27.道具という意味に照らせば

 夜の東京駅丸の内駅舎前の広場に、俺とダン師匠は居た。父からのメールで俺が倒れたことを知った師匠が、魔術的空間で会おうと誘ってきたのだ。


 どうせ師匠の申し出を多忙を理由に断っても、向こうの魔術的空間に再現された英国のどこかに無理に召喚される気がしたので、場所を決めて再会した。しばらくリアルに日本を訪れていないダン師匠も、東京駅なら場所を間違えようが無いだろうという判断だった。


 赤レンガの駅舎の前にキャンピングチェアを生成し、俺はここ最近この身に起きたことを語った。俺が生成した魔術的空間であり、ダン師匠も同様に生成した空間でこの場を認識したことで、二人の空間が混じった形になっている。この場はすでに俺の権能の力により固定され、第三者の誰かが紛れ込む心配は無くなっている。


 さて、と師匠は告げてからチェアから立ち上がり、前を開けて着ているスーツの左右のフロントボタン付近を両手で持ち、上着のヨレを直した。


「従治の状況はおおよそ把握しましタ。こうして師弟が久しぶりに会ったのです、いい機会ですから今後のことも考えて修行パートをしておきましょう」


「修行はいいけど、修行パートって何だよ? というか、また変な儀式でもしばらく会わないうちに思いついたのか?」


「ふむ、魔術に関して従治はすでに独り立ちしていマス。儀式などについては過去に伝えたように、キミは場数を踏んで行けばイイ」


「……それ以外の部分、てことか」


「サートゥンリー。キミが神格と鍛錬をしたとき、武芸マーシャルアーツはいずれ得ると言われたそうですネ」


「ああ、そう聞いているよ」


「なら恐らくそれは、ボクの範疇デス」


 そう告げてダン師匠はニコリと笑う。




 この人は元軍人だ。しかし退役後に日本で俺が会って以降も『ボクは生涯現役デス』と言っていた。事実、俺の父が習う古武術の道場にも瞬く間に馴染み、稽古を楽しんでいたと父から聞いたことがあった。


「武術を教えてくれるという事か」


「半分正解デス。扱うのは武術についてですが、ボクらは魔術師デス。四大属性に秘められた武の情報アーカイブを掘り起こし、その身の糧とする術を練習しまショウ」


「……そんなことが可能なのか?」


「ボクからすれば、不可能と思う理由を問いたいデス。従治はすでに魔術的に形成した世界の記録から場の記録を読み出すことができマス――徹底的に叩き込みましたからネ。そして魔術では四大属性の諸力を扱うとき、“魔術武器”を使うことは初心者でも知っていマス」


「たしかに、地水火風の四大元素を扱うとき、それに対応する道具を現実世界の儀式では常用するよな。それを魔術武器って呼ぶのは基本だ」


「名は体を表すですネ。呼び名はボクらに真実の秘鍵を示しマス。四大属性の諸力は四大天使などの力や権能にもつながり、それらに秘された武の記憶を含みマス」


 そういうものかも知れない、と俺は一定の理解をする。


 だがここまでの話からすれば、武術の記憶を得るために四大元素の召喚をすればいいのだろうか。あるいは天使召喚をすればいいのだろうか。その旨を問うと、ダン師匠が教えてくれた。


「四大元素の召喚をし、祭句として『その内に秘める武の記憶を我に宿せ』と告げれば大丈夫デス」


「なるほど」


「あとは属性ごとの特徴ですが、修行を重ねると実は四大属性ごとの武術の記憶は同じような方向に収束しマス」


「……収束、ということは初めのうちは属性ごとに差があるのか?」


「そうデス。風は剣などの斬るものを、火は棒や杖や槍などの打ち据えて貫くものを学びやすいデス」


「元々風と火の魔術武器が短剣と棒だしな。でも地と水は円盤と杯だけど」


「地と水は、イメージを呼び起こしマス。地は素手ならボクシングや空手などの打撃メインの戦いを、水は素手ならレスリングや柔道、合気などの組技メインの戦いの記憶を読めるでしょう」


 魔術の技法はイメージする力をかなめとするのは理解している。


 地属性に関しては対応する大天使はウリエルだ。ウリエルは旧約聖書でヤコブと格闘した描写があるそうだ。水に対応するガブリエルも戦に関わった伝承があるが、水には受動性というイメージがあるから組技なんだろう。


「従治は格闘技の経験がありまセン。ボクが考えるに、現実での護身術もふくめて、地の召喚を行って素手での打撃戦から学ぶことを勧めマス」


「了解だ、ダン師匠。戦いの専門家の言葉に従うよ」


 師匠は満足そうにニコリと微笑み、ひとつ頷いた。




 自分がいま居る場所は魔術的空間であるので、そこで活動している身体は筋肉痛などになったりすることは普通は無い。それでも何となく武術の修行ということで、学生時代の体育の時間を思い出しながら身体のスジを伸ばしていると、ダン師匠が声を掛けた。


