?」

「隠し事は何一つする必要はない。俺の弟子の一人が怪我を負ったが何とか助かった、とでも言えば良い」


 嘘は言っていない。傷は魔術で塞いだとでも言えば良いのだから、それ以上を疑う者は居ないだろう。

 キーフも納得したのか、確かにとだけ言って人を呼んでくると部屋を出ていった。

 トビも部屋に戻るために横抱きに抱えたユーリックをしっかりと抱き留め、キーフに続こうとした。


「トビ、ユーリックが目を覚ましたら怪我人の振りはしろと言っておけ」


 既にロアンに背を向けていたトビの方が小さく揺れる。


「……分りました」


 力無く答えたトビは振り返る事なく部屋を出ていった。

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