28.大切な人に向けるそれと同じように示せ
引き続き俺は魔術的空間の中で、夜の東京駅丸の内駅舎前の広場に居た。ダン師匠に修行を付けてもらうことになったのだ。師匠の知見によれば、魔術で多用する四大元素の召喚を行えば、武の技術を自身に宿すことができるというものだった。
そんな都合の良い話が在るのかと思った。だが、師匠は俺なら可能だと告げた。世界の写像を魔術的空間で用意し、場の記録を読み出せるなら可能とのこと。
俺はまず、師匠の知見をもとに地元素の召喚を行った。
「うん、確かにこの身に地元素の諸力が宿ってるよ」
「そうですネ。ここまでは特に問題点も無いでしょウ」
自身の両手の平に意識を集中させれば、先ほどの召喚の際に感じた地元素の諸力が込められていることを感じられた。
「それで、ここからはどうすればいいんだ、師匠?」
「儀式内の祭句により、地元素を基にした武の記憶がすでに従治に宿りましタ。後は武術を使うような攻防を行えば、記憶を取り戻すようにワザの使い方が分かりマス」
「実戦訓練か……」
「この空間ならそれでも大丈夫でしょうが、とりあえずは
そう告げるとダン師匠はすたすたと俺に近づき、一歩踏み出せば身体がぶつかるところまで寄ってきた。
「ちょっと近くないか?」
「ゲームではないので、格闘ならこの距離でしょウ。左足の位置はそのままで、右足を半歩下げて半身になってくだサイ。そうデス。重心は両足均等ニ」
「手はどうしようか?」
「直ぐ使い方は分かるようになりますが、拳骨を握って縦拳でこんな風に構えてくだサイ」
目の前の師匠の構えを真似て、自身も同じように構える。
「では始めマス。ボクが正拳で打ちこみマス。それに対処して下さイ」
「よろしくお願いします」
俺の言葉にニコリと微笑むと、師匠は目で終える速さで右の正拳突きを出してきた。俺は反射的に、向かって右左どちらかに移動する選択肢が脳裏に浮かぶ。
相手の前に出たくないと思った瞬間には、半身で前に出していた左足を前に踏み込みつつ移動していた。
同時に前に出していた左手の肘から先の部分で、師匠の正拳を自身の右へと往なしながら、認識の上で彼の頭部の防御が手薄だと気づく。気づいた瞬間に空いていた右手で、師匠の顔面へと突きを放っていた。
ダン師匠は直後に俺の突きを空いていた左手で往なしていた。
「はい、オーケーデス。どうですか、従治?」
「……文字通りデジャブというか、未経験のはずなのに、考えながらその速さで身体が動く感じというか。ちょっと奇妙だ」
「右正拳突きへの左内受けと上段突き、ですネ。ボクはそれを上げ受けで捌いた感じですカ」
「知らない事のはずなんだけど、言語化すると子供でも分かるような事実を述べていることに気づくような感じというか」
「おもしろいですネ。どんどん続けましょうカ」
「お願いします」
その後、約束組手を繰り返した。ある程度の回数を繰り返したところで、ダン師匠が口を開いた。
「約束組手はこの辺でいいでしょウ。武の記憶を引き出す感じは如何ですカ?」
「だいぶ滑らかに出来ていると思う」
「ならここからはスパーリングをしましょウ。模擬戦デス」
普通に考えたら武術未経験の状態で、元軍人相手にスパーリングとか自殺行為でしかない。ただ、ここまでの約束組手によって、武の記憶を読み出す感覚は自身に馴染んで来ていた。
「せっかくの魔術的空間です、禁じ手は特に無しにしましょウ。致命的ダメージを貰いそうな場合は、その判断もできるようになっていマス。従治はボクを殺す気で来なサイ」
「……了解した」
その後、ダン師匠の指示で互いに三歩ほど後ろに距離を取った。
そうして夜の東京駅丸の内駅舎を背景に、俺とダン師匠の模擬戦が始まった。
「構えテ」
「……」
「ステンバーイ、ステンバーイ、……ゴゥッ」
ダン師匠はスリーピースのスーツ姿で両足を肩幅ほど広げ、やや腰を落として両手を上げている。レスリングの選手の構えに近い気がするが、ゆっくりとこちらに移動してきている。
対するに俺は縦拳を構えた状態で、早めの速度で間合いを詰めた。そしてまず牽制の意味を込めて、右の中段突きを放った。
それとほぼ同時に師匠は動き出し、上体を落としながら俺の腕を潜るように俺の突きを往なし、自身の左体側を俺の右体側にぶつけた。
