46.目に獣性が満ちその身には神気が

 横浜の国際会議場で起こる異変について、呪術的な面での警戒に参加していた俺たちだったが、空に巨大な輪宝が浮かび上がった。


 以前盗まれた門跡寺院の寺宝と同じデザインをしていたため、阿那律院の非主流派が、リセットボタン経典の知識を使った儀式を始めたことが考えられた。


 ところが、俺たちが対応について検討を始めたところで異変が起きたのだ。


 国際会議場を囲むように、天地を突くような巨大な黒い柱が下から複数生えてきた。正確な数を数えれば、黒い柱は八本あった。


「これ不測の事態とかとちゃうの?」


「なにやら不気味な気配だねえ」


 淡白な様子で評する照汰と、油断なく黒柱を観察する浅菜だったが、彼らの言葉を聞きながら俺は意識の中で今後の動きを組み立て始める。


 だが、次の瞬間一斉に八本の黒柱は、どくん、と拍動した。俺たちが黒柱へ意識を向けていると、異変はより近いところで起きた。


 グランモール公園に佇んでいた黒ずくめ達からガス状の幽体が噴出し、黒い肌をした人型となった。よく観察してみると、現れた人型の顔や体形は出現元となった人間を反映している。


「現実の生物の表示をやや透過させ、呪術的霊的存在の表示を強調!」


 俺が権能の力を用いて自分たちの霊的視覚の表示を調整すると。黒ずくめの服に黒い肌となった幽体たちは、一種異様な気配を辺りにまき散らしていた。


「やっぱりこの黒いのマハーカーラかな?」


「恐らくはそうでしょう。だとしてもこの数は一体……。ひとりに一つ出てきてるんでしょうか」


「とりあえず、この黒いのが北の方位いうんやったら、予定通り反対の南の属性で焼き払ってみるか?」


「照汰、焼くのは待ってくれ。とりあえず不気味なことはこの上ないけど、殺気とかはまき散らしてない。ただ、いつでも使えるようにしておいてくれ」


「わかったで」


 ちなみに俺はすでに、西洋魔術の火属性の大天使であるミカエルの召喚は前日に済ませてある。ミカエルの召喚には六番目の球体セフィラであるティファレトの力を用いた。俺が意識するだけでこの場にミカエルが現れる。




 俺の言葉を聞いて、照汰は召喚を始めた。


「イアイア・ニャルラトホテプ・フタグン、


 アビクノウイ分解よイーインオストウ始点を成せ


 イアイア・アザトース・フタグン、


 ゴースイ愚性よアデコートウィ世を象れ


 イアイア・クトゥグア・フタグン、


 エックノエーイノシィ根源の変性よアセーイクノルゥ我に力を


 イアイア・ヨグ=ソトース・フタグン、


 アグフノウィ包含よアイーノリィ世に在れ


 次の瞬間、照汰の眼前に赤い線で描かれた五芒星が生じ、やがて五芒星からは『どずりぐそり』とでもいうような名状しがたい重い響きを上げつつ獣の影が現れた。


 その姿は中型犬ほどの大きさをした三眼の赤竜だった。赤竜はいわゆる西洋竜の姿をしていたが、すぐに照汰の傍らで姿を消した。


「ちょっと、店長あれ見てよ。輪宝だっけ? 一部が黒く変色してる」


 浅菜に促され確認すると、輪宝のスポーク部分の一本が黒く変色を始めていた。上下でいえば輪宝の中央から上向きに生えていた箇所だ。


 それと同時に幽体のマハーカーラたちは、その場で足を踏み鳴らし始めた。最初はゆっくりとだったが、すべての個体が同じリズムでだんっだんっと地面を踏みしめている。あるいはそれは彼ら全員で踊っているかのようだ。




 やがてスポーク部分一本分が黒く染まると、染まった部分は赤い炎を上げて燃え始め、ゆっくりと輪宝が回り始めた。回る方向は、俺たちから見て反時計回りだが、黒く染まっていないスポークが真上に来るとさらなる異変が起きた。大地が鳴動し始めたのだ。


 周囲を観察していると、透過表示にしてある現実の群衆がスマホを取り出し画面を確認している。


 それをのぞき込んでみれば、緊急地震速報が表示されていた。


「地震おきてるよね? 現実で」


 浅菜がやや焦った表情で俺に告げる。巻倉は苦虫をつぶしたような表情を浮かべ、輪宝を見上げている。照汰は辺りの様子を油断なく警戒していた。


「これが“災害”だな。輪宝のスポーク部分一本が黒く染まるのにだいたい現実の時間で十五分弱かかってる」


「安全のために十二分と見積もったとして、残りがスポーク七本やから……、ぜんぶ染まるまで約八十分くらいてとこか。輪宝が一周まわったらやっぱ大きい地震とか来るんかね?」


「……どこから手を付けます?」


「黒く染まる原因から手を付けたいよ」


 浅菜の提案に、改めて俺は輪宝を観察すると、やがて魔術的視覚がロープというかチューブのようなものを捉えた。どうやら黒い柱から伸びているようだが、エネルギーの流れがあるだけで実体は無さそうだ。


 それを皆に告げると、黒柱の破壊か、せめて発生原因を把握しようということになった。いざ移動しようという時になって、俺たちは声を掛けられた。周囲を見渡すといつの間に現れたのか、小さな石の地蔵が河内の声で話しかけてきていた。


「巻倉に守谷さん、聞こえてるか?」


「聞こえてます室長! これから最寄りの黒い柱の調査に向かおうとしてました」


「よし、向かえ。絶対ぇお前ぇらはバラけずうごけよ。こっちは俺を入れて七人と小堂の野郎で輪宝そのものへのエネルギーの流れ込みをぶっ壊してるとこだ」


「分かりました」


「いいか、絶対ぇバラけるな。四人を一人ずつ別の柱に送り込んだがその後連絡がとれねぇ。油断するんじゃねぇぞ」


 最後は一方的に告げて石の地蔵は黙り込み、やがて地蔵自身の影の中にその身を消した。




 スマホが緊急地震速報を伝えたとき、子安は体感では揺れを感じ取れなかった。だが、自身の霊的感覚が最大限の警報を脳内に示していた。この揺れは、霊的に異常であると。


深銀みしろちゃん、突然悪いんだけどー、緊急事態なの。必ず埋め合わせはするから今から上がらせてもらうわけには行かないかしらー?」


「ちょっと待ってくれ子安さん、緊急事態って何だよ」


 職場の事務室でPCに向かって業務関連のメールを書いていた杉山は、突然の話に大きく戸惑った。時計を見れば、子安が上がる時間までまだ幾らかある。


「店長が前に倒れたでしょうー? あれをもっと大規模にした感じかしらー」


「……大規模って何だそりゃ?」


「さっきの緊急地震速報って、なにか神仏が関係してるかもしれないのー」


「……マジで言ってるんだな?」


「マジでガチよー」


 これまでこのようなことを言って無理に上がったことは、子安には無かった。どうやら冗談を言ってるわけでは無いと判断した杉山は、大きくため息を吐いて子安の帰宅を許可した。




 日曜午前中の早い時間帯からスポットで巫女のバイトをしていた山崎は、担当していた祈祷も終わり待機していた。やがてバイトが上がる時間になったのだが、強い眠気を覚えた。


 神社の権禰宜ごんねぎに相談し、いつもなら着替えて退出するところを巫女装束に上着を羽織って近所の親戚の家まで移動した。親戚に体調のことを相談すると、客間に案内してくれたのでそのまま押し入れから布団を引っ張り出し、倒れるように仮眠に入った。


 眠った夢の先には白狐が居た。


 気が付けば親戚の家の客間ではなく、先ほどまで居たバイト先の神社の境内に向かい合って立っていた。眠気などの心身の異常は無く、自身は巫女装束のままだ。


「稲荷様やないですか。どないしはったんです?」


「只今港の地にて荒ぶる神が祭に降り立ち、世に大きな災禍が下らんとしているなり」


「災禍って、穏やかでないですやん」


「然り。故にあ奴が仲間と共に港の地にて手を尽くしているなり」


 そう告げると白狐は右前足で、たんたんと地面を叩いた。するとリアルタイムの映像だろうか、虚空にスクリーンのようなものが現れた。


 そこには守谷たちが空を移動し、巨大な黒い柱へと向かう場面が表示された。何故か浅菜が守谷にお姫様抱っこされていたが。やがてスクリーンは虚空に消える。


「貴様が我と共にあ奴を助ければ、皆幸いを得ることが容易くなるであろ」


「私も行った方がいいんですか?」


「行くも行かぬも貴様の気持ちのままが善し」


「そんなん狡いですやん」


 そう言って山崎が微笑むと、白狐もにやりと笑ってみせた。


 そして白狐は自身を光らせ始めると、その光を凝縮させ、如意宝珠の形にした。その光る如意宝珠は山崎の鳩尾付近に飛び込んだ。


 その瞬間、山崎の目に獣性が満ち、その身には神気が宿った。


「ほな稲荷さま、今回は私が意識をもっててもいいんですね」


「然り。荒事では我が助力するなり」


 独り言で会話文を読むようなやり取りをする山崎だったが、会話の片方の声は白狐の声だった。


 やがて山崎白狐は一つ頷いて境内から舞い上がり、南の方へと空を飛んで行った。

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