3.もしかして怖い系の話だったり

 山城の執務室の向かい合わせのソファには、三人の男がいた。上座に居るのは、企業経営者など、他人を使うことに慣れている気配を持つ男だった。彼が山城だろう。


 その向かいには二人が座る。ややくたびれたスーツを着た神経質そうな中年と、ビジネスカジュアルというのか、品のいいジャケットを着こなしたやり手に見える青年が一人いた。


「結局のところ、立件されるのは避けようがないということで間違いないのかね?」


「昨日先生にお話した通り、もう公取委までは通っています。最終的に刑事事件として扱われるのはほぼ確定と見ておいた方がイイんですよ。……逆に云えば、手を打つなら今しかないってコトなんです」


「だがしかし――額野ぬかのくん、どんな手があるのかね?」


 先生と呼ばれた山城には、それほど焦っている様子は見られない。刑事事件として検察などが動くようなことになれば、自身のみならず所属政党などにも影響が及ぶ話だろう。それでも落ち着いているのは場数によるものか、本人の資質かは分からない。


 対するに額野と呼ばれた神経質そうな中年は、口調の端々で震えがみられる。あるいは、自身の人生設計などにまで懸念が及んでいるのか。


「いまなら、主導した者を我々が据えることがデキます。お話した通り、内部告発なのはほぼ確かですが、ツテをあたって匿名ということは分かっています」


「監査人に伝手があるというのも、お役所は大したものですね」


「本来はあり得ないさ。でも、イロイロあるんだよ、公的機関にはね。塩見しおみくんが想像もしないようなトコロで繋がっていたりする」


 皮肉だろうか、やり手風の塩見と呼ばれた青年が口を開くと、額野は視線を向けずに細い声で応じた。そんなやりとりを、山城は頷き眺めている。


「……話を戻すが、主導者を据えるのは色々と大丈夫なのかね?」


「証拠の面でいえば、今回の件が計画されて通った段階で、ウチの課は共犯――運命共同体みたいなものです。今さらドウとでもなるんです」


「私がいうのも何ですが、お役所って怖いですね。ちなみにその“主犯”にされる人、逮捕されちゃったりするんですか?」


 塩見に問われた額野は瞑目して渋面を作り、細い声を吐き出す。


「そこに関してもデキるだけ手は打つが、前科は付くとおもう」


「うわあ、かわいそうだな。――まあ、路頭に迷うようなことがあれば、本人の状態にもよりますが私も転職先は紹介できるので、こっちに投げてください」


 酷薄そうな口調で塩見が告げるが、ここは他人事という判断なのだろう。


「ふむ。君だって社名は出ると考えた方がいい。簡単に他人面できるのかね?」


「私の方はそもそも先生と話が通った段階で、色々なケースを考えています。一時的に社名は出ますが、製品自体は自信がありますし、そもそも我々は海外の市場の方が大きいですからね」


 ふむ、とさらに一声漏らして山城は考え込み、やがて口を開いた。


「仕方ないだろう。額野くんの案で進めてくれていいと思う」


「分かりまシた」


「それと、念のため聞いておくが、主導したことになる者の名前は?」


「生田です。生田孝一くん」


 そこまで語られてから、山城と額野はそれぞれ長い溜息を吐いた。




「停止ののち、この場に居る者の経歴を履歴書形式で表示」


 一連のやり取りを傍観したあと俺は、必要な情報を本人たちの頭上に表示させ、目を通した。出来のわるいドラマの撮影現場に同席したような、いたたまれなさを我慢しつつ、額野と塩見の所属を心にメモした。額野はK県庁の保険行政に関わる部署の者で、塩見は外資系ベンチャーの者だった。


「こいつらの所属先でも確認、進めないとな……」


 そう呟いた俺の心は、酷く渇いていた。




 仕事を終えて帰宅したその青年の部屋には、ギターやベース類とアンプなどが並んでいた。壁にはエクスペリメンタルロックのバンドのポスターが見える。


 手荷物を床の定位置付近に置き、椅子に座ってPCに向かう。スマホを弄りながら視界の隅でPCの画面が立ち上がったのを確認すると、ミュージックシーケンサーのソフトを起動させて椅子に深く座り、長い髪をかき上げながらスマホ画面に視線を移す。


『NR Jは1件仕入れた。着手する模様』


 揮発性のチャットアプリのいつものアカウントで打ち込む。NRはネガティブリポートの略、定時連絡を意味する。Jは青年がよく知る者を指していた。そこまででメッセージを送信すると、すぐ既読が付いた。


