二 師父と弟子 壱

 ユーリックが白い山を眺めてどれくらい経った頃か。ガタンと、門が開いた。中庭に直結しているそれが開くと、最初に黒色の馬が顔を出す。

 

 ――帰ってきた

 

 ユーリックはそれまで休めていた腰を慌てて起こすと、門へと駆け寄った。


 ゆっくりと門が開くと馬の隣には、身の丈が六尺四寸(百九十三㎝ぐらい)もある大男が手綱を引いていた。眉間に皺を寄せ不機嫌な顔を晒した男は、顔半分に獣につけられたであろう傷跡が三本と目立つのもあってか今にも人一人殺しそうな勢いに凶悪な顔立ちだ。中年期程の歳の頃に見えるがである。


「お帰りなさい」

 

 門へと駆け寄ったユーリックに、引いていた馬の手綱を渡すと男は更に不機嫌な顔つきを向けていた。


「仕事は終わったのか」

「……薪割りと水汲みは終わりました」

「昨日言った事は」

「……まだです」


 はあ、とあからさまな溜息だ。男――ユーリックの師父であるロアンが苛ついた時の癖で、ユーリックはこれが嫌いだった。わかりやすくて良いというものでもなく、苛つきが口だけでなく身体中から滲み出ているのかと思える程に不機嫌の表れでしか無い。


「お前は良い加減学んだらどうだ、逃げるのは飽きたんだろう」

「……すみません」


 ユーリックはしどろもどろに目線を逸らす。師父の叱咤は基本、拳だ。目の辺りを殴られると不便になるから、出来る事なら頭頂部のあたりか腹部で済ませたいと師父が苛ついた時は顔を俯ける癖ができていた。が、手綱を握っているからか、拳は飛んで来ない。

 ユーリックはそろりと師父の様子を伺いながらも目線を上げた。

 

 師父は苛つきを残しながらも荷物を手に、屋敷の中へと向かっていた。となると苛つきの捌け口は稽古の時だろうか、とユーリックは馬の手綱を引きながらぼんやりと考えていた。

 

 毎度の事だが師父が無事帰ってきたと言う事実にユーリックは落ち込んだ。そう易々と傷一つすら負わない人物であるが、ユーリックは師父の顔を見る度に憂鬱でしかなった。仕方なく、今日も馬を厩舎に繋ぎ餌と水を適当に用意すると、急足で屋敷の中に入った師父を追ったのだった。


 ◆


 古来、エンディルという国から三人の賢者『ビフロンス』『バラム』『ヴィネ』により、魔術なる力が齎された。

 その力は、特定の条件さえ満たしてしまえば誰しもが会得できるものであり、更には極めれば『不死』なる存在にまで上り詰める事が出来る力でもあった。

 三人はその力を世界に渡って広めようと惜しみなく魔術を披露しては、弟子を取り少しずつ勢力を広めていった。


 今では、その力を知らぬ者など存在しないと言われる程に猛威を振るい、時には脅威となる迄に勢力を広げている。

 

 魔術とは、奇跡ではなく科学である。

 

 原理を知り、元素を知り、化学式を知り、その身に触れ、その知識と経験が力の源として構成され、幻を現実たらしめる力とされている。 

 無から有を生み出し、幻を具現化する力を持つ集団。一見して、それを物語に登場する『魔法』や『奇跡』と言い表す者がある程に、原理を知らぬ者からすれば、魔術師はかくも恐ろしい存在であった。 


 ◆

  

 ユーリックは蝋燭一本が灯る薄暗い部屋の中、椅子に前屈みに構えて座る師父ロアンを前に、強張った顔つきで佇んでいた。

 ロアンの目の鋭さは、獲物を付け狙う鷹そのものだ。

 薄明かりに照らされた強面の顔から送られる鋭い視線が、ユーリックの心臓を握り潰しそうで他ならない。その様が恐々とした張り詰めた空気を生み出し、ユーリックの緊張は増すばかりだ。