「我が弟子よ、修行を行うに際して告げておくべきことがありマス」


 その顔はいつになく真剣で、おそらく仕事用の顔なのかもしれないと思う。仕事とは、軍での戦いに臨むことだ。


「武術は心身を鍛えてくれますが、その本質は戦いの道具デス」


「そうだな」


「道具という意味に照らせば、武術は銃と変わりまセン。ここで想像してほしイ。同じ装備で同じ銃をもち、同じ戦場で対決する二人の兵士がいたとしマス。その勝敗と、その生死は何によって決まるノカ」


「……」


「道具は使えて当たり前のものデス。壁に飾るためだけに有るわけではナイ。だから道具を整備し、情報を集め、装備を整え、仲間を集め、体力をつけ、準備を入念にすることこそ、勝利につながりマス」


「了解した、ダン師匠」


「もう一度言いますが、道具は使えて当たり前にしておきなサイ。――そのために、ここで学んでも、現実でも体力はつけておきなサイ」


 俺が頷くと、師匠は満足したように表情を緩めた。




 ダン師匠は俺から少し距離を取ると周囲を確認し、少し考え込んでから口を開いた。


「それでは修行パートを始めマス」


「いや、だからパートって何だよ? マンガかよ」


「マンガ! ああ、素晴らしいデス! ボクの生涯の教科書と言ってもイイ!」


「それは本当にどうかと思うぞ、さすがに」


「そしていまこの場で、日本のマンガを参考にして“精神と〇の部屋”をこの場に作るために、トート神の力を呼び起こしマス!」


「ちょっと待ったー!!」


 何だよ、〇神と時の部屋って。龍玉かよ。俺は脊髄反射的にダン師匠を止めることにした。


「何ですカ?」


「いや、何とかの部屋云々は置いておくとして、わざわざトート神の力を借りて時間の流れを調整するのか?」


「そうですヨ。クロウリーの七七七の書でトート神の数価は二と分かっていマス。生命の樹でいえばホクマーですから、火の五芒星と金星の六芒星を使えばいいだけデス」


 師匠がホクマーと言っているのは生命の樹の二番目の球体のことだ。ヘブライ語由来の発音だとそうなるようだが、日本では翻訳の過程で訛ってコクマーとか呼ばれている。四番目の球体のヘセドもケセドだし。


 もっとも、仏教の真言も伝来の過程で訛っているようだが効果はあるので、なにを指しているのか分かればいいのだろうと思っているが。要は使えればいいんだよ。


「そうかも知れないけどさ、体感する時間を魔術で引き伸ばして修行するのって、却ってダラけないか?」


「ふム」


「修行って集中した方がいいと思うんだけど。ええとダン師匠に響くようにいうなら……ほら、あれだ、勇者が出てくるマンガだ。大魔導士が弟子に極大呪文を伝えるとき、一瞬で済むって奴があったろ?」


 俺の言葉にダン師匠は雷に打たれたように固まってその場から数歩後ずさると、膝から崩れ地面に四つん這いになった。


「そ、その通りデス。極限の集中力こそ、修行パートの華デス……。まさか弟子に教えられるとハ」


 そんなことを呟いていたが、やがて何事もなかったかのように立ち上がると、口を開いた。


「メリハリが大事ということは一理ありマス」


 思わず俺は眉間を押さえた。誰か助けてくれ。




 その後俺はダン師匠からの情報の通り、地の召喚を行い武の記憶を地元素から読むことになった。俺は魔術的空間の丸の内駅舎前の広場の中央に立ち、駅の方に身体を向けた。


 召喚儀式を始めた。開式の宣言をし、五芒星の小儀式を行い、水と火の周行を行い、神殿を開く宣言をした。


 直後にイメージの働きにより、眼前に白い光で上向きの五芒星を描き、俺は“アーグラ”と唱えた。そして直後に最初の五芒星に被せるようにもう一つ、手前に五芒星を描いてから、俺は“アドナイ”と唱えた。二つの五芒星は程なく虚空に消えた。


 目の前には時計の文字盤のように、円盤が浮いているとイメージする。その円盤は外側から二重の円が描かれ、その内部は直行する二本の線で均等に四分割されている。四分割された中は上から順に時計回りに黄、緑、黒、赤に色分けされていた。


 そして俺は祭句を唱える。


「始原たる地元素よ、我は“法の御名において”燦然さんぜんたる神殿を開けり、


 始原たる地元素よ、我はその助力を得んとす、


 コー・メス・エル・ハー、


 コー・メス・エル・ハー、


 コー・メス・エル・ハー、


 コー・メス・エル・ハー、


 その楽地たる働きにより、その内に秘める武の記憶を我に宿せ!」


 円盤は緑色に強く輝き、やがて虚空に消えた。


 その後俺は霊の退出の五芒星と、地の退出の五芒星を描き、閉式の宣言をした。


 そして、地元素の召喚は完了した。

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