48.自らの裡で確信を込める
現実の身体を自宅の寝室に横たわらせ、子安は幽体となって異様な気配のもとに空を飛んで来た。その結果たどり着いたのは横浜のみなとみらい地区にある国際会議場だった。
状況を観察すれば、国際会議場の南に二本の黒い柱が天地を突くように伸び、会議場上空には巨大な輪宝が浮かんでいた。輪宝は半分ほどが黒く変色し、変色した個所は赤い火が燃え上がっていた。
そして目を凝らすと、空にある輪宝の中央部分の円盤に、海側と駅側から攻撃を加えている者が集まっているようだった。視線の先に見知った気配を感じた気がした子安は、その傍まで飛んで行った。そこには自身と同様の山伏の装束をした河内の姿があった。
「河内さーん、お久しぶりでーす」
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン! ――あ゛? おお、もしかして
「いまは結婚して子安になってるわよー」
「そりゃ済まねぇ。――いま立て込んでてな、このデカ物をぶち壊そうとしてるとこなんだわ」
「ヘンな気配がしたから飛んで来たのー」
「助かるぜぇ。こいつが黒く染まって回転するたびに地震が起きるみてぇでよ。染める原因らしい黒い柱があったんだが、それは若ぇのとかがぶち壊して八本あったのを二本まで減らしたとこだ」
話している間にもまた黒柱は一本消えた。ほどなく黒柱に関してはすべて消すことができるだろうと河内は語る。
「だがどうにもこの輪宝が硬くてよ。こいつを壊せば一区切りなんだろうが、全力でやるとスタミナが切れちまうからちまちまつついてたんだわ」
周囲を見渡せば、法衣を着た小柄な老僧が空に浮かび、呪術的につながった不動明王を動かしてその利剣で斬撃を繰り返している様子に目が引きつけられた。
「ああ、あのじじいが今んところ輪宝破壊での最大戦力だ」
「……普通の明王様と違うわよねー?」
「ああ、
「それでも壊しきれないなんて……。輪宝を作ってる祈祷を止めさせるわけには行かないのかしらー?」
「祈祷をしてる連中の場所が特定できねぇんだよ」
特定できれば儀式を止められるのだろうか、と子安は考える。だが、ある予感が脳裏に浮かんだ。
「ねえ河内さん――輪宝を闇雲に壊すんじゃなくて、黒くなった部分を切り離すようにしてみたらどうかしら?」
「どういうことだ?」
「本来の祈祷で輪宝が生じたのは想像できるんだけどー、臭いっていうのかしらー。黒い部分は別の祈祷が混じってる気がするのー」
「混じってる、か」
「金色の部分の力を黒い部分が吸い取ってるみたいだわー。互いの祈祷の結合部分を切り離せば黒い方は祈祷を維持できなくならないかしら?」
それを聞いた河内はちょっと待ってくれと告げ、近くにいた部下たちに輪宝の中で動く気配を探らせる。やがて体感で数分かかった後に子安と同じ
「ありがとうよ卜部の嬢ちゃん。いままでてんぱってた上に黒い柱からの気の流れでワケ分かんなくなってたんだわ。――こっからはひとつ、解体ショーと行こうじゃねぇか」
「もう、河内さん、いまは子安って言ったでしょー」
「はは、すまねぇな。そんじゃいくぜ野郎ども! 輪宝の黒いところを切り離せ!」
河内の号令は周囲の術者たちに伝達され、ただちに攻撃の矛先が変更され集中していった。
その中にあって河内自身もまた意念を集中し、両手で剣印を結んだうえで言霊を絞り出す。
「とほかみえみため、とほかみえみため、とほかみえみため!
