十四 目には目を 壱

 既に吹雪は始まっていた。二人は外套を頭まですっぽりと被り、衣嚢ポケットに忍ばせておいた革の手袋を嵌めて、出来るだけ身を寄せ合う。何かが起こる可能性を考慮して、二人は直ぐに意思の疎通が図れる状態を保つ必要があったのだが、隣にいても声は聞こえない上に、気配もか細い。

 雪で視界は悪い上に風の音で耳は塞がれ他と言っても良い。何も見えない、何も聞こえない。暗闇には慣れているが、お互いの気配すら逸れてしまいそうなまでの自然の脅威を前に、二人の鍛え上げられた感覚など無為にすら思わせた。

 

 人どころか、建物すらも見失いそうなばかりの白い景色。大通りでは、全てと言っても過言ではない程に店という店が、家という家が、完全に戸締りをして、出歩いている者の殆どが吹雪から逃げ遅れた者達ばかりだった。その殆どが、すれ違い様の姿で一瞬で雪の中へと消えてしまう。 


 取り残された二人は、吹き荒ぶ荒らしをが行く手を阻む大通りを歩く事が困難であると知ると、雪を避ける為に路地裏へと入り込んだ。


「ひでえな」


 家と家の間、冷気は変わらないが風は避けられる壁の隙間で二人は一息つき、漸く外套から頭を出した。

 それでも、ヒュオー――と冷たい風がが嵐の隙間から入り込み、吹き曝しの目に遭うよりまだマシ程度だ。

 まともに呼吸ができる。それがどれだけ安堵出来ることかを思い知らされるとともに、ユーリックは大きく息を吐いた。


「帝都でもこんなに酷いなんて」


 外套の隙間から入り込んだ雪を払いながら、ユーリックはうんざりした顔で溢す。

  

「ああ、北部はもっと酷いらしいが……俺達も早く帰らないと凍死するな」

「嫌な事言わないでよ」

 

 壁の隙間から見える、轟々と鳴る冬の嵐。舞う雪は凶器の如く身体を突き刺す。

 南部とて寒い。だが、山間が多く、平野部が極端に少ない為、風を木々が遮り通り抜けないのだ。

 だから、吹雪はあっても、視界不良になる程の嵐自体が珍しい。

 

「もうちょい静まってくれねえかな」

「ねえ」


 大通りに面した賓館へと帰るのに、裏通を通って帰る事は出来る。二人は、呑気に言葉を交わしながらも、ちらりと背後を見た。

 黒々とした雲と嵐の影響で、狭く奥まった路地裏は薄暗い――と言うより暗闇だ。一寸先は闇をを移した二人の瞳。ユーリックは目線をトビへと流す。 


「迷子になるよ?」

「だよなぁ」


 ユーリックは、帝都を訪れたのは初めてだ。トビも、まだ二回目。都の地理に詳しくはない。

 帝都は一見、華やかだ。が、一度路地裏に入り込むと、入り組んだ道やら行き止まりやらで、下手に路地に入り込めば、それこそ凍死への道が待っている可能性もある。

 なんといっても、一番の問題は道一本外れた路地裏は貧民街へと繋がっている事だ。いくら二人が魔術師とは言え、貧民街の者達が金目の物目当てに群がる事は必須だろう。


 ただでさえ面倒ごとが起こりそうな予感しかない中で、止まりそうにない猛吹雪。その上、貧民街の連中になど絡まれたら堪ったものではない。

 トビはもう一度吹雪の中に歩み出るかを考えながら、そちらへと目をやる。


 ――さて、どうしたもんか


 鳴り止まぬ冬の悲鳴は、今も轟々と叫び続けている。

 一歩進むべきか、悩んでもう一度暗がりへと眼を向けた、その時だった。


 ザッ――と、路地裏の暗闇の向こう。微かな足音が響いた。ユーリックも同じく気づいたのか、静かにトビへと視線を向ける。

 気配は無い。手練と思しき存在が、どうにも手招きしている様だった。  


 ――どうする?


