4.色々試したという部分について
神社仏閣を訪ねたときに、参拝の証というか記念として有償で発行される御朱印というものがある。
人によってはそれらの神仏との縁の証として、御朱印帳と呼ばれる冊子に熱心に収集する。それらの御朱印帳は人によって色々な扱いをされるが、本人が没したとき、火葬の棺に遺体と共に入れられ、彼岸に送られることがあるそうだ。
子安さんは半ば趣味として御朱印集めをしているようだが、本人曰く、中でも
「そうねー。私の勘だと、十中八九、店長に何か面倒ごとが起こる気がするのよー」
「面倒ごと、ですか」
正直、副業のことを考えれば、叩けば埃が出る身ではある。不安というほどではないが、妙な予感めいたものはすでに生じてしまっている。
もっとも、宗教などの布教活動で、信者の獲得などのために不安を煽るのはよくある事だ。子安さんの気質に限っては、そのようなことは間違いなく存在しないと断言はできるものの、脳裏にはよぎった。
「どの程度の面倒さ、ですか?」
「怖い人たちに囲まれて、よってたかって苛められるような感じ?」
即答である。
怖い人たちと言われ、反社会的な連中のことが思わず脳裏によぎる。
「別にやくざ屋さんたちとかじゃないとは思うけれどー、怖い雰囲気を絶やさない人たちと言った方がいいかしらー」
俺の表情を読んだのか、子安さんが補足する。俺としては状況が曖昧になってしまった感があるのだが。それでも彼女の柔らかな表情の中で、目は笑っていない。
「……マジですか?」
「マジでガチよー。私の勘では、だけどねー」
俺と子安さんのやり取りを横で見守っていた赤井が、危ない話を聞いてしまったような表情で席を立つ。
「店長、ここまで子安さんが言うんですから、何かあるんですよ。おまじないして貰えばいいじゃないですか?」
そして休憩を終えることを告げて、赤井は厨房に向かった。俺もそろそろ休憩は終えて、店に立たなければならない。それでも子安さんが気にかけてくれる以上、それに応じる必要はあるだろう。
「俺も店に出ますね」
「その前に
「……そこまで言うんでしたら、折角なんでお願いしますよ」
そう答えると子安さんは頷いて、俺が座る椅子を自身に向けさせ、自身は俺のすぐ前に立った。一つ深呼吸をすると彼女の柔らかな表情から感情の動きのようなものが消え、意識を集中させ始める。
永く感じられる静謐が一瞬、室内に満ちた後に、子安さんは自身の胸の前で合掌し、口を開いた。
「とほかみえみためー、とほかみえみためー、とほかみえみためー、
その本地たる
その
災いから護り、戦いの中で護り、勝利と幸いをもたらし給えー、
かむながらたまちはえませーーー」
そこまで緩急をつけて唱えた後、子安さんは最後に
その瞬間、都内の雑居ビルの中、必ずしも片付いているとも言えない俺の店の事務室が、清められた気配があった。
子安さんの
ふう、と子安さんは一息つくと柔らかい表情を浮かべた。
「はい、これで取りあえず大丈夫よー」
「……ありがとうございました」
「どういたしましてー」
おまじないと聞いていたが、実際に目の当たりにするとなかなか本格的である。少なくとも俺の感想としては、儀式として成立している感触があった。
「結構、本格的なんですね?」
「そうでもないわよー。これでも若いころ色々試したのだけど、気が付いたらいまの形に修まったのよー」
うふふ、と少し得意げにほほ笑む子安さんを眺める。
「ほんとうはねー、
それは流石に略しすぎだろうとか、どこかの錬金術師な漫画じゃないんだからと思う。その一方で、密教に伝わるという
少なくともオカルトに引きずられている身としては、色々試した、という部分について聞いてみたい気はする。
「そのあたりの話はすこし、興味がありますね」
だが取りあえずいまは仕事中だ。子安さんに声を掛けつつ、頭を切り替えて俺は席を立った。
そんなこんなで大過なく数日が過ぎ、俺の調査は完了した。結論からいえば、生田を主犯に仕立て上げた関係者は、総数で十三名になった。
県議とその秘書一名、ベンチャー関係者三名、残りが県庁関係者だった。
個別に始末を付けることも考えたのだが、それなりの人数であり、今回は談合とそのなすり付けに関する復讐である。俺は、分かりやすくまとめて処理をすることに決めた。
その日、いつも通り俺は風呂を済ませ、意識を自身の魔術的世界に送り込んだ。
無限光とその流出、そして生命の樹の生成と分裂までは、ほぼ定型の作業だ。ここ数日の調査でもあった、子安さんの気配に似た何かを感じた。
じっさいに嗅覚に感じるわけでは無いけれど、香りで例えるなら“柑橘系のフレグランス”のようなものというか。少なくとも作業を阻害することは無さそうだ。
多分おまじないが効いているのだろうと思うことにする。
今回使うのは、四つに分裂させた生命の樹の上から三つ目だ。
それぞれ分裂させた樹には区分けがある。卑近な例でいえば、たとえば生活用水を扱うことに重ねてみる。
上から
下から順に語れば、上から
水道からコップ一杯の水を汲むように魔術の結果を得るためには、一番簡単でリスクが低いのは、四つ目の生命の樹を使う手法だ。自らの意志の働きを書換えて、物ごとの受け止め方にいい影響を与えたりする。まぁ、それだけでは無いけれど。
だが自宅の水道管はあくまでも通常の使い方しか想定されていない。他人の家の蛇口を勝手にひねって水をどうこうするには、少なくとも上から三つ目までの生命の樹を使う必要がある。
俺が自らの師匠から仕込まれたのは、そういう類いの魔術だった。
水が飲みたいなら川から汲んできても、雨をためてもいいじゃない、という意見もあるかも知れない。もちろんそれは否定しない。ただ俺は、こういう手段を使うのだという話に過ぎない。
『今回のテーマは復讐なんだよな。タロットでいえば正義なんかでもいい訳なんだが、断罪ともすこし違う』
そう意識だけで呟いて、俺は視線を走らせる。
今回俺が使うのは、上から三つ目の生命の樹の、パイプの部分だった。球体の部分にはそれぞれ、この世界の
目的のパイプ部分は、生命の樹の三番目と五番目の球体をつなげる
視界に広がるのは肥沃な草原だ。青空には白い雲がまばらに流れている。その中に一本、広い道が走っている。道の上まで意識を移動させ、魔術的権能で黒いローブを着た自身の肉体を形成し、意識を移す。
顔を深く覆うローブ姿で周囲を見渡していると、地平線の彼方から砂埃を上げながら、ものすごい速度で何かが走ってきた。
それは二輪の馬車だった。古代エジプトなどで戦時に使われた戦車だろう。タロットカードでは人面の獣であるスフィンクスが共に描かれているものがあるが、視線の先では別の獣が引いている。それはスフィンクスという品種名が付いている短毛の猫二頭だった。
もっとも、そのサイズは大きめの豹くらいはあるのだが。
皮ふの見た目から苦手にする人もそれなりに居るのだが、非常に人懐こい性格をしている品種だ。
「駄洒落って訳ではないだろうけれど、俺の無意識が決めてるんだろうか。スフィンクスと言ってもネコなんだよな」
そうこうしているうちに俺の眼前で急停車すると、スフィンクスたちは俺に覆いかぶさり顔をベロベロと舐め始めた。傍から見れば捕食シーンに見えるだろうが、親愛の証なんだろう。
「おまえら落ちつけ。取りあえずお座り!」
二匹はニャーと揃って応えながら、その場に整列した。
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