13.それじゃあホラーですよ

 愛車バイクの調子は今日も良い。時差通勤で通勤ラッシュの時間帯からズレているから、時折信号機でストップアンドゴーを行う以外は、職場への道を快適に走っていく。


 杉山深銀すぎやまみしろは実家から、排気量五百の日本メーカー製ネイキッドクルーザーを快調に飛ばしていた。車体と自身に向かう風は心地よく、この前オイルを換えたばかりのエンジンは滑らかな感触でギヤを動かしているようだった。


 道すがら職場とは別のカフェチェーンが視界に入ると、杉山はここ数日のことを思った。職場に復帰した守谷はスタッフに謝り倒し、カフェチェーンのエリア長やらヘルプの連中に菓子折りを配って回ったようだ。


 斯くいう杉山は気合を込めて軽くローキックをかまし、お小言で応じておいた。ちなみに浅菜あさなも店長の腹に『ぽふ』と掌底を打ち込んでいた気がする。というか自分が打ち込むように促した気もするが。


 同時に心配したことも伝えたので、店長喀血入院事件は幕引きだろう。時々ネタ程度には語られるかも知れないけれど。


 そういえば数日後に、緊急設備点検の名目で店を早めに閉め、退院祝いをやる話になっていた。久喜くきさんが仕切っていたはずで、イタリアンか中華になるだろう。どうせ自分は酒がそれほど好きではないので、当日は愛車で移動し、それを名目に酒を回避するつもりだった。


「ポ~ンコ~ツ店長ー、今日も行く~。ポ~ンコ~ツ店長ー、今日も行く~」


 謎の歌詞と節回しで歌いながら愛車で走っていると、赤信号に引っ掛かった。何気なくヘルメットのシールド越しに、道が伸びていく直線の先を見ると、街の風景の中に五重塔ごじゅうのとうが生えていた。


 あそこは不動尊を奉る古刹こさつだと思い至る。杉山はしばらく伺っていない。また行かなければと考えながら、紅葉がキレイなんだよなとか、蓮の花もいいんだよな、などと思う。信号が変わり、杉山は愛車のエンジンを回し始めた。




 その老僧は淡々と寺の境内を掃いていた。背後には五重塔があり、周囲は緑に囲まれている。時間的なものか参拝客は比較的まばらで、穏やかな日差しとマイナスイオンがあった。


 看却下かんきゃっか、という言葉がある。字義通り足元を気を付けるのを促すことの他に、禅語として自らの人生の中での立ち位置や状況を看ることを促す。


 だが同時にこの言葉で、仏と自身とこの世が、いま自身の主観にある立ち位置を中心として、すべてここに在ることにも老僧は意念を巡らせる。


 半ば冗談を込めて、北極点や南極点の周りを何メートルか歩いて世界一周と笑うコンテンツがある。だが、認識の上では人はつねに自らを中心としてこの世界に在る。それは同時にこの此岸しがん彼岸ひがんが自らの意識をくびきとして繋がっている事でもある。ゆえに老僧は掃く。足元を掃く。掃くことになり切る。ここに在る自らと、このうつつと、あちら側が区別なく一体のものであるとして。そして自身は――


 ぱん、と乾いた音がその場に響く。


網膳もうぜんさまは、掃除になり切って居られましたね」


 老僧が我に返り傍らを見ると、良く知った顔があった。手を叩いたのは中年の僧だった。


観解かんげ慶刻けいこくか、済まんな。余りによい陽気のせいか、あの世に片足を出して居ったよ」


「いえ、網膳さまは見事な三昧でした!」


「儂などまだまだよ」


 観解と呼ばれた中年の僧は、慶刻と呼ばれた若い僧を伴い網膳を訪ねてきたようだ。二人は深く頭を下げ、そののち若い僧はやや興奮した様子で網膳に合掌した。


「それでどうした? わざわざ訪ねてきたのは挨拶のためでもあるまい」


「はい、先の祈祷ですが、対象になったものは命脈をつないだようです」


「そうか。ならばそれもまた仏の大悲だいひよ。――警告にはなったじゃろう、その者はもう捨て置け」


「分かりました」


 網膳とのやり取りで、観解は頷いた。その表情は、僧というには少しばかり会社員じみていた。


「報告はそれだけかな」


「例の経とその他も、順調に取り扱っております」


「そうか。足らんものがあればいつでも言うてくれ」


「分かりました」


 そこまで言葉を交わすと、観解と慶刻は網膳に合掌した。彼らに一つ頷くと、ところで、と網膳は自身の手にあるほうきを見る。


「院の仲間内では元締めでも、ここでは客分の老骨じゃ。老人の手を助けるのも修行にはなるじゃろう」


 そう告げて掃除道具を取りに二人を走らせた。網膳は穏やかな表情で二人を見送ってから、掃き掃除を再開した。




 ここ数日のことを思えば、本当に大変だった。その一言に尽きるだろう。俺はとにかく倒れたことよりも、その後処理で奔走した。エリア長はむしろかなり心配してくれたのだが。


