44.最初にしてもいいくらいの話だ

 井の頭公園で集合した俺たちは弁天堂を参拝したのだが、そこで弁天に呼ばれ、現実の裏側に招かれていた。


 招かれた理由は、弁天の昔の知り合い――たぶん破壊神だが、それが横浜で暴れるかも知れないというお告げだった。それに加え俺がマアトを呼んだところ、今回も顔を出してくれた。しかも、横浜での動きには力になるという。


「私からの助けの話はもういいかしらね」


 そう告げてマアトは照汰と巻倉に視線を向ける。


「この子は音楽のことで、この子は呪術のことで、それぞれ弁天ちゃんにお話があるみたいじゃない」


「あら、別に構わないわよ。少し席替えをしましょうか」


 弁天は手を二回叩くと椅子の位置が瞬間移動し、何やら照汰や巻倉と話し始めた。




 ここまでの会話で、俺は横浜で起こることに不安が拭えないでいた。人ならざる神々も、今回の“神なき祭”は気にしているようだ。俺の浮かない顔を察したのか、マアトは可憐な笑顔を向けた。


「まだ心配かしら」


「そうですね。正直、あまり楽観できる材料が無い気がして」


「大丈夫よ。あなたは私が見込んだのだもの。終わったときには、全てうまく行ってるわよ」


 マアトの言葉に、浅菜が気にかかる部分があったようだ。


「マアトさま、店長を助けてくれてありがとうございます。でもどうしてエジプトの神様が、従治さんを気にかけて下さるんですか?」


「ふふ、心配しなくても、あなたからこの子を取ったりしないわ。この子を気に掛けているのは、この子が修めたワザが、私たちにも縁が深いこともあるのよ」


「……店長の西洋魔術、ですか」


 確かにそう言われれば、西洋魔術はエジプトの神々と縁が深い。


 素行の悪名と共に不世出の魔術師として有名なアレイスター・クロウリーは、エジプトで魔術の秘伝を授かった記録を残している。あるいは彼にしても、記録に残さなかった神々との邂逅があったのかも知れない。


 そんなことを浅菜に俺から説明するが、いちおう納得はしたようだ。


「……実は、今に到る流れの中で、俺が神々に護られつつ、何らかの仕事を任されていたと考えることがあるんです」


「私たちの仕事かぁ」


「ええ、稲荷さまは自ら来たと度々言ってましたが、横浜に到る一連の流れは、状況を懸念した神々が手を打ったのではなどと思ったんです」


 そうねえ、とマアトは腕を組む。


「仮にそうだったとしても、あなたは今までの行動を恥じたり、後悔はあるかしら?」


「いいえ、ありません」


「なら、それが答よ。それにそもそも私は、あなたに呼び出されたの」


「そうでしたね」


「そこには何者にも恥じるところは無いのよ」


 そう告げるマアトの可憐な表情の奥には、神さまらしい深い包容力が感じられた。


 その後俺たちはそれぞれにマアトと弁天と話をしてから弁天堂まで戻り、女神たちと別れた。別れ際マアトと弁天は俺たちに手を振り、笑顔と共に虚空に消えた。


 しばらくすると、公園内の風の音や喧騒が周囲に感じられ、現実に戻ったことを確認した。




 当初の目的だった打ち合わせは、ラーメン屋に寄ってから駅近くのカラオケボックスに場所を移して行った。いつものように巻倉が付箋紙を使って陰陽術を行っていたが、浅菜は興味深そうにそれを眺めていた。


 当日のことについては、まず巻倉が現地に河内らと共に早めにクルマで入ることを確認した。それ以外の面々に関しては終日休みを取り、自室からアストラル体――要は幽体のようなもので現地入りすることにした。


「実はぼくはアストラル体投射はあまり得意じゃないんです」


「それなら集合場所を決めて、間に合わないようなら俺が照汰を呼び出すよ」


「そんなんできるんですか?」


「出来るよ。だからその点は心配しなくていい」


「集合場所云々の前に、記憶が確かなうちに先ほどの弁天様たちからのお話を検討したいんですが」


 巻倉は焦れたのだろう。確かにその話は、最初にしてもいいくらいの話だった。それでも最低限の集合時間と場所は決めてから、話を始めた。段取りは先に決めておいた方がいいからな。




 弁天の古い知り合いが暴れるかも知れないという話について、巻倉は額面以上に深刻に受け止めているようだ。


「それで、けっきょくのところ皆さんは、先ほどの弁天様のお話について、どのように思いましたか?」


「まあ、十中八九、ヒンドゥー教のシヴァ神だな」


「僕も何となくそうかなとは思ったけど、どの辺から特定できるんだい? “時間そのものを殺すことをできない”ってのが大ヒントだったと思うんだけど」


「そうだな――」


 弁天が暴れるのを懸念する神ということは、破壊神とかそれに類する自然現象を担当する神格を考える必要がある。


 ヒンドゥーで破壊神に類する神格といえば、危険さでいえば筆頭は血と殺戮と破壊の女神であるカーリーだろう。カーリー神を祀る古い寺院では、現在でも毎朝山羊を生贄にして供養するところがあるらしい。この女神には血の臭いが常に付きまとう。


