五 弟子の一日 弍

 辰帝国は、貧しい国だ。統一国家などと大々的に謳っているが、実際は無理矢理に捩じ伏せ服従させた小国ばかりで内乱が絶えず続いている。

 その為に戦災孤児も多いが、貧しさゆえに子供を売り払う親が多いのも事実だった。


 ある一定の器量があれば妓楼か貴族に売り払われ、女を売る日々が待っている。男でも似た様なものだ。

 手先の器用さを買われたら、扱いこそ優劣あるが使用人や下働きとして扱き使われる。

 更にその下は、家畜同然の扱いすら待っているという。

   

 だが、運良く素質を見出され魔術師に拾われたのなら、僥倖だ。

 魔術師は孤児の集まりだ。拾った魔術師の良し悪しと命懸けの修練が待ち受けてはいるが、最低でもある一定の生活は保証されるし、上位の魔術師となれたなら貴族とも張り合える地位が手に入る。それを夢見る者もいれば、ただひたすらに修練に励む者、現実に打ちのめされる者も少なく無い。


 ユーリックも、例外に漏れず孤児だった。拾われる前の記憶は薄弱として、どう捨てられたのかすら思い出せない。

 だから、今の状況は幸運なのだと、メイだけでなく時折ロアンの家に訪れる兄弟子達までもが口を揃えて言った。


 兄弟子達は崇拝にも近い信頼を師父ロアンへと思い抱く。

 ロアンは優秀な魔術師であり、魔術師としての地位も高い。その上、教育者としてはロアン以上の人物はいないと評されている。

 魔術師というと、頭でっかちの集団を思い起こす者も多い。が、これを覆したのはロアンだと言われている。

 魔素の保有量。即ち、魔素の器とされる、核。この核の大きさは、生まれ持った才能だと言われ続けてきた。多少は精神性に左右されたり、第一の命を消費する事で魔素量の変動は確かにあるが、微々たるものだ。

 だから、生まれ持った才能で魔術師としての地位が決まるとまで言われていた程だ。


 しかし、ロアンはそれまでの常識を覆し、魔素の保有量を向上させた先駆者として名を上げた。

 肉体を鍛え、精神を鍛える。それにより、僅かずつではあったが魔素量の限界値は上がって行った。魔術師は不死の術により、老いは止まる。止まるが、油断すればあっさりと寿命は進み始める。常に魔素を肉体に巡らせ続け、肉体を不変の器へと昇華せねばならない。 

 精神性が不死へと影響する事は常々言われてきた事ではあったが、肉体を巡らせる魔素の道筋にも相応に精神性が作用されると、ロアンは考えた。

 魔素の道筋は、人の肉体を巡る血管の上を走っているとされるが、これはあくまでも魔術師が脳裏に想像しやすいものを教育してきた結果でもある。

 創造性。それは、魔術を形作る上で欠かせない。

  

 何せ、魔術を形創るのは、あくまで想像なのだ。しかし、思い浮かべた火に温度がないように、魔素で形創っただけでは魔術はただの幻術に過ぎない。

 そこに、知識や経験を上乗せする事により、初めて魔術は具現として現れるのだ。

 だからこそ、魔術師は現実に存在する血管という血の流れを利用して魔素の道筋を創り出した。その結果として筋肉の動きや、血管の収縮すらも精神により魔素の道筋に影響する事が判明したのだ。

  

 これを回避すべく、ロアンがとった行動はいたく簡単なものだった。単純に己が肉体を鍛えたのだ。

 肉体を鍛える事が精神を鍛える事に繋がり、更にはその鍛えた肉体により精神の僅かな影響も受けない強靭な肉体が出来上がる。更には、動体視力や反射神経、瞬発力といったものが副産物として軒並み鍛えられた。凡そ魔術師とは関わりの無い事柄もにも思われたが、その副産物こそが、魔術師を只の技巧ぎこう派でない存在へと仕立て上げたのだ。

 当時はロアンを嘲笑う者もあったという。が、今やロアンを見下ろせる人物は只の一人だけだろう。


 ロアンの技術は他の魔術師達にも伝えられ、現在多くの魔術師がロアンの手法を見習っている。それは、が、既に数百年を生きる魔術師という結果がそこに息づいているのだから尚の事だろう。

   

 ロアンの厳しさは、弟子を自らと同じ頂きへと導かんとする為だから仕方がないのだと熱弁する兄弟子達は、実際に優秀な魔術師として功績を残している。


 だから、兄弟子達はユーリックにこぞって言うのだ。『お前は恵まれている』のだと。


 ユーリックにとって、そうやって勝手に決めつけられる事がこの上なく忌避する事だった。けれど、どう足掻いても兄弟子達が口にする言葉は真実で、それを否定する力もなく未だそこから抜け出せずにいる自分自身が、ユーリックは何よりも腹立たしかった。


 ◆


 部屋の掃除が終わり、朝の残りを昼餉に腹を満たすとそのまま書庫へと入り浸り課題に取り組む。

 下手に関係ない書物を手にしようものなら、ユーリックは只の読書に没頭してしまう。なので、書庫へ入った時は真っ先に目当ての書籍を探す事にしている。


 壁は入り口以外四方全てが天井まで詰まった書棚が並んでいる。その上、窓際に二つ机が用意されているだけで、中央も三つの六尺はある書棚が並んで人が隙間はひと一人通る程度にしか開けられていない。

 本で埋め尽くされたそこは、宝の山と言っても良いだろう。それだけで、ロアンが本来ならボロ家に住む必要がない程に資産があると伺えるぐらいだ。


 本は贅沢品だ。そして、本が読める事は贅沢だ。

 特に読み書きなんて女には必要ないと言われているぐらいに、学ぶ機会があるのは兄弟子達の言う通り恵まれている。

 魔術師の弟子という身分をユーリックが最も実感する時間でもあったが、兄弟子達の様にを目指そうという気概だけは湧いてはきやしない。


 一昨日出された課題は、エンディルという国の魔術書(現代で言う科学論文に値する)の翻訳だ。最も魔術に発達した国であり、三人の賢者の祖国でもあるエンディルの魔術書は貴重だ。

 ユーリックが目録から目当ての本を探し出すと、分厚くどっしりとした装丁と厚紙、そして手書きではない印字された文字の羅列。

 写しの書物が多い中でも、存在感を重厚に物語るその一冊が如何に重要かをユーリックに語りかける。

 知識と経験は魔術師にとって財産にも等しい。それが例え、頭の中にだけあるものだったとしても、だ。


 ずしりと重くのしかかった本をユーリックは窓際の机に運ぶと壊れ物でも扱っているかの様にそっと置いた。

 一ページを噛み締める様に捲る度に、古びた紙の香りが立ち込める。

 

 著者の名はフィーア=ビフロンス。

 三賢者が実際に記した魔術書は一つとして残っていない。賢者の名は名誉として代々継承され、この著者も名誉を引き継いだ誰かだ。


 なんとなくだが、記された名前が女性的かも知れないと、遠い異国の地に在る顔も知らない人物を思い浮かべる。

 ユーリックにとって小さな希望であり、『女』である事に既視感を覚えている人物でもあった。


 ぼんやりとした想いに馳せながら、ユーリックはまた一頁を捲っていく。

 机の中にある紙とペンにインクを取り出して書き留める準備が整うと、指で文字をなぞり、ゆっくりとだが読み解いった。

 時々わからない単語が出てくると今度は辞書を手に取り、調べる。

 時間がゆっくりと流れていくのも気が付かず、ユーリックは只管に机に向かった。只の翻訳だが、己が知識で満たされる事が嬉しくて手が止まらない。

 新たな言葉、新たな知識、それが、ユーリックにとっての至福とも言えるのかもしれない。

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