42.感動はその瞬間に由来するものだ
道すがら酒屋に寄って、俺は差し入れの注文をしていた。缶ビールとノンアルの缶と、スポーツドリンクを箱で一個ずつ。のしをつけてもらって、俺の店とスタッフたちからだと分かるようにしてある。宛名は照汰のバンド名、“パーフェクト・スマイル・イクエイション”だ。バンド名に関しては『気体の状態方程式』の英語表記の“ガス”を“スマイル”に変えたらしい。
会場への配達を頼んで待ち合わせの下北沢駅前に向かうと、既に浅菜たちが待っていた。ただ、赤井がその場に居るのは照汰の彼女だから当然として、
「おまたせー、結構待ったか? 時間通りだと思うんだが」
「待ってないよ、店長。みんな来たばかりだから安心してよ」
俺の言葉に浅菜が応じる。俺が赤井に軽く目礼したあと、清麻と山崎を観察する。
「そうか、お前らも来たのか」
「はい、私ライブハウスとかそんな行ったこと無いんで、しどくんに頼んで連れてきてもらったんです」
清麻もその言葉に頷いている。
「……ちなみに、お前ら付き合ってるの?」
そう問われた清麻と山崎に動揺は見られない。互いに顔を見合わせて何やらひとつ頷く。
「さっき、まどか先輩とかにもきかれたんやけど、しどくんは仲間やおもってます」
「うん、俺的には山崎はいちおう友達だけど、なんていうか親戚の子みたいな感じかな」
「ほほう、親戚なんや。そやったら私はしどくんの身内いうことになるんかな? ――身内って、意味深なひびききや思わへん?」
そう言って山崎はころころと笑うが、清麻は思わず苦笑していた。
「――こんな感じで弄られてるような間柄ですよ、店長」
まあ、仲がいいならいいかと思う。
清麻たちの隣では、『
そのあと駅前で少し時間をつぶしてから、俺たちは事前に聞いていた時間にライブハウスにたどり着いた。入口でバンドの身内だと告げると、酒屋から差し入れが配達されていることも確認でき、楽屋に通された。
「照汰くん、みんなで来たよ!」
「ああ
特に気負う様子もなく、スポーツドリンクを片手に照汰が応じた。バンドのほかのメンバーも、身内が来ている者などが居たりして、ライブ特有の熱気みたいなものが少しずつ高まり始めているようだった。
「なんや、清麻くんと山崎さんも来てくれたんや。ありがとうな」
「辻先輩のライブいつぶりですかね。あんまり顔出せなくて済みません」
「つじさん、お店とは全然雰囲気とか変わったはるんですね」
ライブに行くことはあっても、関係者として楽屋まで訪ねる機会が無かったのか山崎は物珍しそうに見渡していたが、照汰に声を掛けられてそれに応えていた。
「変わったいうても中身は同じやけどな。何やライブ前にUFOにアブダクションされて、ギタースキルとかインストールしてくれたんやったら面白い思うんやけど」
「そんなんUFOがまちごうてキャトルミューテーションとかしたら大変なんちゃいます? 気が付いたら首から上がうしさんとかに変わっとったら、まどか先輩とか泣きますやんぜったい」
「うーん、そうかも知れんけど、画的にはおいしいかも知れんなそれ」
「……照汰くん、こんど差し入れで牛の被り物持ってこようか?」
「円ちゃん、そんときは黒毛和牛のでたのむわ!」
そんな会話をした。
とりあえず照汰に関しては気負いも緊張も無さそうだ。
今日のライブは複数のバンドが参加する対バン方式だ。楽屋を後にした俺たちは、会場の誘導に従って入場し、物販で照汰のバンドのTシャツなどを買ったりドリンク券で飲み物を入手したりした。そうこうしているうちに時間が過ぎ、照汰たちのバンドの演奏が始まった。
会場はスタンディングで、ほぼ満員になっている。抑えられた照明の中でメンバーがステージに上がるとさっそく歓声が上がり始める。そして照汰のギターから演奏が始まった。
気持ちのいい音だ。強いて例えるならリアム・ギャラガー辺りがヴォーカルを付けそうな伸びやかなギターリフが会場を満たしていく。やがてベースがそれに加わり、ドラムがそれに加わっていく。楽器が増えるたびに歓声が上がり会場の熱気は高まっていくが、そこにヴォーカルが加わった瞬間ステージが照らされ、歓声が爆発すると共に最初の曲が始まった。
ロックが好きな人間なら、彼らの音を受け入れるだろう。身体の芯に響くその演奏は、俺たちを満たしていった。
音楽の感動は、その瞬間に由来するものだ。一瞬ごとに現れ、音によって語られるその感動は、まさに今ここに在らんとするものを感じさせてくれる。例えばそれは、人生とか宇宙とか全ての答えなんかを二桁の数字で応えられるよりは、よほど得るものがあるんじゃまいかと俺は思った。
そうして照汰たちのバンドのライブは、大歓声の中で行われていった。
俺たちはライブハウスを離れた。赤井は照汰と合流して打ち上げに混ざるというので分かれ、清麻と山崎は遅くなる前に駅で見送った。晩飯がまだだったので、俺と浅菜は洋食屋でライブや音楽のことを話しながら食事をした。
腹も膨れたので洋食屋を出て世田谷の細い路地を二人で歩き始めたのだが、二つ目の十字路で俺たちは違和感を感じ取った。都市部の喧騒のようなものが周囲から消えていたのだ。人間の活動を伝える気配のようなものが消えた夜の街並みは、気が付けば幽界のそれに佇まいを変えていた。
