45.宇宙人相手のほうが気楽だよ

 薄曇りの空模様の中、公用車のワンボックスカーの後部座席で揺られながら、巻倉たちは移動していた。


 目的地である横浜のみなとみらい地区は高層ビルが立ち並ぶオフィス街だ。日曜日ということもあり、行き交う一般車両はほとんど無い。


 平素と違うのは、警察の車両を良く見ることと、歩道に見え始めた黒ずくめの者達の姿だった。


 車窓に過ぎ行く近代的な高層ビルの街並みは、まるで巨大な石柱の立ち並ぶ古代の祭儀場の遺跡のようにも巻倉には感じられた。


「参加する連中だろうが、続々と集まってるじゃねえか」


「まだまだ増えると予想されています。先ずは国際会議場内の対策室に行って、最新の情報を把握しましょう」


 助手席からドスの効いた声でそう告げるのは上司の河内だった。巻倉が応じるとそれに頷いた。


 車内には他に巻倉を含めて五名が乗り込んでいる。公用車はさらに二台あって、呪術に通じる者の総勢は十二名だ。雑務担当の三名も同乗しているが、ほとんどが何らかの呪術を使う者達だった。


 他には四名ほどが上野の寺で祈祷する阿那律院主流派の小堂しょうどうに付いており、現状で巻倉の組織が動かせる呪術師ほぼ全員が詰めていた。




 予定通り俺は休みを取り、自室でリラックスして過ごしていた。壁面収納の窓に近い棚には花瓶を置き、白いカサブランカと橙色のダリアを生けてある。何となく目に入ったので花瓶を窓際の床に移し、少しでも光が当たるようにした。自分でも花を飾る性質たちでも無いと自覚はあるけれど、マアトと西王母への感謝の気持ちを込めて飾ってある。


「そろそろ時間だな」


 俺は呟いて横になり、魔術的作業を開始した。今回用いる生命の樹については、横浜での状況を想定していつも分裂させる四つの樹のうちの一番上アツィルトの、生命の樹を選ぶ。


 分裂された樹の中でいちばん霊的な根源に近い分、入り込んだ世界での俺の権能も大きく制限を受ける。そこでは世界の強制力だとか世界を保持しようとする力の影響を受けやすい。だがその分制限をかいくぐれば俺の方も、より現実に展開する事象に深い影響を及ぼすことができる。


 いつものように無限光とその流出、そして生命の樹の生成と分裂を一息に行い、一番上の生命の樹の九番目の球体、イェソド基礎のセフィラへと意識を飛び込ませ、眼前の地球世界の横浜へと転移した。


 待ち合わせ場所はみなとみらい駅にほど近いグランモール公園にした。横浜美術館のグランモール公園側の玄関先に降り立つと、すでに照汰が待っていた。権能の力で肉体を生成し、そこに意識を移すと照汰が話しかけてきた。


「やあ店長。何とか跳んで来たで」


 照汰の服装は黒を基調にした迷彩の戦闘服に、薄手のパーカーコートと黒いブーツを纏っている。海外の特殊部隊が着そうな格好をしているな。俺の方は普段着に近いジャケットに長めのチノパンなので、つり合いが取れていない気がするが、気にしないことにする。


「お待たせ、店長、辻くん」


 程なく俺たちのすぐそばに浅菜が出現した。落ち着いた橙色の拳法着を着ているが、妙に堂に入っている。西王母のところで修行した経験が反映されているのだろう。


 俺たちが集まっていると、傍らに黒い霞のようなものが集まって人型のようなものが現れる。反射的に浅菜が半身の構えを取るが、直ぐにその霞は巻倉の姿になった。巻倉は白シャツに黒ネクタイをして黒の革靴と黒スーツ上下に白い手袋をはめており、両手の手袋の甲のところには黒い線で五芒星が描かれていた。


 いよいよ何の集団なのか分からなくなってきたな、と俺は苦笑する。そして、忘れないうちに俺たちの魔術的空間を混じらせて固定する。これにより俺の権能の力で皆が目の前に居なくても、認識や補助や連絡などができるようになった。


「お待たせしました皆さん」


「何やマッキー、宇宙人でも相手にしそうな格好やね」


「まだ宇宙人相手のほうが気楽だよ……。それで状況ですが、まずは御覧の通りです」


 俺たちはグランモール公園の方を見やると、黒ずくめの者たちがあふれていた。この公園は都市博覧会の跡地に整備された場所で、メインとなる広場は石畳が広がるだだっ広い公園だ。その場所はいま人が満ち、目算で敷地の六割くらいは人影で埋まっていた。頭髪を坊主頭にしているのは集団の三割程度か。


「やれやれ、大入りだな」


「この分だと歩道とか会議場の方は凄いことになってるんじゃないかい?」


 公園の地べたに車座になって座り込んで何やら話し込んでいる者たちなどを見ながら俺たちは嘆息した。


「けっきょく、県警の機動隊も出てきて群衆の誘導を始めています。同時に、呪術的じゃない方の表側の対策も動き始めています」


 LEDビジョントラックはすでに何台も各所に配置し、会議場周辺を移動する群衆の目に留まるようにしている上に、動画リンクのQRコードも表示させているので、携帯端末からも著名人を使った国が主導する対策の様子を追えるようになっているようだ。


 現在のところ群衆は余裕をもって誘導できており、公園などで集団で踊りだす手合いには都度機動隊の者が“お願い”のために声掛けをしているようだ。このため大きな混乱は見られないとのこと。


「もうこうなるとイベントやね」


「壮観だねえ」


「阿那律院の非主流派がどの程度誘導したかまでは分からないけど、こりゃもう祭りだなたしかに」


「――たしかに祭りだが、祭りで人死にを出すわけにゃいかねぇからよ」


 突如ドスの効いた声がしたので視線を移すと、山伏の装束に身を包んだ小柄な男が居た。巻倉の上司である河内だった。


「店長殿とお仲間さん方、今日は済まねぇな」


「いえ、ここに来ることは自分たちで決めたことです」


「ありがてぇ。――それでだ、ここのほかに上野の寺で小堂しょうどうに詰めてもらってる。他にも俺らの手勢もいるから、あんたらはここら辺で待機して機動的に動いてくれ」


「分かりました」


「すまねえ。ま、何も無いのが一番なんだがな……。俺は会議場の真ん中あたりで詰めてるからよ」


 河内はたのむわ、と一言告げて右手で剣印を作り『オンアビラウンケン』と唱えた。次の瞬間その身は自身の影に吸い込まれ、やがてその影も消えて気配が消えた。


「河内さんて修験者なの?」


「あまり教えてくれないんですが、吉野なんかで修行したようです」


「僕、山伏のひとって初めて見たよ」


「なんや見た感じえらい気合入っとったね」


 吉野というのは修験道の聖地として有名な奈良県の吉野のことだろう。昔から千本桜と言われるほど桜が有名で、約三万本が山一帯に植えられているそうだ。


 その後俺たちは公園の様子を見やりながらその場で待機した。空を見上げれば曇天だったが、雨が降ってくる様子は無さそうだ。俺は何となく、久喜さんの易占で出たという風天小畜の話を思い出していた。『干上がってる状態でみんなで雨雲を待っているのに、風向きのせいで降ってこない』というのは、この場合はいいことなのだろうかとふと考えた。




 房総半島にあるその寺では、普段よりも多くの僧が動いていた。その中には立花網膳たちばなもうぜんの姿もあり、堂の中に設えられた護摩壇の前にその身を置いていた。


「現地の様子も電話で確認できたうえに、リアルタイムの映像でもネットで確認できた。――そろそろ頃合いじゃろう。各地で支度しておる者たちにも開始の連絡をせよ」


 立花の声に若い僧が合掌礼すると、堂の隅に移動してスマホで連絡を始めた。


「さあ、この国の停滞を、停滞そのものを終えるときが来たぞ、皆の衆」


 そう告げて立花は、にやりと笑みを浮かべた。やがて堂内には鐘の音――磬子けいすを叩く音がごーんごーん、と響き始めた。


 同様な祈祷は北は北海道から南は沖縄まで、日本中で自分たち阿那律院の世俗介入派が同じように開始しているはずだった。


 程なく堂内には読経の声が満ち始めた。




 公園で俺たちが待機していると、東の方からごーんという鐘の音が響いてきた。何か始まったのかと思うが、公園に集まっている者たちには何も反応が無い。


「恐らく呪術的な何かが開始されたな」


「鐘の音は聞こえるけど、現実の音とちがうやんな」


 俺たちは周囲を観察するが、何も変化は見られない。その間にも再び低い鐘の音が響く。あるいはオカルトマニアが耳にすれば“アポカリプティックサウンド”だと騒ぐ者も出てくるかもしれない。


 アポカリプティックサウンドというのは音源不明の広域に鳴り渡る大きな音で、ヨハネの黙示録に登場する『世界の終焉を告げるラッパ』にちなんで名付けられた怪現象だ。だが今回のこの音は、恐らく煤山たち阿那律院の非主流派が噛んでいると想像できた。


 鐘の音は魔術的空間に鳴り響き、俺たちがその回数を八回数えると、国立横浜国際会議場の上空に巨大な円形の物体が浮かび上がった。海や駅の方角から見ると円形に見えるように、その巨大な姿を空にさらしている。


「……UFO、とはちゃうな」


「ちゃうがな。――あれは輪宝だな。密教で使われる法具だ。阿那律院の介入が始まったとみるべきだ」


 輪宝の中央部には蓮の花を上から見た意匠があり、そこから八方向に独鈷杵とっこしょが伸びている。独鈷杵の穂先は輪宝の外側の円に埋っており、先端部分は円を突きでていた。見かけとしては、スポークが八本あるタイヤを横から見ているような形といえばいいだろうか。


「盗まれたものと同じ形をしているな」


「ええ、なので煤山たちが儀式を始めたことでここに浮かんでいるのでしょう」


 俺はここからどう動くべきだろうか。


「あの輪宝の破壊を試してみるか?」


「それは恐らく河内か小堂さんが動くでしょう。我々は不測の事態に備えましょう」


 俺たちは巻倉に頷いて見せた。そして俺たちがここから起こる不測の事態についてどういうものを想定していればいいのか検討を始めたところで、異変が起きた。


 国際会議場を囲むように、天地を突くような巨大な黒い柱が下から複数生えてきた。

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