14.そんな濃いの大丈夫か

 ここのところ色々のことがあったうえに、ハトに関する妙なことを知ってしまった。俺は厄払いの意味も込めて、つぎの仕事が休みの日に稲荷神社に参拝することにした。実家近くの稲荷社での縁を、忘れていたことも謝らねば。


 酒屋に寄りつつ電車を乗り継ぎ、伏見から分祀されたという神社に伺った。新しさと偉容を感じる参道を進み、社務所にまずは伺う。


 事前確認もせずに持ち込んだ酒は、断られたらどうするかとも思っていた。神様へのお礼で伺ったので、お供えに使って貰えたらと日本酒を渡すと、俺に対応した者はそのまま受け取ってくれた。


 先ずは一安心し、手を清めてから参拝を済ませた。参拝の内容は先日の礼とこれまでの無沙汰ぶさたへの謝罪、そして日ごろの売上げへの感謝である。


 稲荷神へ最低限の礼儀は示せたのではないか、などと思った。気持ち、心の重しのようなものが軽くなった気がする。


 ふと、背後に人の気配を感じて振り返る。そこには和服の少女が薄く笑って立っていた。


 若苗色わかなえいろというのだったか、新芽のような柔らかい緑の着物を着ている。髪はポニーテールを高めに結び、黄色のかんざしを使っていた。年齢は高校生くらいに見える。


 彼女の雰囲気は弓道場にでも居るのが似合いそうだった。何かを射抜くのを得意にしてそうだと感じたが、その眼は今は優しい。その子は俺と目を合わせると、すっと胸の前で手を合わせた。俺は反射的に目礼を返した。


「グッドですやん」


 鈴の音のような通る声で少女は囁くと、その手を戻した。誰か知り合いにいただろうかと思い出そうとするが、心当たりは無い。


 戸惑っている俺の傍らを通り過ぎると、そのまま賽銭箱の脇を通って履き物を脱ぎ、それを手にして拝殿の奥に入って行った。さすがにいま俺は現実に居るので、ここが神社でも彼女が神様の類いということは無いだろう、たぶん。俺は首を傾げつつ、その場を辞した。


 参拝後に、弁天の寺社にも伺うべきか脳裏によぎったが、今日のところはこれで善しとする。というか、西王母はともかく、マアトに参拝できるところとかあるんだろうか。西王母の祭壇は中華街とかに行けば見つかるのかも知れないが、浅菜に聞くのが早そうだ。


 神社の参拝を済ませ、俺は都内の貸しスタジオに向かった。照汰でるたと合流するためだ。この前持ち込まれた俺の副業の話について、もう少し詳しく聞こうと思う。




 決めた時間に吉祥寺にある指定の貸しスタジオの前に行くと、ケースに入れたギターを背負って照汰が待っていた。


「いやぁ、休みの日にすんません」


「いいよ、ふだん助けてもらってるしな」


 仕事着と違って、照汰はロンTにカゴパンとブーツで、まとめていない長髪である。ずい分印象が変わるが、リラックスしている様子は伺えた。


 こちらとしては仕事の上司とはいえ、半分は同年代のダチみたいなつもりではある。……こちらの方が年喰ってるけどさ。だから、気軽に接してくれるのは嬉しかった。


「肉あんかけチャーハン行きません? ぼく、朝食ってないんです」


「空きっ腹にそんな濃いの大丈夫か?」


「余裕ですわ」


 若いなぁと思うけれど、口に出したら主に自身の加齢な意味でヤバい気がするので、気にしないことにする。ともあれ、そんなやり取りをして、俺たちは先ず腹ごしらえをした。




 食事を済ませた後、だらだらと歩いて井の頭公園に向かった。公園の入り口で案内板を見ると、園内に弁天堂がある事に気が付いた。稲荷社を参ったあと考えていたこともあり、折角なので参拝することにした。礼を言わなくちゃ。手ぶらだけど。


「なあ、弁天さまにお参りしたいんだけど、時間あるか?」


「ええですよ。芸能の神さまやし、こんどのぼくらのライブの成功もお願いしときますわ」


 二人で樹々の中を進むと、公園の池に浮かぶように見える赤いお堂が目に入ってきた。平日昼間なのに意外と客が居るんだなと思いながら歩くと、石灯籠までたどり着いた。そこからお堂を眺めると、細い太鼓橋の向こうにお堂が見えた。


 太鼓橋の入り口で団体客が渡り切るのを待ってから自分も渡る。団体客とすれ違ったとき、末尾に若い女性が居た。彼女が通り過ぎたとき、香水だろうか鼻腔に柑橘系の香りがかすかに残った。


 何かに引っ掛かって橋の真ん中で思わず振り返ると、視線の先には照汰が居る。彼の肩越しに向こうをみると、俺を通り過ぎた団体客が居た。ただ、通り過ぎたはずの女性は、周辺には見られなかった。


