八 常闇 弍

 空を覆う鴉達。正確には、全て黒いから鴉に見えるだけである。

 まあ、鴉だろうが、梟だろうが、鷹だろうが、蝙蝠だろうが、空を飛んでいる限り、やる事は同じだ。

 遠隔で魔術は飛ばせる。が、鳥は移動するし数が多い。


 ――この場合は……と


 ユーリックは、妖魔に亡骸で息を潜めながらも空を仰ぎ思考を張り巡らす。ただ、鳥を相手するならば、己を囮にして一網打尽が一番の手である、が。その手は大量の魔素を消費する事になる。

 かと言って、一体一体打ち落とすにしても、高さがある上に、鳥達の感覚が狭すぎる。空中戦は無謀であり、遠隔も確実とは言えない。


 上空を見上げつつも、ぶつぶつと逡巡する背後に影が迫りつつあった。


 その小さな気配に、ユーリックは上空にばかり気取られすぎて遅れをとっていた。

 カサリ――と、革靴に何かが掠める。


 ――しまったっ!!


 此処は、全てが陰の根源地。ユーリックの足下からは、地を埋め尽くすような小さな獣の大群で覆われていた。

 大量の赤い目がそこかしこでユーリックを見つめる。小さな獣は、一斉にユーリックへと群がった。

 蹴飛ばそうが、短剣を振り払おうが、小さな獣のへ意味はない。 


 闇の中、ユーリックの存在が明確となった。


 鼠達はユーリックの靴に、皮膚に、髪に齧り付く。その牙は鋭敏で、ユーリックの肉を抉る。血の匂い、僅かに痛みに呻く声、獣達が群がる事による体温の上昇。全てがユーリックの存在を明示するものでしかない。

 悩んでいる間など無くなった。痛みに堪えながらも何かを待った。

 その目線は、上空にいる鳥達へ。

  

 ――近く、もっと近くへ……


 そして、そう時を置かずして、空を覆っていた鳥達がユーリックへと特攻の嘴が突き刺ささんと降下を始めた。


 来た。待ちに待った時に、ユーリックの口から白い冷気が溢れた。

 張り詰めた暗闇に中を、凛として澄んだ空気が冷気と共に広がる。ユーリックの足元から、赤い陣が広がり、群がる妖魔を覆う。陣が出現すると共に、辺りの空気から水気は消え去り冷気は濃くなる。


 ユーリックに齧りついていた鼠の動きが止まった。広がる冷気は陣の範囲全ての妖魔へと届く。濃い冷気を肺へと取り込んだ瞬間に、鳥達は羽ばたきを辞め地に落ち、鼠達は眠りについた。

 さらに深まる冷気は妖魔の肉塊を凍結させていく。肉体の生命活動は停止して、ぼとり、ぼとり――力無い姿で鳥達が空から次々と落下していく中、ユーリックの身体についた傷はみるみると消えていった。

 残ったのは、痛みの残滓と流れ出た真っ赤な血だけ。


 その僅かな痛みも、あっさりと消えた時、ユーリックの目は既に騒ぎを聞きつけて集まった獣達へと向いていた。


 まだ、一時間と経ってはいないのに、魔素を一度に大量に消費した影響か、ユーリックの息は上がっている。体力温存の為に、暗躍する事は暫く不可能だろう。


 ユーリックは冷気が闇に飲み込まれ、春の終わりらしいじっとりとした空気に戻る。

 その瞬間に、ユーリックの背後に忍び寄る影。


 フシュウ――と吐く息と獲物を見定めた目。伸びる細い二股に割れた舌先が、今にもユーリックに絡みつかんとする。

 その他にも、頭上の木の上からは幾つものじっとりとした視線。

 深々とした森の先からは、更なる敵意。


 ユーリックはまだ、森の探索らしき移動もこなしてはいない。

 そして、師父ロアンの火を使うという条件も満たしてはいないのだ。


 はあ、といっそ思い切りユーリックは嘆息してみせた。

 嘆きというよりは、疲れる試練を前に師父の嫌味を真似して見せる。意味はない行為だ。が、なんとなく鬱憤を晴らす方法を思いつかなかったのだ。


 躙り寄るもの達を前に、ユーリックはもう一度、短剣を構え直した。

 革靴の爪先で、地を二回蹴る。


 特に意味はない。が、三回目と同時。ユーリックを頭から飲み込もうとしていた蛇の牙が届く直前、ユーリックはふわりと跳んだ。

 バクん――と蛇の首が掠めて空を喰む。その頭上へと体重を乗せながら、ユーリックの短剣が突き刺さった。一気に短剣は深々と突き刺さる。蛇が呻くよりも前にユーリックは魔素を流し込む。

 今度は惜しむように出来る限りの少量。が、確実性は狙っている。


 最後の抵抗で、蛇の尻尾が大きく地を叩いたが、それでも蛇が身動きを取らなくなるのは、一瞬だった。

 ユーリックの目が再び獲物を選定する。


 次々と生まれる妖魔達。その数、勢い、大きさ。全てがユーリックにとっても未知なる体験だ。


 ――何故、此処なのだろう


 ユーリックの思考に再び、ロアンが浮かんだ。一体何を考えて、ユーリックを試しているのか。下位魔術師になるのに、試験などない。それは、トビが明言している。恐らく、それまでの実力がそのまま下位への道へと繋がるのだろう。

 だからこそ、不可思議だった。


 ユーリックに浮かんだ考えは、今の状況は下位魔術師とは何ら関係ない、という結論だった。

 ただ、ユーリックを試すと言う状況を作る口実として、下位魔術師の話を出しただけ――そう考えた。

 何故ならば、禁足地へ駆り出されると言う時点で、そこらの下位魔術師の実力など遥かに凌いでいるも同然だと師兄達に聞き及んだ事があったのだ。


 ――そう、今の状況は、何か別の意味がある


 その意味こそが、ロアンの求めるもの――なのだろう。

 ユーリックは自身を納得させる考えに辿り着くも、ロアンが求める答えは今の所浮かばない。


 ――今は、まだ


 ユーリックは、まだ初日と目線を上げる。何かしら知恵を働かせようと企む猿達と目が合うと、思考を遮りその身に冷気を纏わせていた。

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