「従治さん……!」
「ああ、ここは現実の裏側だな」
俺たちが言葉を交わした直後、いつからそこに居たのか俺たちの進行方向の左手の路地の先に、男が立っていることに気づいた。男はデニムに薄手のウインドブレイカーを着て、ニット帽にブーツを履いており、この街のドレスコードに馴染んでいるようにも見える。
俺と浅菜はそれぞれに周囲に気を配りつつ、その男を観察していたが、相手が口を開いた。
「こうしてお会いするのは、一応初めてということになるでしょうか、店長殿」
「……そうかも知れないし、そうじゃ無いかも知れないな、煤山さん?」
服装を変えていてもそのまなざしなどは忘れ難い。俺はそこに居るのが以前の調査で知った顔であることに気が付いた。
「いかにも、自分は
煤山はそう告げて一つ頭を下げた。油断なく気配を伺うが、とりあえず殺気のようなものは無い様だった。
「全くだ、デートの途中に邪魔するとか、最近の坊さんはそんな世俗のことにまで介入するのか?」
隣では浅菜が口の中でデート、などと呟いているが警戒を緩めている様子はない。俺たちの様子に煤山は困ったような笑みを浮かべた。
「タイミングが悪かったことは謝罪します。ただ、自分は今この時にお話をしておきたかったのです」
思考というか意識が揺らいだのか、瞬きよりも短いあいだ煤山の周囲の気配が揺らぎ、微かに剣気が混じった。
俺と浅菜がそれを認識したのは恐らく同じタイミングだったのだろう。
刹那に浅菜は踏み出しの気配を辺りに紛れ込ませ、初動を“姿は見えているのに認識の外に隠しながら”飛び出した。
その左右の手には当初は剣印が結ばれていたのだが、相手の間合いに入ろうかというところで古代中国で用いられていたような諸刃の剣とその鞘が左右の手の中にあった。
煤山の胸元めがけて放たれていた突きは、約一メートルほど前で剣気とぶつかり、ぎんっと硬質な音が響く。その直後にぎぎぎぎぎぎんっと六つの斬撃が浅菜の剣と鞘によって捌かれ、その挙動の反発で彼女はやや間合いを取った。
「落ちつけ浅菜、殺気は籠っていない」
「でも従治さん……」
「大丈夫だ」
俺の言葉に浅菜は頷くと、煤山を見やりながらするすると足を動かして俺の隣にまで戻ってきた。戻ってきても彼女は浅い右半身をして、手の中の剣を軽く下段に構えていた。
「本当に申し訳ございません。明王の威力が漏れたのは、純粋に自分の力量不足です。今回は本当に、話をしに来たのです」
そう告げた煤山は、その場の路上に胡坐をかいて座り込み、両手で自身の両ひざを覆った。俺たちが警戒を解くことは無かったが。
「守谷さん、話というのはこれから起こることについてです」
「具体的には?」
「自分達は加持祈祷の力を用いて、門跡寺院に秘された経典の知識を掠め取りました。この知識を用いて我々は、この日本の停滞を、停滞自体を終わらせようと力を尽くしているのです」
「……その経典については、
煤山は、高僧の死を意味する遷化という語で、一瞬だけ目に哀しみの色を浮かべた。
「そうでしたか。……やはりあなたは腕が立つし、目や耳も良いようだ。そこでお願いしたいのです。我々は身口意をつぎ込んで祈祷を行います。どうか我々の祈祷をお見過ごし頂けませんでしょうか?」
人の休みに呼んでないのに現れて、話を持ってくる相手を違えているとかどうなんだと思いつつ、うんざりしながら俺は口を開く。
「俺に言われても、もう国が動いている。……俺から言えることがあるとするなら、二つだ」
国という単語で、微かな動揺を煤山は浮かべた。
「……何でしょうか?」
「儀式の暴発を懸念する者が国の方に居て、“災害級の何か”なるものを警戒しているのが一つ」
「災害……」
「派閥だ何だ言ってるようだが、
「……」
「あんたは、話を持ってくる相手を間違えてるよ」
ため息交じりに俺が告げると、煤山は瞑目して考え始めた。その肩には迷いのようなものがあるように俺には感じられた。やがて、俺からの話を消化したのか、胡坐をかいたままその場で煤山は頭を下げた。
「今宵は本当にお邪魔いたしました。しかし、守谷様とお話しできたことは僥倖だったと思います」
「本当はやめさせたいんだがな。……勝手に納得するのはどうかと思うが、せめて自分たちがやろうとしていることを、できるだけ客観的に考えることを勧めるよ。」
「……はい」
やがて煤山は胡坐のまま合掌して頭を下げ、そのまま虚空へ姿を消した。煤山が戻ったタイミングで、都市の喧騒のようなものが五感に感じられた。そういえば浅菜の剣も消えているな。
「……どうやら戻ったみたいだけど、店長は毎回あんなのを相手にしてるのかい?」
「いや、毎回って訳じゃ無いぞ」
「ふーん。それとデートとか言ってたけど……?」
「何て言うか言葉の綾というか。――今回俺への客だったみたいだし、巻き込んだから埋め合わせするよ。せっかく照汰のライブを楽しんだ後だったのにな」
「……! うん、またこんど……二人で遊びに行こうよ」
場を和ませるように気遣ってくれたのか、俺への浅菜の言葉は喜色がこもっていた。俺は、ああそうだなと応えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます