五 春の終わり

 春が、終わる。

 芽吹の季節の終わりと共に、一時休息の時間が訪れる――筈だった。


 ユーリックは、位階の無い只の弟子だ。要は養われの身。下働きをこなしながら、修練を積み一人前に近づく事がユーリックの仕事であるとも言える。が、ユーリックも既に成人の十六歳。

 

 必ずしも、魔術師が全て十六歳で位階を授かるわけではない。ずるずると二十を超えても弟子から昇格できないものもいれば、成人と同時に位階を与えられる者もいる。師の采配が必ずしも必要なのだが、こればかりは此処の師の性格や状況によるだろう。

 だから、ユーリックは待つだけだった。実力的には、師兄達に及ばない所があるだろうと鑑みても、そのうち降って湧いてくるだろう程度に考える事にしていた。

 何せ、ユーリックの師父はロアンであり、老師である。

 それ相応の実力と覚悟が要求される事が容易に想像できる。トビが位階を授かったのも十八歳の時だったのもあり、それぐらいまでは辛抱だ、程度だった。


 それが、何故か。


「ユーリック、お前に、下位の位階を与える。書類は作った」


 と、突然。そう、あまりに唐突に名前を呼ばれ告げられた事柄に、ユーリックは目を丸くした。

  

 討伐の最終日にだけ姿を現したロアンは、討伐状況の管理を行なっていたウェイから報告を確認した、その場で、だ。そう、ロアンの弟子ばかり十人程が集うその場で、唐突に告げたのだ。

 それぞれが休息を取り、ユーリックも拠点の端っこで木を背もたれにして、夕餉が出来上がるまで仮眠でも取ろうとしていたぐらいだった。

 あまりにも突然で、拠点の後方にいたユーリックへと視線が集まる。それは、今回の拠点の管理やら雑務やらをこなす師兄の弟子たちや、師兄達と談笑していたトビも含まれた。


 十六をすぎて位階を与えられる者は、いるにはいる。だが、稀だ。

 完全に成熟しきっていない肉体と精神。十六歳では早すぎて適正年齢とはされていない。それが、しれっと告げられた事で師兄達はロアンの言に対して文句の一つも言わないが、目線は鋭くもユーリックを値踏みを始めていた。

 普段顔を合わせない師兄達程、ユーリックをじっとりと見る。トビを除いて、その殆どが上位魔術師に身を置き、更には序列すら持つ者もいる。


「詳細は明日戻り次第話をする」


 ユーリックが返事をどう返すものかとあぐねいている間に、ロアンは勝手に話を完結し、そのままウェイと新たな話を始めていた。


 視線が突き刺さる。敵意にも似たその視線は、とても末弟へと向けるそれとは考え難い程に手厳しい。居た堪れない空気が醸しだされて、ユーリックは師兄達の目線から逃げる算段を考え顔を地面へと向けていると、ユーリックの視界に見慣れた革製の長靴ブーツが映り込んだ。

 その長靴ブーツの主は当たり前のようにユーリックの目の前に胡座をかいて座ると、顔を覗きこむ。悪気なく、ユーリックが避けているのを知った上でやっているものだから、ユーリックにしてみればタチが悪い事この上ない。


「何だよその顔。喜んでるのかと思ったけど」


 ユーリックは気怠そうに目線を僅かに上げる。爽やかな金色が、わざとか本心かも分からぬ様子で、いつも通りの顔を見せている。

 ユーリックが避けている事も、その理由も知っているのに、トビはお構いなしにユーリックに接した。

 

「……別に、ただトビは……十八だったでしょ? 急だからびっくりしただけ」

「お前の方が期待されてるって事だろ? 良いじゃ無いか」


 兄弟子達の訝しむ様子とは違い、トビだけが純粋に喜んでユーリックに語りかけている。その事実に、ユーリックは張り詰めていた精神がまたもぐらりと揺らぎそうになった。

 

 ――トビは、優しい。いつだって


 ユーリックの目線がまた少し上がった。その視線は紺碧の瞳と勝ち合うと、頬杖ついたトビが口の端を吊り上げて小さく笑う。

 自然で、悪意など無い。

 その姿を見ていると、ユーリックはまた昔の関係に戻れそうな気がしてならなかった。師兄と師妹だけの関係に。


 幼い頃、ユーリックが何回ロアンの元から逃げ出そうと、トビはいつも笑っていた。笑いながらも、小さなユーリックの頭をくしゃくしゃと撫でては、最後に「もう逃げるなよ」、と寂しそうに呟くのだ。

 ユーリックがその言葉に頷いたのは、最後の一回だけだった。最後のトビの姿は、ユーリックの記憶に染み付いて離れない。

 トビは、四日間姿を消していたユーリックがロアンの手によって連れ戻されると、これでもかという位に抱きしめた。『頼むから、消えないでくれ』と、懇願する姿は本心でユーリックを失う事を恐れて今にも泣いてしまいそうだった。 

  

『お前を見ていると、死んだ妹を思い出す』


 震わせた声で失った妹を語る姿は、ユーリックと失った妹を重ねていた。

 ユーリックは、只、何も言わずにトビの腕の中でそっと目を閉じた。

 トビが願うなら、そばに居よう。そう心に決めた。

  

 その日から、ユーリックにとって、トビは兄だった。


 今も、そうだ。目の前で朗らかに笑う男の本心を知っても尚、ユーリックにとってトビは兄でしか無い。

 ユーリックは、清涼な男の笑みに再び目を逸らす事しか出来なかった。

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