41.記憶にべっとりとこびり付いていた

 時間帯的には夜になっていたが、俺は日次の売り上げの締めの処理で店の事務室奥でPCに向かっていた。


 売り上げの数字とにらめっこしながら頭を捻っていると、傍らに浅菜が立っていることに気づいた。そういえば先ほどこちらに来ていたことは頭の片隅で認識していたのだが、不思議と注意を向けなかったのだ。


 居ることが当たり前というか、周囲の空気に溶け込んでいるような、認識の外に立つような雰囲気があった。


「店長、いま話しかけて大丈夫かい?」


「どうした?」


 何となく時計を確認すれば、そろそろ彼女が上がる時間だった。


「うん。実はね、この間夢を見たら、西王母さまに招かれて修行をさせて貰ったんだ」


「西王母? そうなんだ……」


「うん、夢の中の時間で三年ほど」


 なんだそれ、と思いつつ、仙人の業界だと西王母レベルになれば時間感覚も思いのままになるのだろうかと戸惑う。


「明晰夢ってやつなのかな。起きたら一晩しか経ってなかったんだけどさ」


「そりゃ……旨く言葉にならんが、すごい経験をしたな……」


 “邯鄲かんたんの夢”だったか、ある青年が道士から借りた“栄華が叶う枕”でうたたねをしたら、五十年ほど贅沢を極める生活をする夢を見た。だが、夢から覚めたら泊まっていた宿屋の亭主が寝る前と同じ料理をつくる途中だった、というような故事があったはずだ。


「そこで帰り際に伝言を頼まれたんだ。『妾もマアト殿と同じようにすれば良い』だったかな」


 俺は一瞬考え込んだが、マアトを祀るために部屋に花を飾ることを思いだした。その話をすれば、浅菜も納得したようだ。


「一応、僕の師匠のりん先生の自宅兼道場に西王母さまを祀る祭壇はあるけど、自宅で祀れるならその方がいいかもね。うん、僕も真似しよう」


「いいかもな。……それで、三年の修行って何を教わったんだ?」


「修行に入る前に、店長が行ったり来たりしてるあの世に近い場所? そこに跳べる神符の書き方をまず教わったよ」


「……ほう」


「その符は西王母さまの許可制で発動して、他の神様とかからは西王母さまの使いと見なされる符なんだって」


 さりげなく語るが、浅菜はいわゆる神仙の末席に踏み込んだのかも知れない。俺が言葉を探していると、浅菜は微笑んだ。


「それで、そのままだと荒事に巻き込まれたら危なっかしいから、僕の流派のずっと前の世代の女性の仙人が出てきて、剣とか体術とか色々教えてくれてね。人だけじゃなくて鬼とか術とかも断てる技だったけど……。武装した先輩の仙人を七人同時に相手にして一時間戦い続けるのを数セットとかやったときは、けっこうきつかったかな……」


「戦い方、か」


 どこの武侠映画だよと思いつつも、彼女にとっては現実と等しい重さを持つ経験だ。むしろ俺が変人師匠とか神猿さま達と行った鍛錬のほうが異質な気がする。戦えば戦うほど解放されていく武芸の記憶を、俺は自らに魔術で宿してある。


「うん、それでね、何が言いたいかっていうとさ。僕は、僕が知らないところで従治さんが倒れることを望まないし、必ず助けてみせるって言いたかったんだ」


 俺は、浅菜のその言葉を嬉しいと思う。その半面で、彼女がたとえ神の手によって鍛えられたのでも、巻き込みたくない思いが俺の中にある。


 だが、浅菜はたぶん俺のそんな迷いを見透かしていたかも知れない。


「今さら、僕とかに面倒を掛けたくないとか思ってないかい? ――でも店長、それが僕らが傷つくのが怖いからというなら、それは同じだよ」


「……どういう意味だ?」


「従治さんが感じる恐れは、僕にも理解できるということだよ。あなたが怖いと感じるのと同じように、僕らもあなたが傷つくのが怖い」


「……」


「だから僕は、力を得たんだ。それを伝えたかった」


 浅菜は西王母から此岸と彼岸を行き来する符の書き方を授かり、それを用いて西王母の使いとして恥じない戦いもできる身となった。それが、俺を失うことへの怖さからだという。


 確かに指摘されれば、俺も彼女たちが不当な呪術などで失われることは怖い。


「……分かった。勝手について来させて、ばらばらに動くことになったらその方が面倒なことがあるかも知れない」


「店長……」


「無理はしなくていい。気が向いたらで構わない。なんなら息抜きがてらでもいいさ。――もし俺が“あちら側”で作業をしているのを覗き見たいなら、いつでも来てくれて構わない」


