11.法の御名において燦然たる神殿を
数日後の退院に向けて、俺は大人しくベッドで療養していた。少なくとも病院関係者はそのように見ていただろう。
俺としてはせっかく時間が出来たので、ベッドに横になっている間に次善の策を打ってしまおうと考えた。あの神格たちとの話で出たように、西方に関連付く呪詛や祈祷の類いへの防御策を実施するのだ。
ベッドに横になって目を閉じ、毎度の如く意志の働きと共にイメージしていく。無限光から生命の樹を流出させ、四つに分裂させた。この状態の生命の樹は、一番上が世界の原初的で始原的な力に近く、上から四つ目が自身の身の回りの現実に近い。今回は四つ目の生命の樹で作業を行う。
密教の尊格の西方の力に対抗するために、東方の力を使う。魔術では西は水元素が対応し、東は風元素が対応する。元素自体の性質でいえば水を消すのは火だが、今回は西に座する尊格を逆方向の力で抑える。
風と東の方角に関連付く大天使としてラファエルがいる。ラファエルは生命の樹で、“ホド”と呼ばれる
今回はここで天使を召喚する。店内では子安さんや他のスタッフに加え、他店からのヘルプ人員だろう、初めて見る人が働いている。ホドは水星だとかラファエルと関連が深いだけで、認識上の見かけは現実の世界を反映していた。ああ俺も、早く日常に戻りたいなと思う。
『空間を固定。人間などの生物を非表示』
これで、喫茶店内からは人影が消えた。
『俺の身体を生成』
次の瞬間、店内に黒いローブを纏った俺が無表情で立っていた。俺は生成した身体に自分の意識を移した。
「ヘルプの人員、ほんとに助かるよな。戻ったらあいさつ回りしなきゃならんな」
呟いてから、そういえばと思う。
「ヘルプといえば、マアト様がいつでも呼びなさいとか言ってたな。何か手伝ってくれたりするんだろうか」
「えへへ、きちゃった」
「うわぁ!」
突然声を掛けられ、反射的に叫んでしまった。背後に視線を向けると、そこには先に会ったときの姿でマアトが居た。まったく、背後からなんて、どこぞのメリーさんかよ。びっくりしたよ。
「……わざわざ来てくださったんですか?」
「だって今、呼んだじゃない」
「いや、うん、ありがとうございます」
そうか、今ので呼んだことになるのか、などと思いつつフードを外して顔を出す。そもそも先回は確かに俺の呼びかけに応えてくれたのだった。だが先回は、呼ばなくても自分から来たと言っていた神格が居たはずだと思いだし、周囲を確認する。
通りに面した店の出入り口に視線を向けると、大きな獣がたたずんでいた。視界に入った瞬間、思わずビクッとしたが、その姿は稲荷神である白狐だった。相変わらずもふもふだ。
「我、自ら来た。今回は貴様の見学なり」
白狐は扉を開けずにすり抜けて入店し、朗々とした女性の声で述べた。彼女は信者数とか凄いだろうし、こんなところに居ていいのだろうかと思う。それでも来てくれたのは、余裕があるからだろうと思うことにする。
権能の力で店内の椅子とテーブルを動かし、空きスペースをつくる。
「さっそく、明王だったかしら、その対策をするのね?」
「そうです。件の
「いいと思うわよ。――それでね、儀式の中に『法の御名において』という言葉を使ってみなさい。あなたが使えば、当社比で五倍は効果が出るから! 私の加護があるわよ!」
マアトは得意げな表情を浮かべ、両手を握りしめてふんすと鼻息を出す。
当社比って何だろうとか、比率の算出基準とか、そもそも当社ってマアトが経営者とか勤め人だったのかよとか、俺は色々とツッコミたい衝動を頑張って抑えた。せっかく助けてくれるというのだ、差し伸べられた手を取らないのは、この場合は不敬だろう。
式の流れを意識の中で確認してから、マアト指定の文言を祭句の一部に足すことにした。
「それじゃあ、そろそろ始めてみますね」
「わかったわ。――そうそう、この件とは直接は関係無いけれど、少し話したいことがあるの。後で私の話を聞きなさい」
「承知しました、マアト様」
そして俺は店内の開けたスペースに立ち、地図上の東の方角へと身体を向けた。
自身が屋内に居ながら、同時に肥沃な大地に立っているとイメージする。その状態で宣言から始める。
「ここに能わぬもの、遠く遠く去れり。いと清らなる式はここに在らん」
自身を中心にして、足元に半径一メートルほどの薄く光る円形のエリアが生じる。
「御身の手の内に
祭句を唱え出すと頭上から俺を貫くように下方に光線が走り、俺の右側から右肩を貫くように左に光線が走って十字となる。直後に四方に五芒星が浮かび、頭上に六芒星が浮かぶ。一拍の間ののちにそれらは虚空に消えた。
それと同時に眼前に青い光が浮かび、床にゆっくりと降りると物凄い速さで時計回りに三周俺を囲むように円を描いた。
「清らなるは水の如し」
そう唱えると円はすぐに消えた。
次に眼前に赤い光が浮かび、床にゆっくりと降りると物凄い速さで時計回りに三周俺を囲むように円を描いた。
「意志の働きは火の如し」
そう唱えると円はすぐ消えた。
俺は胸の前で合掌し、告げる。
「上の如く下に斯く在り、其は我が内に秘されたり。天上の如く地上はかく在り、いと高き光は我らに等しく在らん」
合掌した手を拳三つ分ほどゆっくりと開く。一呼吸おいてから
直後にイメージの働きにより、眼前に白い光で上向きの五芒星を描き、俺は“アーグラ”と唱えた。そして直後に最初の五芒星に被せるようにもう一つ、手前に五芒星を描いてから、俺はやや一音を長めにゆっくりと“エル”と唱えた。二つの五芒星は程なく虚空に消えた。
一呼吸おいてから、イメージの働きにより、眼前に橙色の光で六芒星を描いた。その中心にはさらに、水星を象る占星術記号を描いている。俺は“アラリタ”と告げると、程なく六芒星は消えた。
さて、ここからは祭句を唱える
俺の前に、二体の天使が立っているとイメージする。共に古代ローマ人が着ていたトガのような服装で裸足だ。背後に折りたたまれた羽根は薄い黄色をしている。彼らが虚空から姿を現す。
そして俺は告げる。
「反響たるエロヒム・ツァバオトよ、我は“法の御名において”
瑞風たる大天使ラファエルよ。我は御身の助力を得んとす。またその助力と共に天使メヒエルの助力を得んとす。
ラファエルよ、ラファエルよ、ラファエルよ、ラファエルよ、
メヒエルよ、メヒエルよ、メヒエルよ、メヒエルよ、
その瑞風たる働きにより、我と我に縁の深きもの、我の大切なもの、我の愛するものを、厭うべき死の働きと厭うべき暴力よりことごとく護れ!」
天使の姿は二体で同じものにしたが、ラファエルを呼ぶと右側の天使が、メヒエルを呼ぶと左側の天使がそれぞれ頷いた。
彼らは頷いてから、程なくして虚空に姿を消した。
一呼吸おいてから、イメージの働きにより、再び眼前に橙色の光で六芒星を描いた。その中心にはさらに、水星を象る占星術記号を描いている。俺は“アラリタ”と告げると、程なく六芒星は消えた。
さらに俺は眼前に白い光で上向きの五芒星を描き、“アーグラ”と唱えた。そして直後に最初の五芒星に被せるようにもう一つ、手前に五芒星を描いてから、俺はやや一音を長めにゆっくりと“エル”と唱えた。二つの五芒星は程なく虚空に消えた。
ここまですれば式を閉じるだけだ。
その思いを飲み込みつつ、胸の前で両手の平を拳三つ分ほど開けて向かい合わせ、一呼吸おいてからゆっくりと手の平を胸の前で合わせる。
そして告げる。
「我は今、この神殿が滞りなく閉じられたとここに宣す」
これで天使召喚は完了した。
ふう、と大きく息をついてから左右に首を傾け、肩を伸ばした。肉体的に疲労したわけでは無いのだが、そんな動作でも気疲れがマシになる気がするのは不思議だと思う。
「いやあ、お目汚ししました」
「お疲れさまー」
「遅滞なく済みしは善きかな」
俺はマアトと白狐に向き直って告げたが、二神の反応は優しげだった。
「カフェラテでも入れますけど、飲んでいかれますか?」
「そうね。お話があるし、付き合うわよ」
「我も可なり」
マアトからの話は気になる。まずは権能の力でテーブルと椅子の配置を戻してからマアトと白狐を席につかせた。そして指を鳴らしてローブを制服に早着替えし、指を鳴らすだけで用意できるところをリハビリも兼ねて、ホットのカフェラテを淹れに行く。一つは深皿に淹れないとな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます