九 思惑
晴れた朝から一転、冷たい風に流された黒い雲が都を覆う。帝都の冬も南部と変わりなく、小さな雪の花が再び地面を覆い始めた。
分厚い外套で身を包む者達が行き交う中、トビとユーリックもまた、白い息を吐きながら摩天楼の方角を目指していた。
正確にはその近くにある書府院だ。
厳重な塀に囲まれ、国政の管理下に置かれた六つの建造物が連なるそこは、国内随一の蔵書量を誇る施設でもある。
書府院へと入るだけで門前の見張りの兵士から検問を受け、黒曜館と名付けられた一角へと向かう。
黒曜館と言う名の通り、黒く染まった仰々しい
その扉を開くと建物の内部ではあったが、またすぐ先に門が待っていた。その前には、書府院の前と同様に検問が行われているが、兵士ではなく魔術師と思しき身姿だ。
革鎧とは違った黒い外套を纏った男が三人。どれも見た目は中年期程で眼前に現れたトビとユーリックをギロリと睨む。
「ロアン老師の紹介状です。ご確認を」
トビは手前にいた男に、外套の懐に入れていた書簡を取り出し渡す。ロアンの名前が出たからか、男の片眉が吊り上がり、値踏みでもするかの様に紹介状の内容とトビ、そしてユーリックを交互に見比べていた。特にユーリックの顔を物珍しげにジロジロと覗き込む。
ユーリックの身の丈は五尺八寸と男並みに高い。対して相手の男は、少々小柄でユーリックの顔をしたから覗き込む形になっている。
――どんだけ時間掛けるの……
あまりにもジロジロ見られるものだから、鬱陶しくて顔を逸らしたくなるのをじっと堪える。が、良い加減にしろと堪えきれなくなり、覗き込む男を睨んだのはトビだった。
「
幾ら何でも時間がかかり過ぎだったのだろう。トビは一見穏やかではあったが、些か口調がきつい。
「……紹介状は本物だが……お前達は異国民では無いのだな?」
「俺も師妹も本国育ちだ。ここらじゃ混血は珍しくも無いだろう?」
「……訛りもないな、問題無い。保証金は?」
「ある」
トビは懐から財布がわりの革袋を取り出すと、二人分の保証金である金十枚を渡した。
そこで漸く、検問をしていた三人は二人に二冊の分厚い本と木札を二つトビへ渡すと、早く行けと手で払い除けていた。
何とも態度の悪い検問の者達にトビもユーリックも思わず顔を顰める。が、問題を起こすわけにもいかず、一悶着は起きずに済んだのだと互いに顔を見合わせて、それ以上関わらない様にトビはユーリックへ中に入るよう促した。
もう一つの扉。其方は黒漆でなく鉄扉だ。物理的にも重々しい扉をユーリックとトビはゆっくりと引いた。
その瞬間、紙独特の匂いが立ち込めた。
朝一番に出かけた甲斐あってか、人の気配は無い。
外観の大きさそのままの部屋がそこにあり、魔術書関連が収められた書庫は広く、隅々まで書棚が並べられていた。
整然と立ち並び、吹き抜けとなった二階のそこにも、また多くの書棚が並ぶ。
二階からは光を取り込むが、書棚に直接当たらない様に調整され、薄暗くも字は読めるだろう。
南部にも書府はある。けれど規模が違った。南部の書府は、黒曜館と同じぐらいの大きさの建物の中に、魔術書だけでなく取り扱う全ての書籍が収められているのだ。その中でも、魔術書関連は少ない。
正に、ユーリックにとって目を見張る光景だった。目を奪われ立ち尽くすユーリックに、トビは微笑みながらも優しく背中を押した。
「さ、行くぞ」
「……うん」
背を押された先は、鉄扉の真横に置かれた卓だ。その上には、何冊もの目録が並べ置かれている。
ユーリックの目的は、ビフロンスの新書だった。勿論、古書も目を通したいが、此処にはエンディルや、エンディル同様に魔術の発達したファランからの新書も古書も軒並み揃っている。
「これは別にお使いじゃないし好きな資料漁れば良いけど、時間は無駄にするなよ。最終的には何もなくても保証金の二割は取られるんだからな」
「……え?」
――二割?
