43.冬の厳しさをもっとも和らげるのは

 照汰でるたのバンドのライブから数日後、彼が昼休憩のときに俺は話しかけてみた。件の横浜でのイベントの日が近づいてきていたからだ。


 凍土期パフォーマンス――いわゆる就職凍土期世代の個々人が自由意志のもとに“たまたまその場に集まって”、凍土期の本当の意味での終わりを願う現象だ。参加者はSNSなどでつながった個人であり組織的ではないが、頭髪を丸刈りにして黒ずくめの服を着こみ、顔に白いドーランを塗るのがアイコンとなっていた。


 ウェブ上の情報を分析した結果、その連中が横浜で行われる経済団体のイベント会場周辺で、散歩であるとかウォーキングやらダンスを個人で同時刻に行うそうだ。あざといといえばあざといけれど、集団ではなく個人が散歩をするくらいは、公序良俗に反しないなら咎められることは無いんだよな。


 同様の行動はネットや既存メディアを媒介に日本中に広がっているので、当日は横浜に相当の人数が集まるのではないかと目されている。


 そして、この動きを“祭”として阿那律院の非主流派が、自分たちの儀式に利用しようとしている。先日煤山が押しかけて勝手に話していったけれど、『この日本の停滞を終わらせる』のが目的のようだ。


 一方で、イベントをきっかけに災害級の何かが起こるという警報が、国政の裏側で語られているという。恐らくそれは呪術的な何かが関わっているだろう。


 当日は警戒のために河内や巻倉が動くが、巻倉と照汰は友人だ。リアルタイムで状況が変化するような実戦のレベルで呪術を行える者は少ないから、照汰は何らかの形で関わるだろう。混沌魔術を使える以上、巻倉の手伝いを行うはずだ。


 それならば、事前に打ち合わせをすべきと思ったのだ。


「それやったら明日の午前中、巻倉も交えて打合せしません?」


「分かった。あと、俺の副業だけど、浅菜も手伝ってくれることになったから」


「そなんや。分かりました」


 浅菜の名を聞いて、照汰は優しく笑った。




 待ち合わせの時間に、俺と浅菜が井の頭公園の案内板の前に向かうと、照汰がスマホを弄りながら待っていた。声を掛けると、巻倉も駅に着いたそうで、程なく合流するという。しばらくすると、本人が草臥くたびれた様子で現れた。


「すみません、またお待たせしましたね」


「大して待ってへんよ、だいじょうぶや」


「急に呼びつけて悪かった」


「いえ、打ち合わせをする分にはありがたいですから。……ところでそちらの方は?」


 巻倉は浅菜に気づくと、軽く頭を下げた。


「俺の店のスタッフで浅菜という。仙術を使う手練れだ。今回のことで手伝ってくれることになった」


「浅菜です。よろしくおねがいします」


「そうでしたか。はじめまして、よろしくおねがいします。照汰の友人で巻倉周語まきくらしゅうごといいます。ご助力感謝します」


 巻倉は年齢なりの爽やかな笑顔で浅菜に頭を下げた。


「マッキー、いちおう釘さしとくけどな、浅菜ちゃんにコナかけたらあかんからな。誰も幸せにならん言うとくわ」


「何いうとんのや。そんなことしないって」


そう言って巻倉と照汰は笑っていた。




 そのあと照汰が言いだしたのだが、打合せの前に公園内の弁天様にお参りしようということになり、四人で参拝した。


 それぞれが手を合わせると、参拝を終えたときには周囲から人の気配が消えていた。


「これは、……また呼ばれたかな?」


「呼ばれた? まさか弁天さまにですか?」


 俺と巻倉が呻くと、小さな境内の脇で腕を組んで池を眺めている女性が居るのに気づいた。


 ワイドパンツに長袖の肩だしニットを合わせ、パンプスを履いた女性は、俺たちの方に振り向いた。


「ようこそいらっしゃいました。こうして会うのは初めての方ばかりね。わたくしは弁天です」


 にこりと笑ってから弁天は、俺たちの方に歩いて来た。


「“お招き”ありがとうございますます。お忙しいところ申し訳ありません」


「……店長、弁天さんてあの弁天さんなん?」


「どの弁天様を想起したかは分からんが、照汰がライブ前に祈願した弁天様だよ」


 俺の言葉に流石の照汰も固まったが、直ぐに頭を下げた。


「弁天さま、お陰さまでライブは成功しました。ほんまありがとうございます」


「わたくしも弦楽器は好きだから、あなたが手応えを得たなら何よりです。今後もがんばるといいわ」


「はい」


 その後、浅菜と巻倉も順に挨拶をした。


「それで、このタイミングで弁天さまがわざわざお会い下さったのは、横浜の件で我々が気を付けるべきことがあるということでしょうか」


 いきなり俺が本題を問おうとしたら、弁天に笑われてしまった。


「確かにそうですが、立ち話も何ですから、少し移動しましょう」


「そうですね、少々話を急ぎすぎました」


 けっきょく俺たちはすこし歩いて、公園内にある飲食店に入った。


 木立の中にある建物の雰囲気が、何となく過去に訪れた軽井沢の建築物を想起させた。


 神格に呼ばれて現実の裏側にある世界で過ごしているとはいえ、勝手に上がり込むのも何となく申し訳ない気が少しだけした。メニューをチラ見すれば、ピザなどが食べられるようだ。また機会が許せば現実でも来てみようかと思った。


 店にまず弁天が入ってぱんぱんと軽く手を二度叩くと机と椅子が並べられ、ふたたびぱんぱんと手を叩くと全員分のコーヒーが席に用意された。そして、上座を弁天に座ってもらい、俺たちは話を聞くことにした。


「重ねてになりますが、お忙しいところ弁天様が来てくださったのは、何か懸念があるんですか?」


「そうですね。――まさに懸念なのですよ。わたくしの裡にある神としての古い血が反応しています。知り合いが暴れるかも知れないのです」


「神としての古い血って、具体的になにを指したはるんですか?」


「おおもとの河川神として生まれたころの話です」


 ということは、ヒンドゥー教の神話に由来する神が横浜で暴れるのか、とおもう。


「そのお知り合いについて、直接名前を教えていただくことはできないんですか?」


「ごめんなさいね。わたくしもそうしたいのだけれど、人の天命に関わる部分は神仏でも触れられないことが結構あるの」


 浅菜の問いに、少し困ったような笑みを浮かべつつ弁天が応える。要するに、俺たち自身で気づく必要があるわけだ。


「ちなみに、そのお知り合いは女神でしたか?」


「女神ではないかも知れないわね」


「……そのお知り合いは時間と関係はありますか?」


「そうかも知れないわ」


「密教の曼荼羅でその神は描かれていますか?」


「そうかも知れないわね。うふふ、ほとんど言ってしまったようなものね」


 俺の誘導尋問じみた質問で、巻倉の顔色がどんどん悪くなっていくのが印象的だった。俺にしても正直なところ曼荼羅については分からないが、ある一柱のインドの破壊神の名が脳裏によぎった。


「いずれにせよ、ヒントはこの辺りまでかしら。それでもわたくしの助言としては、神は殺せなくても、喚ばれたものをその場で叩き返すことは別の話で、普通にそれはできるということね。――時間そのものを殺すことは人間にできないから、できることをすればいいだけよ」


 実質的に、弁天からのお告げが終了したということだろう。俺たちはそれぞれに、どのように次の言葉を繋げるのか、頭を捻っていた。その様子を見かねたように弁天は苦笑した。


「ごめんなさいね。別にあなたたちを追い込むつもりは無いのよ。それに、ひとつサービスするなら、今度のことはあなたを気に入っている白日の女神が大きく助けてくれるかも知れないわ」


 弁天はまっすぐ俺を見ながらそう告げた。


「え? ――マアト様が、ですか?」


「そうよ、私はあなたを助けられるわ」


 その声に振り向けば、白いワンピース姿のマアトが佇んでいた。


 何やら右手の人差し指を天井に向けて、左手を腰に据え、得意げな顔を浮かべている。


「店長こんなかわいい子、どこから攫ってきたん? 浅菜ちゃんにしばかれてもしらんよ?」


「“かわいい子”ですって? いいわねほんとに。従治、あなたの仲間は素敵よ。独り身ならお持ち帰りしたいところだけど、――そうね、彼女もまとめて私の近所に移住して、みんなで楽しく暮らしましょう?」


 この女神は生者との他愛ない触れ合いにでも飢えているのだろうかと、ふと思う。太陽神ラーの娘として生まれ、その白日の権能を買われて、死者の罪を冥界で裁く仕事を与えられた姫神。


「マアト様、冗談もほどほどにしてください。あなたの現住所は、時期的に我々が行くにはまだ早すぎます」


「分かってるわ、言ってみただけよ」


「ええと、改めて紹介するけど、エジプト神話の女神で、太陽神ラーの娘であるマアト様だ。俺にとっての法の女神で、これまで色々と助けてもらっている」


「マアトです、よろしくね」


「「「よろしくおねがいします」」」


 その後、弁天がまた手を叩きマアトの席とコーヒーを用意した。その間、俺たちはコーヒーを飲んだり、店の中を見回したりして過ごしていた。


「それで、なにかお力を貸して頂けるということですが」


「ええ、以前明王ちゃんをあしらうために色々と苦心したことは覚えているかしら」


「覚えています。西に座す明王を抑えるのに、東を司る大天使を召喚しました」


「あれと同じよ。今回行われようとする儀式は、西で分解された諸力が東で再び形を得るまでに手を加えるものよ」


「マアト、喋りすぎでは無いの?」


 マアトの語り口に、弁天が眉をひそめる。


「ただの一般論的なものの話をするだけよ――季節と農業に例えてもいいわ。秋に収穫された畑が冬という休みを経て、また春に次の苗を植える。そして夏には命を大きくして次の秋に向かう」


「西王母は万象は巡るおっしゃっていましたね。……今回生じうる破壊に抗う属性として、マアト様の力を借りられると?」


 俺の口から西王母の名が出て、一瞬浅菜が反応した。照汰は腕を組み、会話を追いながら聞き漏らしが無いよういつでも話に加われるようにしている気配がある。巻倉は聞きに徹しているようで、テーブルの上でコーヒーカップを両手で包むように握っていた。


 そんな俺たちを見回してから、マアトは口を開いた。


「冬の厳しさをもっとも和らげるのは、白日の暖かさよ。今回のことで助けが欲しい時は、いつでも私を呼びなさい」


「はい」


 マアトはよろしい、と言って優しい微笑みを浮かべた。

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