直後に師匠は、自身の膝をガニ股になるように曲げながら俺の背面に左足のももを持っていきつつ、上体を俺の前面に潜り込ませる。俺は師匠の左ももと左手に挟まれる形で後ろに倒されそうになる。
俺は正拳突きを放っていた右手で、師匠の首元から伸びるネクタイを掴む。それと同時に俺の身体を抑えていた師匠の左手で逆上がりをするように、ネクタイを下に引きながら地面を蹴る。そこで生じた勢いで身体を回転させつつ右ひざで師匠の顔面を蹴りつけた。
師匠は俺の右ひざと自身の顔面のあいだに右掌を割り込ませつつ、自ら後ろに倒れて勢いを殺した。俺は師匠を目の前に見る形で両膝をついて着地したので、そのまま立ち上がる勢いで前に踏み出し、上体を起こそうとしていた師匠の喉を左足で踏み抜く。
師匠は両手で俺の左足のかかととつま先をつかみ、右回転させながら自身の足の方に投げ捨てようとする。
俺は自ら身体を回転させながら飛び、両ひざで師匠の腹部と金的に着地しようとした。師匠は寝そべったまま身体を右回転させて俺の両ひざを回避した。
そして師匠は回転の勢いを使って立ち上がると、同じく向かい合わせで立ち上がろうとしていた俺の鳩尾付近に蹴りを入れることに成功し、俺はその場で地面に仰向けになった。
「まあまあデス」
「瞬間的に動きは分かるんだが、これを現実でできるかといえば難しいな。身体の動かし方の記憶は現実に持ち越せるとしても、多分一分も持たずに息が上がり始めるよ」
「そうですネ」
「師匠が体力をつけろっていうのはすごく良く分かります」
そう告げて俺はその場で立ち上がった。
「従治……」
「はい」
「敬語になっていマス」
「別にいいだろ、師匠だって言葉づかい丁寧語だし」
「何回も言ってマス。従治はもうボクと同格です。それで会話に敬語を使われると他人扱いされてるみたいで悲しいデス」
「分かったよ、悪かったよ」
駄々っ子かよ面倒くさい、本当に。俺は溜息を吐きながら、師匠に意識を向けた。
「それで、もう少し模擬戦をやったほうがいいだろうか?」
「そうですネ。次はジャブとかローキックとかフェイントとか、牽制を意識してやってみましょう」
「了解した、師匠」
そうして俺は十回以上ダン師匠とスパーリングをし、それなりの手ごたえを得た。
修行も区切りをつけ、俺たちは赤レンガの駅舎の前に生成したキャンピングチェアで一息ついていた。
「わざわざ修行をつけてもらって手間をかけた。ありがとうな、師匠」
「どういたしましテ」
「こんな武の記憶を読み出すような技法があるなら、もっと前に教えてくれても良かったのに」
「教えても良かったのですが、現実の戦闘とか殺伐としているじゃないですカ」
「……」
「あまり魔術からズレていくようなことを教えるのは、教育方針として優先度が低かったのデス」
そう告げてダン師匠は、キャンプテーブル上にカップごと俺が生成したホットココアを啜った。
「教育方針か。――もし俺が将来弟子を取るとして、その時気を付けておくべきことはあるだろうか?」
「そうですネ。……師匠なんて弟子から見れば大きく見えるものデス。だから、弟子に誠実に接することが第一デス。厳しさも優しさも、己の大切な人に向けるそれと同じように示せているカ。それを問い続けることデス」
少し考える様子を見せてから、得意げにするでもなく、穏やかな表情で淡々とダン師匠は告げた。その言葉について少しばかり自身の中で響かせてみると、気づいたことがあった。
「なあ師匠、いいことを言ってくれたのは分かってるんだが……」
「どうしたんですカ?」
「『誠実に接する』って、言い換えれば自分丸出しで全力で行こうってことじゃ無いのか?」
「そうかも知れませン……」
「俺、思うんだけど、師匠の場合はもう少し自重したほうがいいこともあると思う。歳とか考えたほうがいい」
「ボクは生涯現役デス。歳を重ねても、むしろ熟成が進むのデス」
「いや、腐敗だろ。言い換えだろそれ」
俺は本日何度目かのため息をつきながら、夜の丸の内駅舎の偉容を見上げた。
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