第一部終話 嘘

 どこかで見た光景だった。

 涌嶺ゆうれい村の宿屋の一室。寝台で上体だけ起こしてユーリックは自分に向けられる目線を逸らし続けた。


 全てが終わり、結果に満足したロアンは先に帰ると言って、あっさりと姿を消した今。ユーリックは、師兄である男と二人きりで宿屋に残されていた。

 正直、七日野外戦で疲れた身体をスー師姐ししゃに手伝ってもらいつつ沐浴した身体は、後遺症以外は気分は爽快で気分も良かった。

 ただ。そうただ、目の前の男だけは何一つとして納得していない様子だった。

 師父を真似た厳しい目つき。金の髪色の隙間から、紺碧の瞳が怒りを露わにしている。

 温厚な男は露と消え、春の暖かさが損なわれそうなほどに薄ら寒い。

 その怒りの根幹、ユーリックは自身がそこまで悪い事をしたとは思っていないものの、トビの目をしかと見て、反論をする気にはなれなかった。


「お前、何で無茶ばかりするんだ」

「……師父が、あそこに行かないと位階くれないって言うから」

「そこは怒ってねーよ。師父のやり方はお前の性格読んだ上でやってるからな。そこじゃなくて、おかしなのがいたんだろ、その時点で一度師父に報告に戻るべきだ」


 トビの言い分は尤もであったが、ユーリックが死ねぬ身体である事、ロアンは最初から何か起こる、何かが現れると想定したと推察される事を前提とすると、ユーリックは最初から炎を飲み込んだ異形と立ち向かうしか無かったと考えるのが妥当だろう。


 ユーリックからしてみれば、怒られる要因など何処にも無いのである。が、「私は怒られる事など何もしていない」と、堂々と言えない。その言葉を脳裏に浮かべた時、やましい事を隠す子供じみた言い訳にしか聞こえず、堂々と宣言できなかったのだ。

 まあ、もちろん、そんなことを言ったとなればトビの怒りは収まりがつかなくなるだろうが。


「……だって、逃げたくないじゃない。それに無事だったし」


 何を持って無事と言うべきか。ユーリックが着ていた衣服の胸倉には大きな穴が開いてしまった為、捨ててしまったが、論より証拠とも言えるそれをトビも見た。

 死なないから、助かっただけなのだ。

 

「結果論だ。お前、死なないって知らなかったんだろ」

「……そうですけど」

「死ぬかもしれないって分かってても引かなかっただろ」

「性分だもん」


 これが子供なら拳骨でも飛んだだろうか。

 ユーリックは思わず、身を屈め今も尚睨め付けるトビをチラリと盗む見る。だがその顔は、怒りを通り越して憂いが現れていた。


「……俺は、いつかお前がそうやって勢いで飛び出して、帰ってこなくなる日が来るんじゃないかって思うと、怖いよ」


 ボソリと悲壮に暮れた声は、沈んで消える。


「お前は、好きに生きてるから、俺が死のうが知ったこっちゃ無いだろうけど、俺はいつも不安だよ」

「そんな事思ってない」

「じゃあ、何で現実見ねえんだ。故郷は無い。お前を待ってる家族はいない。どれだけお前に叩き込んだところで、お前は明後日の方ばかり見てやがる」


 トビは現実主義だ。だから、ユーリックに向かって吐く言葉は刺々しくも現実的だった。


「……妹……死んだ理由は、俺が原因なんだ。母親が、黒髪に青目は珍しいから売っぱらうって……。俺は、父親に似てるから手元に置いておくって……。だから、妹連れて逃げたんだ。俺は母親よりも、妹の方が大事だったから。逃げれば何とかなるって考えてたんだ。でも、餓鬼が出来る事なんて限られてる。結局、食うもん無くなって……妹は餓死しちまった」


 その妹は、死の間際まで笑っていたのだとトビは静かに語る。

 悲壮に暮れる姿に、ユーリックは思わず項垂れたトビの手にそれを重ねた。

 売られる現実の方が、長生きしたかもしれない。トビの脳裏にこびりついたどうにもならなかった過去が、ユーリックへの執着と相待って複雑に絡みつく。


「……お前は死なない。でも、お前も何処かに行っちまう気がして……」


 トビはユーリックの手を強く握った。絶対に離したくは無いと、両の手で包み込む。震える程に、強く強く。


「頼むから、消えないでくれ」


 トビの項垂れる姿は力なく、ユーリックに縋っているようだった。縋っていたのだろう。ユーリックを失いたく無いと願っても、ユーリックが離れてしまっては意味が無いのだ。

 だから、もうトビにはそれしか手段がなかったのかもしれない。


「わかった」


 それまで項垂れ震えていた男がピクリと肩を揺らす。


「……トビがそう望むなら」


 顔を上げたトビの目は期待で満ちていた。ユーリックの言葉で有頂天に上り詰めたかのように、震えは止まりしっかりとユーリックの手を握って離さなかった。


「本当か? いなくなったりしないのか?」


 ユーリックは優しく笑った。紅玉色の瞳が美しいまでに、トビへと向けられる。


「うん、ずっと一緒にいるよ」


 ユーリックは、息するように嘯いた。

 

 

 ロアンは言った。もう故郷に戻る意味は無いと。

 ユーリックの中でも、同じ結論が出ていた。


 それでも、いつかの自由が確約された今、ユーリックの中で白い景色がまたも色濃く映っていた。

 白ばかりの雪原を一人の少女が歩く。

 ユーリックは、それが幼い自分だったのだと確信する。

 そして、考えた。


 自分は、どこへ行こうとしていたのだろう、と。

 いつか、ロアンとの約束を果たしたその時、夢の続きを歩いてみようと。

 ユーリックは静かに心の中で誓いを立てた。

 

 だから、、トビの望むままに――


 

 第一部 完

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玄冬の魔術師 @Hi-ragi_000

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