 その空気の中、ユーリックは手を身体の前で組み真っ直ぐに下げた状態を保ち、身体全体に力を込め続けていた。

 

 力――魔素なる命の流れ。

 魔術師の本質たるその力は、第二の命と呼ばれている。


 人の内には、例外を除き誰しもが持つ第二の力が大なり小なり存在する。しかし、その力は何もしなければ十歳の頃を過ぎたあたりから殆どが自然と本来の命の中に溶けて消えてしまうものだ。それを独自の技術で確立させ魔素なる存在にしたのが魔術師だ。

 その中核たる心臓部。そこに確立させた魔素の源になる第二の命の核がある。

 魔素の器、核、第二の心臓と呼び名は様々であるが、その核を身体の血の巡りに乗せる事で、人は奇跡にも近い力を手に入れたとされている。

 そして今、ユーリックも己の内にある魔素を躍動させる事で、力を解放しようとしていた。


 ふと、部屋の空気が変わった。

 それまで夏季独特のじめじめとした空気が漂っていた部屋だったが、突如カラリと空気が乾いたのだ。徐々に気温が下がり始め、ユーリックの口からは冷気が溢れる。

 凍える様な冷気が立ち込め、部屋の床板や壁には霜が張り付き始めた。冬季を思わせる寒さが場を支配する中でロアンは顔色一つ変えない上に、冷気に晒されていない。それどころか、少しずつロアンを中心として凍りついた部分が溶け始めていた。


「遅え。そんなちんたらやってたら、あっという間に死ぬぞ」


 ロアンの口が動くと同時に今度は熱気がユーリックに押し寄せた。一瞬で凍った筈の水分が溶け、再びじめじめとした空間に戻る。それどころか、今度はユーリックが汗をかき始めた。ユーリックは更に力を込め、魔素を巡らせる速度を早める。それこそ心臓が脈打つよりも、もっと早く――


 冷気は更に強まる。が、熱気を押し返す事ができない。


 こう言った時、ロアンはユーリックを殺す勢いで稽古をつける。口は悪いが、師として厳しくも確かな道を選ぶ。

 

『人は追い詰められた時程、己が力を遺憾無く発揮する』

 

 それが、ロアンの持論だった。まあ、ロアンの性格上甘やかすという言葉を知らないというのもあるのだろう。今も、ユーリックに一等得意な魔術を使わせる一方で対極である熱を発生させ、ユーリックの力を押し除けている。それどころか、今ユーリックの魔素は創り上げた冷気の要素で染まっており、熱気に侵される事で肉体の内部まで影響し、ユーリックを痛めつけていた。

 勿論、ユーリックがロアンに押し負けぬ程に力を使いこなせれば、痛みは生じないのではあるが――


 ユーリックが、力を途絶えさせる程に弱れば、ロアンとて力を緩めるか修練を止めるだろう。しかし、ユーリックも性格に難があった。

 端的に言えば、負けず嫌いというやつだ。


 押し負けていると解している上に、実力など敵う敵わない程度の差でないのも痛感している。だが、弱音など吐いている余裕などユーリックにはない。

 ユーリックの紅色の瞳もまた、鋭敏な殺意が込められていた。


 沸々と痛みと共に込み上げる殺意が強まると共に、ユーリックの纏う冷気がより鋭さを増し、肌を切り付ける程の冷気がロアンの創り出した熱気を押し返した。

 ロアンへと辿り着く事こそなかったが、あと一歩壁一枚と言ったところで、ロアンが「まあまあか」、と零した。   


「良いだろう」


 眼光鋭いままだったロアンの熱気がふっと消えた。と同時に、ユーリックの冷気も途絶える。

 相殺された冷気はあっという間に鎮まり、じわじわと真っ当な夏らしさが戻りつつあった。


 ロアンは立ち上がると、ユーリックを頭のてっぺんから爪先までジロジロと見下すように眺める。軽く肩で息をしてはいたが、疲れは見えない。 


「余裕はありそうだな、外に出るぞ」


 と言って、ずかずかと屋敷の外へと向かった。

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