34.いったい何番目の法則なんだと思い

 渋谷のスクランブル交差点は、たびたび日本では全国ニュースに登場する。その一つはサッカー日本代表の応援者による大騒ぎであり、もう一つはハロウィンでの仮装だ。


 ハロウィンとは元々は古代ケルトのサウィンの祭で、収穫祭と日本でいえばお彼岸が混ざった祭が期限であるようだ。その仮装についても、あの世から来る者に連れていかれないように、自分たちもオバケの格好をしてごまかす意図がある。


 ただ、渋谷のハロウィンは、仮装パーティを拡大したものという印象が大きい。あるいは仮装し、あるいはそれを観て楽しみ、その日その場に集まった個々人が一体感を感じて楽しむ。


 渋谷のハロウィンも、サッカーの応援も、集まる者はそれぞれに出会いを求めているわけでは無いのだ。ただ、今この時、確かに自分が隣に立つ見知らぬ誰かと同じように、いまという時間を楽しんでいると確認するための儀式であり、祭であるのかも知れない。


 それは全体としてみれば大仰なものであったが、個々人に注目すればほんとうにささやかな思いかも知れなかった。


 そしていま、渋谷のスクランブル交差点では、祭が始まろうとしていた。




 渋谷に繰り出した志藤と山崎は、猫カフェでひたすらに癒されていた。猫たちはそれぞれに個性があったものの総じておとなしく、そのもふもふを愛でながら“猫は液体である”という説を店の中で確認したりしていた。


 穏やかな時間を過ごしていた二人だったが、山崎がスマホを使って写真をアプリで送ったりしていると、新しいメッセージが入った。バイト仲間の此諸ここもろからのもので、いま渋谷のスクランブル交差点に大量の黒ずくめの男たちが現れたという。


 此諸も知り合いから教わったそうだが、男たちは白いドーランを顔に塗り、大騒ぎすることもなく思い思いに交差点を渡るのを繰り返しているという。


「ココちゃんからメッセ飛んできたんやけど、スクランブル交差点で妙な連中が集まっとるらしいで」


「妙な連中って?」


 黒猫をおもちゃであやしていた志藤が、山崎に問うた。ココちゃんというのは恐らくだが、此諸ここもろのことだろう。


「多分、まえに駅前でみた人らの仲間ちゃうかなと思うんやけど、黒ずくめが交差点で行ったり来たりしとるらしいわ」


「……どう考えても面倒ごとに聞こえるんだけど、興味あるの?」


 志藤としてはこのまま猫たちとの時間を楽しみたい気持ちのほうが強かった。だが、ある瞬間、山崎の表情が変わった。それは微かな獣性を感じるような目つきとなり、気配の変化を感じたのか、猫たちが山崎から離れた。


「神無き祭は不義なれば、我はその仕儀を知らねばならぬ」


「祭、か。行った方がいいのか?」


「しどくん、今からでも行ってみよう。何か起きとる思うんや。私はそれを見届けなあかんとおもう」


 山崎の変化は一瞬だったが、祭という語に志藤は引っ掛かっていた。つい先日、バイトの休憩のとき、守谷にお願いされていた。もし日常の中で奇妙なもの、たとえば祭やイベントごとのような、人が集まる普段見かけないものを知ったとき教えてほしいと言われていたのだ。


「……分かった、また猫カフェはこればいいもんな」


「また来るで! そんな当たり前やん! そらもう宇宙の法則やいうてかめへんよ?」


 いったい何番目の法則なんだと思いつつ、志藤は猫カフェにハマりつつある山崎を見て笑った。




 猫カフェを出た二人はスクランブル交差点に向かった。体感だが、先ほど自分達がうろついていた時よりも、人通りは多いようだ。


 近づいて行けば交差点の脇には機動隊の車両も見える。そして、交差点には黒づくめの男たちの姿があった。


「さっき聞いたみたいになってるな」


「そやね、警察とか来とるけど、何か観察しとる感じやろか」


 志藤が視線を走らせると、所々で警官が黒づくめの男を引き留めて職務質問をしているようだ。だが遠目に観察しても、男たちは淡々と応じているようで、派出所などに連れて行かれる手合いは見られない。


 二人がスクランブル交差点の直ぐ近くまで行くと、男たちは騒ぐでもなく、まるでハンズフリーのスマホで会話するような声量で同じセリフを繰り返していた。『凍土期融けろ』とだけ繰り返す男たちは確かに不審者の集団だった。


「なんで捕まえないんだろ?」


「分からんけど、グループでは無くて個人が集まっただけなら、警察では対処が難しいのかも知れん」


 ビジネスマンだろうか、スーツ姿の男たちが、志藤たちの傍らでそんなことを話している。


 確かに黒づくめの男たちが一つの集団であるならば、それを取り締まるなり対処ができるだろう。だがそれが、奇抜な格好をした個人がたまたま同じ場所で散策しているだけならどうなるのか。