その本地たる
その
かむながらたまちはえませ!」
次の瞬間河内の頭上に、馬に騎乗して和式甲冑を纏った勝軍地蔵の姿が現出した。地蔵尊を思わせるあくまで優しく穏やかな表情のままにその手を振るうと、空中に獄炎が幾つも出現し輪宝へと乱れ飛んだ。
同じくして子安もまた意念を込める。
「とほかみえみためー、とほかみえみためー、とほかみえみためー、
その本地たる
その
かむながらたまちはえませーーー」
言霊を震わせた子安の頭上には八臂辨財天が現出し、夢見るような微笑みのままにその八本の腕に持つ武器を流れるように振るわせて、輪宝へと容赦ない剣気の嵐を叩き込んでいく。
程なく巨大な輪宝の一部にほつれが見え始めると、その場にいる呪術師の誰もが今この瞬間がこの場の勝負どころだと確信し、その意力を尽くして術を成した。
横浜のみなとみらい上空で呪術的に行われていたことの状況は煤山も把握していた。厚木にある寺で祈祷を行っていたのだが、ある時から祈祷を同じ個所で繰り返してしまい、自分の意志で進めることも止めることもできなくなっていたのだ。タイミング的には国際会議場上空に浮かべた輪宝が黒く染まり始めてからの出来事だった。
だが、現地の上空で幽体を飛ばして輪宝を破壊しようとしていた者たちが、本来の金色の箇所と黒く染まった箇所の切断に成功したタイミングで、身口意の制御が自身に戻ってきた。それを認識した瞬間に煤山は力の限り自身の唇を噛み、完全に意識を取り戻した。
「皆! このまま般若心経の
口元から血を滴らせながら煤山は叫んだ。
煤山の叫びに我に返った僧たちは祈祷の次第を切り替えて、指示に従い終わらせるように読経を変えていった。
「網膳さま……」
煤山は、房総の寺で祈祷を行っているであろう立花のことが脳裏によぎった。
八丁堀駅からほど近くの橋の上に、立花は立っていた。その傍らには、かつて自らの子のように親愛の情を掛けていた甥の姿があった。二人が立っているのは橋の歩道で、鋼鉄トラス橋というのだったか、見るからに古いその橋の上部は鉄骨が走っていた。
二人で並んで目の前の水門をぼんやりと眺めていたが、やがて立花が口を開いた。
「いざこうして会ってみると、なかなか言葉が浮かばないものじゃの」
「別にいいじゃん、伯父さん。まだまだ元気そうで嬉しいよ」
「できれば生きている間に、こうして会いたかったのう」
「仕方ないさ。……仕方なかったんだ」
「お前がいちばんつらい時に助けられなかった。ごめんなぁ」
「おれも、周りが見えなくなっていたし、自分のことは自分で始末をって思いこんでいたんだ。今さらだけど、どんなときも味方になってくれる人が居ることさえ見えなくなってた」
「それは儂の怠慢じゃ」
「伯父さんがそう言うならそうかも知れないけど、おれはおれで、自分だけがおれの人生を変えられると思い込んでいた。でも、それははんぶん間違ってた」
「はんぶんか……」
立花の甥っ子は立花に向き合い、優しく告げた。
「伯父さん、こっちに来たおれだからこそ言うよ。ひとりでつっぱしっちゃダメだよ」
「そう、なのかの」
「そうさ。だから、まだこっちに来ちゃダメだ。おれはそろそろ行くよ。また会おう」
立花は甥に身体を向けると、困ったように微笑んだ。
「そうか、……そうか。またそのうちのぉ」
「今日はありがとうな」
立花の甥はそう告げて
護摩壇の前で我に返った立花の脳裏には、横浜での現在の光景が浮かんでいた。そして立花は祈祷を終了させることを周りに呼びかけた。
国際会議場の海側の公園から上空の輪宝を眺めていた俺たちは、輪宝の金色の部分と黒色部分が切り離されたことを確認した。それを注視していると、ほどなく金色の部分が虚空に消えていった。
「やったか?!」
「マッキー、それフラグやん」
