2.失敗して俺が廃人になっても
依頼者を送り出した後、俺は目を閉じて内容を整理していた。
今回の依頼者の名は桃田ひとみ。依頼の内容は、桃田の交際相手であった
そこまで考えていると浅菜が事務室に来た。
「あの人は帰ったけど、来た時よりも落ち着いた感じがしていた気がするよ」
浅菜に言われたことは俺も同意できた。
「それに関しては同意する」
桃田は誰かに、願っていることだけでも聞いてほしかったのだろう。
「今回も、僕には話してくれないんだろ?」
浅菜の一人称は僕である。彼女はパンツルックを好むようだが、LGBTなどとは関係無いようだ。
「ひよっこ仙人にはちょっと重い話だからなあ」
「そりゃ僕は仙術をかじった程度で、自分のことで手いっぱいだしね。店長のように他人のために働いて、何かを変えられるほどの力量が無いのは分かってるけど……」
浅菜は日本に居る台湾人から仙術を習っている。仙術と言っても気功に加えて道教の呪符と内家拳武術を道教の哲学で煮詰めたような内容らしい。彼女の師匠曰く、先人たちが"始原の実践哲学"に近づこうとした結果とのこと。
俺の副業に関しては、浅菜の力量に関わらず、手伝わせるつもりはない。少なくとも、いまのところは。
呪術の内容によっては脅迫罪で立件されるらしい。非科学的なことや再現性の点で犯罪ではないものの、触法はありえる。加えて、実務的な部分では連携だとか分担に不安があるためだ。
そもそも本業としているならともかく、副業を誰かに手伝ってもらうつもりは俺には無かった。
「まあ、心配するな。仮に逮捕だとか、魔術が失敗して俺が廃人になっても、お前らならこの店をやって行けるだろ」
「まったく、そこまでヤバい話なのかい? 言っても止まらないのはもう救いがたいけれど、……僕は店長が居なくなったら寂しいよ」
「そりゃ嬉しいことを言ってくれるな」
「時々お昼に、みんなにピザを取ってくれるようなことが無くなると思うと、特にね」
「……ちょっと待ってくれ」
そこまで話すと、浅菜は笑いながら厨房に戻っていった。浅菜の笑顔には、心のコリをほぐす効果があるんじゃまいかと時々思う。
「コリって、おっさんかよ。……まぁ、おっさんに近づいてるけど」
一人残った事務室で、自分に突っ込みを入れつつ思わず呟いた。
独居のアパートに帰宅後、買ってきた総菜と昨日炊いて残った米とで食事を摂り、PCに向かう。調査を行うのに下調べをする。
桃田の彼氏である生田の所属は不明だった。だがネットに残る報道の記録から、K県の医療関連システム導入ということで、総務や医療関連部局の課長級を洗おうと判断し、名前と勤務先の住所を手元のメモ用紙に控える。
次に県議の名前から、選挙事務所の所在を控える。最後に、報道にあった都内のベンチャーの代表者や役員の名と、会社の所在を控えた。
それぞれの組織の所在について土地勘は問題なかったが、念のため検索サイトの地図サービスを使って確認を行った。
調査のための下調べはこんなものでいいだろう。PCの電源を落とし風呂を済ませ、PCのブルーライトの影響を脳から排除するために三十分ほど雑誌などを読んでから、時計を確認し布団に横になった。部屋の明かりは点けたままだ。
さて、調査と行こう。
目を閉じた俺は、実際に自分の存在がその空間に居るようにイメージする。そこは白い空間だった。単色なら何でもいいのだけれど、イメージがラクな白にしている。いつものように、概念上ここは無限の広さがあると自らで認識する。俺の身体は空間に融けていて、視座だけがそこにあった。次の段階に進む。
中空に光点をイメージし、数瞬でそれが空間を埋め尽くす光になるとイメージする。このままでは眩しいので糸ほどまで収束させ、下方に水道の水を向けるように光を送る。ある程度進むと中空で光の球体となる。球体からはそのまま、パイプのように光が伸び、また新しい球体が生まれる。
高校の化学で扱うような分子モデルの模型の様ではあったが、それはどんどんと伸び、球を増やして存在感を増した。それは十一個の球体と二十二本のパイプから出来ていた。
オカルト知識がある者がみればそれは、ユダヤ教神秘主義をもとに欧米人が実践哲学や魔術に用いた、生命の樹だと分かっただろう。
無限の空間に形成された生命の樹は、俺の意志の働きによりその形を保ったまま分裂した。樹は分裂する際に、新しくできたものが下に移動し、さらに分裂していった。最終的に四つの生命の樹に分裂し、準備が整った。
俺は、一番下の生命の樹に注意を向ける。ここまでで自分以外を想起する気配はない。他者からの魔術的な干渉は特に無さそうだ。そして、注意を向けた生命の樹の下から二番目の
俺がここまで面倒くさい手順でイメージしたのは、師にあたる人から仕込まれたこともあるが、安全のためでもある。魔術的にはヒトは意志の働きさえあればどんなことでもできる。
問題は、無軌道に魔術的行為を行った場合だ。一番わかりやすい例でいえば、日常の意識と魔術的な意識の切り替えが出来なくなり、狂う。だから、日常生活と線を引くために、儀式であるとかイメージ操作を行うのだ。
俺が入り込んだ
俺の視点の前には、宇宙空間に浮かぶ青い星があった。地球だ。現実世界の情報をもとに俺の魔術的意志によって形成された、
『さて、いつもどおり、自分の身体で調査するか』
そう呟いて俺は、宇宙空間から音もなく自室まで転移した。布団に横になった俺の姿がそこにはあった。俺は管理者の権能で自身の肉体を操作し、布団から起こした。メタヴァースというか、オープンワールド系RPGを操作している気分になるが、いつものことである。
「とりあえず着替えるか。部屋着で外をうろついても
夜に目立たない暗い色のチノパンとジャケットに着替え、PCの傍らから控えたメモを手に取った。そしていつも通り玄関から出て施錠し、権能の力で身体を別の場所に転移させた。
調査の取っ掛かりとして、標的の山城県議の事務所に向かう。当然だが訪ねたことが無い場所だ。最寄り駅は手元のメモに控えてあるので、そこまでは転移した。
帰宅時間帯だからか、半島にある住宅街の私鉄駅前にはそれなりに人の流れがある。駅前と言ってもコンビニくらいしか無いようだ。
「大学が近いからか学生街なのかね。アパートが多いな」
そう呟いてからメモを確認し、意識を割いて事務所がある住所上空に下向き矢印を出現させる。拡張現実技術でもあるまいし、現実世界で同じことをしたら通行人が騒ぎ出すだろう。近隣にある米軍基地などからも興味本位に見に来るかもしれない。
だがこの世界は、あくまでも現実をもとにした鏡像のようなものだ。俺だけに分かるように世界にマーキングすることは、権能で可能だった。
「近くみたいだし、歩くか……」
住宅街の細い道を歩くこと数分、俺は県議の事務所前に居た。三階建てで事務所の看板がある。一階はもしかしたら店舗だったところを改装したのかもしれない。
県議の事務所には明りがついていて、まだ人が居るようだった。俺は上空の矢印を消し、事務所の入り口から踏み込んだ。
山城県議の事務所の第一印象は、紙仕事が多そうだなというものだった。室内は事務机が並び、PCが設置されていたが、壁際の書棚にはバインダーのたぐいが並んでいた。雰囲気でいえば町の不動産屋に近いかも知れないが、カウンターなどは無い。
一人で仕事をしていた黒スーツの男が立ち上がり、口を開く。
「こんにちは、失礼ですがどちら様でしょうか。ご予定「停止」」
秘書だろうか、いずれにせよ今回の件の関係者かも知れないな、などと思いながら相手の発言に言葉をかぶせる。黒スーツを含め、事務所内の物質の動きが停止した。
「空間固定」
俺の魔術により生成されたこの世界は、俺の権能で操作できる。例えるならオンラインゲームを、自端末だけで遊んでいるようなものだ。そのままであればあくまでも自端末での再現だから、現実世界に影響することは無い。
使い方によっては調べ物には強力な武器となるが、俺がそもそも知らないことは調べようが無かったりする。加えて、コピー元の現実世界で魔術的・呪術的に防御・封印されているエリアは俺の魔術では再現できない。
平安時代や戦国時代、江戸時代などの京都や江戸などでは、呪術的に細工がされているようで、古い街には調べようとしても再現できないエリアがある。
だが、再現ができるエリアでは、過去にさかのぼってその場所で起きたことを調べることができた。
だから、今回の依頼に沿って俺は調査を進める。
「K県予防医療システム開発の談合の指示出しに関して、固定した空間内での遣り取りを検索」
事務所の入り口に立って、権能を働かせるために言葉にする。スマートスピーカーへの指示出しのようなものだが、俺の言葉はこの場で魔術的意志を空間に働かせるための呪文として働く。
「ああ、談合に関わってるか。黒だったか……。再生」
事務所の奥の扉の向こう、山城県議の執務室で会話が始まった。その場で見学するために俺は歩いて移動した。
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