『他は?』


『面倒そう』


『了』


 先方と簡潔にやり取りをするとスマホを置き、ヘッドフォンをした後に椅子を立ってギターを手に取った。青年はよく知る誰かを思い浮かべつつ、苦笑しながら日課の演奏の準備を進めた。




 仕事場も近くなったところで、その女性は自転車を降りて押していた。落ち着いた服装と雰囲気、そして自転車に付けられたチャイルドシートから、主婦であろうことが分かる。早朝とはいえ天気も良く、都内にしては澄んだ朝の空気が爽やかであるのだが、彼女は何か考え込んでいるようだった。


「子安さん、おはようございます!」


 よく知る挨拶の声に主婦が振り返ると、そこには若い女性の姿があった。


「あら、まどかちゃん、おはようございますー」


「どうしたんですか? 何かモヤモヤした雰囲気がするんですけれど」


 主婦の名は子安帆群こやすほむらといい、もう一人は赤井円あかいまどかという名だった。共に守谷が店長の喫茶店で働く店員で、今日は出勤が被ったのだ。


「あら、相変わらず鋭いわねー。ちょっと変というか奇妙なことがあってねー」


「え、……奇妙? もしかして怖い系の話だったりします?」


「うん、ちがうわよー。ついでに言うと、円ちゃんの推しの未確認生物UMAの話でも無いかしらねー」


「な、なんだってー?」


 赤井との受け答えに柔らかく微笑みつつ、子安はどう伝えるべきか頭をひねっていた。その様子を読み取るように察しながら、赤井が口を開く。


「でも、言葉にしにくいことなら、ナイショにしてくれても全然いいですよ?」


「ちがうのよー、起きたことを説明するのは簡単なのー。……不思議なんだけど、けさ家を出て子供を園に送ってきたでしょう?」


「ふむふむ」


「その後にね、信号で十回連続して赤信号で止められたのよー」


「な、なんだってー? って、“十回”ですか。……なるほど、“ジュウ”っていうとどこかのウチの店長の名前が従治じゅうじなんですよね」


 赤井は子安の懸念を次第に具体的に察しながら、子安に視線を向ける。


「そうなのよー。それでねー、十一個目の信号以降はスイスイだったのだけど、ちょっと通り過ぎた旅行代理店のポスターに視線を取られたりしたのー」


「ちなみに、何のポスターだったんですか?」


「たぶんだけどー、不動明王みたいな密教の仏さまを見に行こうツアー、みたいなー?」


「その辺がやや、曖昧なんですね」


「そうなのよー」




 赤井が事務所で俺に人差し指を向け、ようやく語り切ったとでもいうような満足げな表情を浮かべて告げる。昼休憩のときだ。


「……ということがあったんですよ!」


「な、なんだってー?」


 何となく俺も彼女らのやり取りに付き合って答えてみた。


 意外と気分はいい。


 では無くて、子安さんが遭遇した出来事にどう反応すべきか少し思いを巡らせる。偶然の一致であるとか、不思議なジンクスのたぐいも、確率上の話なんだと言ってしまえばその通りではある。


 ただ今回その話を持ち込んだのが子安さんということで、少し考え込む余地が生じてしまった。彼女はある種、“繋がっている”人なのだ。


 何と繋がっているのかといえば説明が難しいのだが、大きな括りでいえば“神仏をはじめとした彼岸の存在”との繋がりがあるのだ。


 世が世なら、権力者に囲われるたぐいの巫女となっていたかも知れない。……今は二児の母ですが。


「そういう訳なんで、子安さんが店長に、おまじない掛けてくれるとか言ってましたよ?」


「子安さんのおまじないかぁ……」


 実のところ、彼女のおまじないは得意分野がある。それでも、厄除けであるとか除災のたぐいや、掛けられる本人の勝負ごとには比較的効果があるらしい。


 あくまでも伝聞ではあるが。


 そんなやり取りをしていると、事務所に子安さんが入ってきた。赤井と交代で昼休憩を取るのだろう。


「あら店長。その様子だと円ちゃんからお話は聞いたのかしらー?」


「ええ、話は聞きました。正直、どう判断するものだか分からないってところですけれど」


 それでも多分、何か無視できないことが起こるのだろうという予感が、俺の中に生じていた。

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