 だが、弁天は女神では無いと言っていたので却下だ。横浜が血と臓物と肉と骨に満ちるとか見たくないしな、誰得なんだよ。


 ドゥルガーも戦神という意味で破壊の女神だが、女神なので却下。


 そうすると、男神で破壊を司るといえば、シヴァ神を無視するわけにはいかない。ヒンドゥー教を代表する三柱の神はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが上げられ、シヴァ神は破壊神としての貌をもつ。


 しかもシヴァ神は日本の文化に入り込んでいる。


「七福神の大国さまと結びついて、仏教で大黒天と呼ばれて信仰されていますね」


「なんや大国さまやったらやさしそうなイメージあるんやけど」


「シヴァにしてもバラモンの聖典なんかで優しい側面を見せているようだから、その部分を取り込んだんじゃないのか」


 照汰に俺が応えていると、浅菜は浮かない顔をしてスマホを操作していた。何やらメッセージをやり取りしていたようだが、顔を上げる。


「いま深銀みしろちゃんに確認したんだけど、シヴァ神が仏教に入ってきてるのは、大自在天か大黒天だろうって。それで、時間云々でいえば大黒天じゃないかって言ってる」


「うろ覚えだったがやっぱりか。時間と大黒天は関係があるんだな?」


「大黒天のヒンドゥーでの名前が、真言にも残ってるけど『マハーカーラ』って言って、直訳すると『大いなる時の働き』じゃないかだって」


「ああ、あたりっぽいやん」


「浅菜、ついでに大黒天が曼荼羅でどの方角にいるか聞いてみてくれ」


 浅菜がうなずいてスマホを操作すると、直ぐに返答があったようだ。


「曼荼羅では北の方角にいる仏様だって言ってる。……こんどバイクで大黒天を祀るところに連れてってくれるようなこと書いてきてるよ」


「了解だ、バイク云々は行ってこればいいじゃないか。杉山には礼を言っといてくれ」


「わかったよ」


「どしたんマッキー? なんや黙りこんどるけど」


「いや、大黒天が横浜に破壊神として現れることですけど、……北の方角の力は南の方角の力、五行でいえば火の気で対抗できます」


「そやな、魔術とかでも南は火属性やし」


「それはいいのですけど、そもそも北に座す大黒天が暴走するのが、儀式的にどういう流れなのか考えていたんです」


 阿那律院の非主流派によって、日本の停滞をリセットする儀式が行われる。儀式の概略は以前聞いたが、西の阿弥陀如来で人々の願いをエネルギーに分解し、釈迦如来の力でエネルギーを変質させて放出する。その情報をこの場の皆で共有した。


「……浅菜、すまんがもう一度杉山に聞いてほしいんだが」


「うん、釈迦如来が居る方角についてだね?」


「ああ、頼む」


 スマホ越しに浅菜が問えば、秒で杉山から返信があったそうだ。今日は出勤日だったはずだけど、あいつ仕事してるのか、と思いつつ一応感謝する。


「お釈迦さまは曼荼羅でいえば東の方にいるみたいだよ」


「要するに、エネルギーの流れを途中で奪う形で大黒天が暴走するのか」


「暴走いうわりには儀式めいた感じがするんやけど、どうなんやろ」


 照汰の呟きに、俺は何か忘れているような気がしたが、忘れているなら重要なことでは無いだろうと取りあえず判断した。


「仮に儀式なら、祭壇とか、最低限、儀式の中心になるものが必要だと思うんだけど」


「そうだな。そうなんだがさすがにそれだけじゃ何とも言えないかな。巻倉くん、ここまでの話をとりあえず河内さんに連絡してみたらどうだ?」


「了解です」


 そして巻倉はその場で電話をかけ、上司と話し始めた。何故か分からないが、ときどきスマホの向こうから大きな笑い声が聞こえてきたような気がする。


「……えー、仮称ですが、横浜の“神無き祭”の対策について、うちの上司は『横浜大黒祭り対策チーム』と呼ぶことにしたようです」


「……なんだそれ?」


「黒ずくめの参加者も関係あるのかな?」


「ああ、横浜市って大黒ふ頭あるやんな」


 ぼんやりと照汰が巻倉に告げていたが、大黒ふ頭って鶴見区だったよななどとどうでもいいことを俺は考えていた。

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