 と、ユーリックの目線は、師兄であるトビに判断を仰いでいる。

 そう、状況は今、人気の無い吹雪であり、背後にあるのは貧民街へと続く、妖しい空間と成り果てた暗闇だ。


 トビの口の端が上がった。


 ――好都合だ


 トビは、ユーリックへと何も返す事は無く、無心で暗がりへと足を踏み入れた。と同時に、ただの小さな足音だったものが警戒の色を宿した敵意へと変わる。

 

 あちら側も待っている。足音はその合図だ。


 虎の巣へ飛び込む輩を待ち構える者達。トビが其方へと動いた事により、ユーリックもそれが意向と従い後ろに続く。


 敵意が嫌味や邪推であれば、そのまま言葉で返そう。だが、目に見える敵意を示したのなら――

 

 殺意には、殺意を。


 トビは外套の中――己の背に左手を回し、腰に携えた短剣を抜く。

 敵意、殺意。短剣がその全てを明瞭とする。そして――トビは、迷いなく暗がりへと飛び込んだ。


 地を蹴り、勢いづけた先。

 ひゅっ――と、風を切る音が響くと同時に、金属同士の打つかる音が暗がりに響く。暗がりで剣を構えた――男と思しき者。外套を纏い、顔を隠してこそいたが、剣を構える出だちが手練を思わせる。


 ――魔術師じゃない


 両手で剣を構えるその姿。魔術師であれば、片手は開けておくものだ。トビは、そう教わっていた。だからこその、軽い短剣なのだ。

 受け止められた剣撃を前に、トビは力を込めながらも更なる暗闇の向こうを見た。

 

 ――まだ、居る

 

 カタカタと互いに込めた力が金属を伝ってぶつかり合う度に、相手の呼吸が荒々しく変わる。剛腕な相手は、剣に手馴れた兵士か傭兵か。

 トビは相手の剣を短剣のつばで伝い流す。

 金属が擦れる音を立て相手へ近づくと、右手に魔素が籠ると同時か、トビの右手が相手の顔面へと近づいた。だが、もう既のところで危険を感じたのか、男は背後へと下がる。

 魔術師相手に戦い慣れているのか、警戒が強い。


 だが、男が下がると同時、トビの横を風が通り抜けた。

 男が下がると踏んでいたのか、トビの背後で控えていたユーリックが下がった男に対して踏み込んでいた。

 再び、剣がぶつかる。

 ユーリックは女だ。だが、男と拮抗を張った状態になった――いや、ジリジリと男の方が押し負け――男の剣が弾かれた。


 その勢いは、終わりではない。男の頭部には、弾かれた剣と同じ方向に吹き飛んだ。男の頭は、ユーリックの足が減り込み、そのまま壁に打ち付けられ――そのまま気を失ってしまった。


「足癖悪いぞ」


 そう言って、トビはそのまま奥へと突き進む。暗闇の中、前に出始めた――三人の男たち。手始めに現れた一人があっさりと倒された事で焦ったか、三人の手には剣が握られていた。


 その先頭の一人が前に出ると、トビに向かって剣を振り下ろした。が、トビはそれをあっさりと横手に交わす。直様、男が持ち直そうと剣を上へと振り上げようとするが、ユーリックにより剣先を足で押さえられ、ピクリとも持ち上がらない。

 気付いたら時には二番手の男は驚く間もなく、顔面へとトビの拳がのめり込んでいた。


「手か足の違いじゃない?」


 それに、手は大事でしょ? と、二人は余裕を見せつけるかのように会話をする。


「まあ、確かになあ」


 まるで、何事も起こっていないかのような二人の素振り。顔面を強打された男は、剣を抑え付けられていた反動もあってか、がくりと身体は崩れ落ち地へと沈んでいた。

 残りの二人は、一瞬の出来事にたじろぎ、どちらも前に出ようとはしない。 


「なあ、まだやるのか?」


 何事もなく会話をしていた清涼な声は消え、薄暗い色の籠った声が地を這うように二人へと届いた。


「今消えるなら、見逃してやる。どうする」


 それまで、薄氷程度だった殺意が突如鋭い鋒を持つ剣へと変わる。その気迫。その威圧。若き魔術師とは思えぬ様相を前に、二人は後退り――そのまま姿を消した。気を失った二人を置いて。


「この人たちどうする? 凍死するんじゃない?」


 頭部強打による脳震盪。ちょっとやそっとでは、目覚める様子もない地に伏す二つの身体。吹雪は続いている。外で眠るとなると覚悟がいる事だろう。

  

「知らん。に同情している暇なんてない。行くぞ」


 そう言ったトビは、吹雪が静まるのを待つ気がなくなったのか、暗がりの方へと歩き始めていた。ユーリックは転がる二人は気にはなるのか、足取りが重かったが、トビが口調を強めて名前を呼ぶと、そのまま後に続いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る