とユーリックは思わず顔を上げ、隣で同じく目録を覗き込んでいたトビの顔を見つめて聞き返す。
「施設の使用料、閲覧料、情報持ち出し料、蔵書の保管費維持費なんかを取られるんだよ。師父曰く、安い方だってさ」
ユーリックは呆然としながらも、トビが支払った金貨の枚数を思い出す。
そう、確か十枚(一枚、十万円ぐらい)――と、わざわざ指折り数えてみるも、その価値を思うとユーリックの背筋にヒヤリと冷たいものが流れた。
「二週間分だからな」
ユーリックの驚きを前に揶揄う余裕があるトビは、ニヤリと笑う。
保証金は、てっきり全額返ってくるものだと思っていたユーリックにとっては、恐ろしい事この上ない。恐らく、真面目に修学に励めばロアンがその二割を請求する事は無いだろう。無いだろうが――ユーリックの顔色はこの世の終わりと言わんばかりに澱んでいた。
「……先に言って」
「後な、さっき貰った書籍だけどな」
そう言って、トビは検閲で手渡された書籍二冊のうち一冊をユーリックへと差し出す。ユーリックがパラパラと頁を捲ってみるも、中は白紙だ。
「これに写しとかを書き留めればいいんだけど。持って帰れるのは閲覧最終日だけだからな。それ以外で持ち出すと、持ち込みができなくなる上に、もう一回ぼったくりの値段で同じものを買わされる」
「何で……」
「ここ、書籍の持ち込み禁止。インクも、備え付けのやつだけだ。帰る時は、また検閲受ける事になる」
要は、盗難防止の為に厳重に管理されているのだと、トビはため息混じりに語った。
それだけ重要な書籍ばかりなのだ。そう思うと、再び紙の匂いがユーリックの鼻を掠めた。新書の匂いも、古書の匂いも混じった独特な匂い。けれど、いつも使うロアンが集めた書籍達とはまた違った匂い。
二週間、存分に知識を楽しめる。ユーリックは、書庫全体を一望したかと思うとふわりと笑った。
ユーリックが余裕を取り戻した様子に、トビもつられて口角が上がる。
「さてと、そろそろ始めますか」
「うん」
意気揚々と二人は肩を並べて再び目録を覗き込んでいた。
◆
円を模して並べられた椅子に、重々たる顔ぶれが十の数並ぶ。
その席に座る者は最初から決められている。その十ある椅子の中でも一番重厚で玉座にも似た重苦しくも銀で彩られた外観のそれに座るのは、十人の中で一等老いた姿を見せる最長老だ。
己が権力を誇示して、眼前に並ぶ残り九つに示す。特に、序列二位である男に。
暖炉が焚かれたその部屋で重苦しい空気に飲まれそうになるのは、大概老師の背後に立ち側近を務める者達だ。嫌な緊迫感が続くのは、序列一位である最長老と二位であるロアン老師が敵対している事であろう。
対外的にロアンは従順に最長老の命令に従っている。が、どう見ても険悪極まりない。
同じ、魔術師。同じく、古くから続く夜門を統制してきた二人。だがしかし、互いの中に残る遺恨が、溝をつくり隔てている。
今も、ロアンは悠然と椅子に深々と座り無作法にも肘をつく。その姿を、フガク最長老は忌避して睨め付けた。
探り合うまでも無くお互い嫌悪を隠しもしないものだから尚悪い。
だが、会合はその程度で動揺を見せる者は背後で控える側近ぐらいだろう。
老師という座に在る者達は最長老とロアン老師程露骨でなくとも、腹に一物もニ物も抱えているのだ。
そんな状況下、パチリと暖炉の薪が爆ぜた。
無音の中に生まれた音を皮切りに、最長老が蓄えた顎髭を鷲頭噛むように撫でながら、その口が動いた。
「此度もよく集まった。して、四方の状況は中々に伝わっては来ぬ。話を聞かせてもらおうか」
嗄れた声に合わせて、椅子に座る者達の目線が動く。その瞬間、暖炉でしっかりと暖まった部屋が薄ら寒い空気で包まれた。
誰しもが腹の中に本音を隠し、語られる言葉の真偽を見極める。また虚偽を語るであらば、それこそ真として貫かねばならぬ。
さてさて、会合などという名目の腹の探り合いの始まりだ。
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