「どしたんです?」


「……何でもない、知り合いとすれ違った気がしただけさ」


「そですか」


 そうして俺たちはそれぞれに参拝を済ませ、池の周りを散策して空いているベンチを見つけ、一息ついた。




 自販機で買った飲み物を啜りつつ、池の水面と風に揺れる樹々を見る。


「何か普通の散策みたいになって悪かったな」


「そんなんいうのやったら、店長の休みに呼び出したぼくの方が問題ですやん。それに、休みの日にせかせかと次の予定を気にするんは、ぼく的にはどうかとおもうんです」


「そっか」


「そですよ。フリーダム・イズ・ナッスィン・バッタ・チャンス・トゥ・ビー・ベター」


「うん?」


「自由にするのはいい機会、だそうです。ぼくらは機械じゃないですし」


「……機会と機械を掛けてる?」


 わりと適当な心持ちで照汰と話しながら、俺たちは自由な時間を楽しんでいた。それでも、そもそもの本題について細かい話をしなければならない。


 話題が途切れたタイミングで、話を振ってみた。


「そですね。すこし前にぼくの高校のときのツレから、探し物ができる知り合いがおらんかメッセージがきたんですわ」


 反社会的勢力以外なら、警備会社でも探偵でも素人でも何だったらオカルトでも良いので、探し物に実績がある者をとにかく集めているという連絡があったという。連絡をしてきたのは高校時代の友人で、大学では文系に進み、今は文化財保護の仕事をしているそうだ。


 照汰が詳しく聞くと、門跡寺院もんぜきじいんの寺宝の仏像が一体、行方不明になっているという。門跡寺院というのは皇族や公家が住職をするような格式の高い寺で、その寺宝となると価値が高すぎるし表に出てこないものも多いという。


 件の仏像は、京都市内の何重にも秘された倉庫で保管されていたそうだ。半年ほど前に寺宝の目録と突き合わせて保存状態を確認していたとき、所在不明が発覚した。ところが、契約している警備会社や警察の捜査などでも盗難が行われたこと自体が確認できず、寺の関係者が困り果てているらしい。


 照汰の友人が関係者に泣き付かれ、税関なども含めた伝手を使って色々と探しているそうだが出てこないという。


「加えて、行方不明の仏像に特殊なまじないが掛けられとったみたいなんです」


「まじないか……」


「そです。保管場所から動かされると気配が消えるそうで、目の前にあってもその仏像と認識できなくなるとかなんとか」


「うわあ、面倒そう」


「いちおう、仏像と対になるフリスビーくらいのサイズの輪宝りんぽうとかいう法具を手にすると、仏像がどこにあっても認識できるようになるらしいんですが」


「まさか、それも無くしたとか」


 法具というのはこの場合、密教の儀式に用いられる道具だ。尊格ごとに固有の道具が定められていて、有名なものだと独鈷杵などの金剛杵がある。古代インドで武器として使われていたものが、仏教儀式のためにデフォルメされたような意匠をしている。


「同時期に所在不明になっとるらしいんですわ」


「……もうそれ、狂言じゃ無ければ内部犯行じゃねえの?」


 俺は唸るが、その辺りも入念に捜査がされ、それでも見つからないそうなのだ。加えて、もう一つ厄介な話があるという。


「仏像へのまじない云々とは別に、その仏像の中に特殊な経典が隠されてしまわれてたそうなんです」


「魔術を齧ってる俺が言うのも何だけど、いまどきお経の一つや二つが問題になるのか?」


「ツレが言うには、密教経典の一種らしいんです。何でも年号が変わるときに行われるような、密教の中でも特に効果があるとされる儀式があるそうです。そんで、その経典はその儀式の補足として用意されたもので、この国のあり方をリセットするような効果があるとか無いとか。ざっくり言えばリセットボタンの経典とか」


「うわあ……」


 思わず言葉を失った。入院騒動で西方の呪術的な働きが死とリセットということは、神格を交えて聞いている話だ。力の一端を身をもって経験してしまったしな。


 俺に伝わった時点で、今回はもう縁がある話なのだろうと考えてしまう。そして、一度その考えが染みついたら、どうにも拭えなくなってしまっていた。




 視線を移せば、孫を連れてきたのか老人が子どもと池でスワンボートに乗っていた。いま耳にした話とはかけ離れて、穏やかな日常がそこにはあった。


「ツレからは前金をあずかってて、この話をした時点で渡すと説明してます。いま渡せます」


「話は分かった、その探し物の話を受けさせてもらう」


 どうしますか、と問われれば俺は受けるべきだと、自らの裡で理解していた。


「ありがとう店長。あいつも助かると思います」


「まあ、やれるだけやってみるよ」


 俺は調査の向かう先に不安を感じつつ、そう答えた。


 その上で、調査に必要な情報の提供を照汰に頼んだ。門跡寺院の名と場所や、可能なら仏像の保管してあった倉庫の所在。仏像の名前や外見と、それと対になるという法具など。その他調査に必要な諸々の情報を、友人に確認してもらうよう告げた。


「それから、ツレからくぎを刺されたんですけど」


「どうした?」


「今回の依頼はあくまでも調査で、仏像と経典の所在が分かった段階で報告がほしいそうです。とりもどすとか何やらは、寺の方で動くそうなんですわ」


「分かった」


 俺は照汰の補足に頷いて、風に揺れる池の水面を眺めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る