 うちのスタッフに限っては、杉山からは物凄い笑顔で足を蹴られ、浅菜からは涙目で腹をどつかれ、子安さんには目が笑っていない笑顔で頬をつねられた。赤井やその他数名にはデコピンされたな。


 女性陣には色々と気合を入れられたが、男性陣からは素で心配された。シフトを組みなおすことを提案してくれたのだが、医師からは健康だとお墨付きをもらっていることもある。仕事の勘を戻したいこともあり、普段通りに働かせてもらうことになった。




 客から下げられたカップ類を洗い、厨房からレジカウンターに向かうと赤井が居た。


「ほんとうにもう、仕事にもどって大丈夫だったんですか?」


「大丈夫だって。退院までに再検査して、脳とか細かいところまで診ても異常はないって言われてる。俺としては、仕事の勘が鈍る方が怖いんだって」


 もう何度目か繰り返されたやり取りをした。じっさい言葉の通りだから仕方がない。


「身体にはほんとに気を付けてくださいね」


「親を含めて、色んな人から言われてる。もう迷惑を掛けたくないし、気を付けるよ」


 俺としては苦笑いを浮かべるしかない。それでも赤井の表情が普段通りなのは、俺の様子が普段通りだからかもしれない。


「身体といえば、つい昨日だったかな、ヘンなことがあったんですよ」


「ヘンなことって、通勤途中にで未確認生物UMAでも見かけたか?」


「いや、それだったらあたし的には“嬉しいこと”になるじゃないですか。そうじゃなくて、公園でベンチに座ったらハトが集団で寄ってきたんですけどね、妙な様子だったんです」


「どうした? いきなり人語で預言でもしゃべりだしたか?」


「それじゃあホラーですよ。……そうじゃなくて、『かゆいのかゆいの』って言いだしたんです。集団で」


 瞬間的に俺は昭和生まれの伝説的な芸人の持ちネタを想起したが、努めて頭の中を整理する。


 赤井は未確認生物のネタが大好きだが、大元は動物好きをこじらせて突き進んだらしい。その動物好きにしても、生き物の方から種を問わず好かれるうえに、意識を向けると殆どテレパシーに似た意志の疎通ができるようなのだ。


「かゆいのかゆいの、か。妙な伝染病が流行って無ければいいんだけどな」


「あたしも気になったんですけどね、大丈夫? 撫でてあげようか? って聞いたら『だいじょうぶ、とべるよ』って言ってたんです。『あっちのほうにいくとかゆいの』とか言ってる子もいましたね」


「あっちってどっちだ?」


「その集団がそろって東の方に向き直って『あっちー』とか言ってましたよ。いや、南東だったかな……なんか自分で話しててヤバい気がしてきたんですけど」


 カウンターから客の様子をそれとなく確認しながら、赤井は表情を曇らせた。


「あっちがどうしたんだい?」


 手が空いた浅菜が声を掛けた。俺から、赤井が公園でハトの集団に絡まれて、痒みを訴えられた話をする。


 浅菜は赤井と買い物に行く仲だ。その途中で幾度も迷いネコを保護し、飼い主やNPOに届ける場面を見ているそうだ。変わった例だと、フクロウを保護したこともあったようだ。赤井の種を超えたコミュニケーション能力は、俺より実感があるだろう。


「かゆいのかゆいの……東か南東の方を向いて痒みかぁ」


 浅菜は呟いて何か引っ掛かったのか、考え始めた。


「浅菜はハトの体調とかの知識があるのか?」


「ううん、そんなことは無いけどね。ちょっと思い出したことがあって」


 そう告げる浅菜の表情は、判断に迷っているような様子だった。


「なにかニュースでも思い出したか?」


「ええとね、ニュースとかじゃなくて痒みの方。前に確か僕の師匠から聞いた話なんだけれど、五行ごぎょうってあるでしょう?」


「陰陽五行の五行か」


「そうそう、それでね、漢方医学なんかで病気の症状について色んな分析がされているんだけれど、痒みも五行で特定の気に分類できるんだよ」


 そうか、その切り口があったか、と思う。


 魔術でも現実の事象と、魔術的な元素や星座や惑星、あるいは生命の樹に関連付けを行う。先だって弁天が、死を終わりという形で捉えて理解を止めるのを戒めたことを思い出す。


「五行の気でいえば、痒みは何の気に紐づくんだ?」


「さすがに僕も、師匠の豆知識を聞きかじっただけだからちょっと怪しいんだけど、皮ふの異常はごんの気に関連付くと思う」


「……金の気は、方角でいえばどこに当たるんだ?」


「方角? 金は西の方角と関連付くよ。これは間違いない」


 浅菜の説明を聞いたとき、鳥肌が立った。自身を集団祈祷で襲った大威徳明王は、西に座す尊格だ。


「店長、だいじょうぶかい? 顔が真っ青だよ」


 そう告げて浅菜は俺の腕をとる。


「いや、大丈夫だ。ちょっと嫌な予感がしただけさ」


 まだ、終わっていないのかもしれない。


 もしかしたら俺が襲われたことは、何かに繋がっているのかも知れなかった。

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