 そう告げて俺が右拳をつきだすと、浅菜も右拳をつくってグータッチさせた。


「よろしくね、従治さん」


「ああ、よろしく」


 そして俺は、浅菜がどんな修行をしてきたのかを聞きつつ、同時にPCでの仕事を再開した。


 PCに向かいながら、今の浅菜なら元軍人のうちのクソ師匠と潰し合いの喧嘩ステゴロとか現実でできるんじゃまいかと、ある意味ふたりに失礼なことを一瞬考えたのは秘密だ。


 もしそれが実現したら? ――そんなの決まってる、隙を見て俺も師匠にとどめを刺しに行くけどさ。




 上を見上げれば、青空に白い雲がまばらに浮かんでいる。雲はそれほど動いていないし、風も大したことが無いから、飛行機は時間どおりに飛ぶだろう。そんなことを考えつつ、男は展望デッキのチェアから羽田に発着する飛行機を眺めていた。


 男は少し長めのクセっ毛で黒髪をしているが、光の加減で時々赤毛のようにも見える。顔立ちは目鼻立ちがはっきりしており、彫りの深い表情はいまは浮かない様子だった。


「なーに辛気臭い顔をしてるんだよマーティー、迷うくらいなら最後まで見届けても良かったんだよ?」


「……迷いが無いといえばウソになるが、それでもおれは父祖の国を敬愛しているし、いい方向に収まると信じている」


 マーティーと呼ばれた男は、声をかけてきた白人女性の方を見やるでもなく、ぼんやりと応える。


「父祖の国、か。ご先祖様はジャパンシルバーと共に傭兵として世界進出したんだっけ? 出身地に行けば親戚の雑賀さいかさんとか居るんじゃないの?」


「雑賀は故郷の里を懐かしんで改名したらしい。もとの名は鈴木だ。この国では珍しい名ではない。……彼らに死人が出ないことを願っているが、仕込んだのは破壊神だ」


「ボスがインドのお寺に五年前に預けたネックレスか。式次第からすれば起動は確実だよね……」


「ロッティこそ迷ってるのか?」


「ううん、ニホンは大好きだけど、あたしからみてもこの国はどこかいびつな気がする」


「そうか……」


 そこまで語ってから雑賀はロッティと呼ばれた女性を見やると、一人足りないことに気づく。


「ところで、アナの奴はどこに行ったんだ?」


「アナちゃんは、しばらく本場のお寿司が食べられなくなるからって言って消えたよ。空港内には居ると思う」


 雑賀は大きく溜息をつくと、立ち上がった。


「奴を、少なくとも食い物のことで目を離してはダメだと言ってるだろう。捕まえにいくぞ」


「分かったよ。あたしたちも寿司を食べていこう?」


 それもいいか、と雑賀は歩を進めた。組織SRMRSが出国を命じた以上、つぎにこの国に来るのはいつになるか分からない。


 もし気になるようなら、プライベートで来るのもありかもしれないな、などとぼんやり考えながら雑賀たちは仲間を探しに向かった。




 ひと頃より大分マシになったとは言えシステム開発業界は泥沼だよな、特に非正規ならさらにだよ、などと思いながら男は自宅アパートの鍵を開けた。どんな仕事だって大変なのは男も分かってはいるのだが。


 部屋の中は片付いているとは言い難いが、どこに何があるのかは把握している。貴重な休日の日などに掃除の時間を取られるくらいなら、目についたところから片付けるのが合理的なんじゃないかとおもう。もっとも、ハウスダストなんかの影響は気になるところではあった。


 とりあえず商売道具のスーツをハンガーにかけて、部屋着代わりにしているズボンに足を通し、コンビニで買った弁当をレンジで温め始める。店で温めて貰う方が電気代は節約できるかもしれないけれど、持ち帰る過程で冷めたりするのが嫌だった。


 自宅のPCの電源をつけて、弁当を食いながらネットを散策する。個人的に気になっていたのは、ここの所話題となっている凍土期パフォーマンスの件だった。実は、これに加わっていると思しき者が、自身の現場で二名ほど出ている。


 一人は派遣先の中間管理職で、ある日突然坊主頭にしてきた。悪い人では無いのだが、納期が近づくとキレ気味な対応をする癖があった。ところがそれが最近抑えられている。現場でそんな話をしていると、ある日別の者が頭を坊主にしてきた。自身と同じように派遣で常駐している者だった。二人が坊主頭になってから最初に顔を合わせたとき、どちらともなく握手をしていたのが印象に残った。


 坊主頭か、と男は思い、PCの傍らに飾ってある神像を見やる。黒い金属性のペンダントだ。この神像をテニイレタときに、ソウリョニアッタケレド、ミンナナガイカミダッタ。自分がダイガクノナツヤスミニ、インドノ、ヴァナラシデ、ユズッテモラッタタカラモノダ。今ではトオイキオクになってしまったし、現地でデアッタヒトの顔も曖昧になってしまったが、アノリョコウノキオクハジブンノタカラモノナノダ。そんなことを考えていた。


 男は、SNSで知った“散歩会”が横浜であることを考えていた。誰に強制されるものでも無いけれど、そのイベントではないイベントに、自分も参加するつもりだった。その時にはお守り代わりに、このタカラモノニヒトシイペンダントを掛けて現地に向かうつもりだ。


 別に当日何かが変わることを期待しているわけでは無いけれど、ペンダントトトモニ、ジブンガソノバニイクコトハ、ウンメイナンダと思わせる何かが、男の記憶にべっとりとこびり付いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る