 不審者であるならば対処しなければならないが、少々奇抜な格好をして他人に迷惑を掛けずに歩くだけなら、警察は動きにくいのかも知れなかった。


「……パフォーマンスというには異様だな」


「さっき猫カフェでな、一瞬だけ私にお稲荷さんが入っとったんや」


「お稲荷さん?」


「詳しいことはまた話すけど、私たまにそういうんがあるんや」


 突然の山崎の言葉に当惑する志藤だったが、それでもバイト先にはオカルト関係に明るい者が多い。取り敢えずはそういうものなのだと理解する。


「そんでな、この人らは祭をしたはるから、それを見極めなあかん言われたんよ」


「これが……祭なのか?」


「神無き祭言ったはったんや。……いまから少しやけど、稲荷さんが入るから、しどくんそばに居とって?」


「分かった」


 次の瞬間、山崎の目は獣性を帯び、その身体には神気が満ちた。


「誰ぞ居らぬか、その隠れし貌を見せたもれ」


 その瞬間、スクランブル交差点周辺で時が止まった。


 歩行者が渡り行くところで止まった時の狭間で、山崎の身体を使って白狐が歩む。交差点のほぼ中央まで進むと、白狐たる山崎は中空を睨んだ。


「其は三嶋の龍か、此奴らは龍の手に依るか」


 彼女が問えば、虚空には龍の姿が生じた。


「如何にも儂は龍なれど、こやつらは各々の身口意にてここに集まったに過ぎぬ」


「さて、神無き祭は不義なれど、その仕儀は如何なるや」


「此度は先触れよ。狐よ、明けぬ冬や明けぬ夜は義か不義か。儂が伝うるは、世に義をもたらす助けに過ぎぬ」


「其れが真なれば義は在ろう。然らば何処いずこに神の身を見んとす」


「なに、あずまの京は仕掛けが多すぎる。出入りに向く地は港なれば、いずれ神は在らん」


「心得た」


 白狐の言葉に豪快に笑うと、龍は身をくねらせて空高く飛び、南の方へと空に光跡を描いて飛び去った。


「全て見聞きしたな。あやつに違わず伝えよ」


 山崎に宿った白狐はそう告げて、山崎の身から離れた。


 次の瞬間、時が動き出した。


「山崎?!」


 志藤が気づくと傍らには山崎の姿はなく、反射的に見渡すとスクランブル交差点の中央で倒れゆく彼女の姿があった。志藤はそれを視認した瞬間に駆け出し、交差点を進む人混みを縫って傍らまで進む。そして倒れた山崎を腕の中に抱えると、そのまま交差点を渡り切った。


 歩道では警戒中だった警官が数名ほど二人に掛け寄った。志藤は自分たちが渋谷に遊びに来ていたが、目を離したら友人が交差点で倒れたと告げた。


 志藤の腕の中の山崎に女性警官が大丈夫かと声を掛けると、すぐに反応があり、山崎は目を開けた。自身が志藤にいわゆるお姫様抱っこされていることに気づくと、おお、と呻いた。


「しどくん、もうだいじょうぶやから降ろして欲しいんやけど」


「ああ、分かった」


「済みません、……たぶん貧血やと思うけど、気づいたら倒れとったんです」


 女性警官に説明を始める山崎だったが、意識ははっきりしているように見えた。


 その場に警視庁の者だと名乗る黒スーツの女性が来たが、志藤と山崎に少しだけ話を聞きたいので同行してほしいと言われた。


 スクランブル交差点から少し離れたところに止められたシルバーのワンボックス車に案内され、二人は渋谷に遊びに来たことなどを説明した。交差点で山崎が倒れた件については、志藤が目を離した隙に離れてしまい、そこで山崎が振り返ったら気を失ったと説明した。


 刑事を名乗る女性は一通り話を聞いた後、志藤たちのカバンの中を簡単に確認するやり取りをした。犯罪に結びつくようなことも無いと判断したのだろう、刑事たちは希望するなら病院へ連れていくことを提案してくれた。それに対して山崎は、少し休んで帰るから大丈夫だと告げ、二人は解放された。


 志藤と山崎はスクランブル交差点を遠ざかるように、表参道の方角へとゆっくり歩いていた。


「いきなり居なくなるから心配したんだぞ、交差点の真ん中で倒れてるし」


「ごめんな、……ううん、ありがとうやな、しどくん」


「大丈夫なのか、ほんとに?」


「うん、体調とかは大丈夫やけど、いまえらいおなかすいとるんやわ」


「ああ、ここまでガッツリしたメシとかは食べてないな」


「肉たべたいし、バーガーいこ、バーガー」


 目の前で倒れた女子に、その後で『肉食べたい』と言われ、志藤は強引にでも病院に連れて行った方がいいのではないかと考え始めた。だが、そんな志藤の考えを見透かしたのか、山崎はふふっと笑った。


「ほんまに病院とかは大丈夫やし、バーガーは食べたいんやわ」


「まあ、この辺りなら店知ってるけどさ」


「食べながら、お稲荷さんがさっき来はったときのこと説明するわ」


 そう言いながら山崎が志藤に手を差し出したので、その手を取って志藤たちは歩き始めた。

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