第一章 

一 白い山

 糜膸びすいしゅう けん


 紅色の瞳を宿した少女が、白雪で染まった山脈をゆったりと眺めていた。

 雑木林のその向こう。遥か彼方にある白い山脈地帯。青く澄み渡る空に浮かぶ雲を貫くほどに高く聳え立ち、辰帝国しんていこくの南端部を埋め尽くす程に広大でありながら、何故か名前が無い。

 紅色の瞳を宿す少女は井戸の端に座って夏季独特の蒸し暑さに汗を拭いながらも、その山から目が離せなかった。

 その山は、南部に住んでいれば凡その位置で視界に入る程に標高がある。だから、少女も毎日と言って良いほどに目にするものでもあった。

 見飽きたと言える程に、自然と目がいくそれに、少女はこれと言って思い入れがある訳ではない。

 恐らく、思い入れがあるなどという人物はいないだろう。  


 何せ、その山は誰も登れないと云われているからだ。

 『死の山』や、『戻らずの山』なんて、如何にも不吉な名前で呼ばれる事もある。その所以は、白い山を登り戻った記録は無いとされる事だ。それがの仕業とでも言う様に白い山にはもう一つ、古くより呼ばれる名前があった。


『神の住む山』 


 辰帝国には信仰心が無く目に見えぬものには無関心だ。それでも、この国の者は悉く白い山を恐れた。

 山の神が閉じ込めた永遠の冬によって命を奪われ、二度と帰る事叶わぬのだと。

  

 だが見る限りは只の雪の降り積もった山だ。

 雲を貫く程に標高が高いから、その寒さで夏季でも吹雪に見舞われ雪が溶けないだけ。

 少女――ユーリックの紅色の瞳に映る白い山は、只の自然の脅威を宿しただけの山でしかなかった。


 それでも、只の白い山と知っていても、ユーリックはその山にを求めた。

 そのはユーリックも知らない。

 けれど、あそこにはある。

 確信にも近い想いが、ユーリックの胸の奥底に浮かんでいた。 


 ◆


 白き山脈より北上した辰帝国南部のとある雑木林。その中に建てられた古く聳える四合院(四つの壁に囲まれた家)は、そろそろ外壁を直さねばならない程に土壁がボロボロと崩れ始めていた。元は小さな集落だったのだろうが、辺りに家は黒く燻んで崩れ落ちて、ぽつんと粗末なその家だけが取り残されている。更には土壁だけでなく家自体もあちこちに傷みが目立つが、家の主はこれと言って修繕する気はないらしい。

 その家にユーリックはロアンという魔術師の弟子として暮らしている。

 正確には、弟子兼下働きとして住まわせてもらっている――が正しいだろうか。


 ユーリックは少女と言える十三歳の子供ではあったが、井戸に腰掛ける姿からも五尺三寸もの身の丈と端正な顔つきの所為か少々大人びている。肩まで伸びた黒髪を組紐で一つに纏め、暑さに汗を拭う姿。日々鍛錬と力仕事を熟す程度には肉付きのある身体がより一層成人の歳の頃(成人は十六歳)を思わせた。

 

 山を見つめる瞳が憂いて揺れる。髪をかきあげる仕草でもすれば艶を浮き立たせ、殊更に紅色の瞳が黒い髪に映える美しさを際立たせていた。

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