「でもあの輪っかは壊れたみたいだね」
巻倉たちは安堵の声を上げる。だが、切り離された黒色部分は消えることは無く、空に浮かんだままだった。
「まだよ、時の神格の気配がなにか準備を始めているわ」
「稲荷さんが油断するな言ったはるわ」
マアトと山崎が告げた瞬間、黒色部分が形を変えて球体となり、地上の幽体のマハーカーラを吸い込み始めた。
「合体して再構成でもしようとしてるのか?」
「そのようね。ねぇ従治。――いまこの場限定で、私の権限でお父様の杖の権能を借りることができたわ。上空に上がって杖を召喚してぶつけなさい」
「杖ですか?」
「太陽の召喚で構わないわ。祭句はいま授けるわよ」
マアトはそう告げて、えいっと声を上げつつ俺の額に手を伸ばした。ぺたっとその手が触れた瞬間、召喚の式次第が記憶に叩き込まれた。
「……よし、みんな、空に上がるぞ」
「急ぎなさい」
「「「「了解」」や」」
「浅菜、飛ぶのが怖いならここで待っててもいいぞ」
「怖いけど、僕は従治さんを護るよ。怖いけど!」
俺が苦笑しつつ拳を差し出すと、浅菜はグータッチした。そして俺たちは国際会議場上空に飛び立った。
黒い球体を眼下に眺めながら、俺は意識を集中し始めた。仲間たちは周囲に広がり警戒してくれている。巻倉は河内のもとに向かい、俺が行う式のために黒い球体から距離を取るよう伝えに行った。
太陽の召喚式を使った太陽神ラーの杖の召喚だ。かつて弁天が告げたように神は殺せなくても、召喚されたものはこの場から取り除くことができるだろう。そして俺は、杖の召喚を始めた。
空に在る俺は、自身が太陽神の使者であるとイメージする。全き光のはたらきにより、遍く地上にある全ての命を護るのだと自らの裡で確信を込める。
そして宣言する。
「ここに能わぬもの、遠く遠く去れり。いと清らなる式はここに在らん」
自身を中心にして、足元に半径一メートルほどの薄く光る円形のエリアが生じる。仮初めの儀式場の床だ。
「御身の手の内に
祭句を唱え出すと頭上から俺を貫くように下方に光線が走り、俺の右側から右肩を貫くように左に光線が走って十字となる。直後に四方に五芒星が浮かび、頭上に六芒星が浮かぶ。一拍の間ののちにそれらは虚空に消えた。
それと同時に眼前に青い光が浮かび、その高さのまま物凄い速さで時計回りに三周俺を囲むように円を描いた。
「清らなるは水の如し」
そう唱えると円はすぐに消えた。
次に眼前に赤い光が浮かび、その高さのまま物凄い速さで時計回りに三周俺を囲むように円を描いた。
「意志の働きは火の如し」
そう唱えると円はすぐ消えた。
俺は胸の前で合掌し、告げる。
「上の如く下に斯く在り、其は我が内に秘されたり。天上の如く地上はかく在り、いと高き光は我らに等しく在らん」
合掌した手を拳三つ分ほどゆっくりと開く。一呼吸おいてから
直後にイメージの働きにより、眼前に白い光で上向きの五芒星を描き、俺は“エヘイエ”と唱えた。そして直後に最初の五芒星に被せるようにもう一つ、手前に五芒星を描いてから、俺は長めにゆっくりと“イェーホヴァー”と唱えた。二つの五芒星は程なく虚空に消えた。
一呼吸おいてから、イメージの働きにより、眼前に黄色の光で六芒星を描いた。その中心にはさらに、太陽を象る占星術記号を描いている。俺は“アラリタ”と告げると、程なく六芒星は消えた。
「調和たるイェホヴァー・エロアー・ヴォー・ダースーよ、我は“法の御名において”
我が唯一の
“指し”貫く御身の杖の働きによりて、
我が敵を貫き、其を排せ!」
祭句を唱えた瞬間、俺の身長ほどの白熱した杖が眼前に現れ、瞬きの間に白い光跡を描きながら光線のように飛んで行き黒い球体を貫いた。
そして一拍の間の後にその場に白い光が満ちた。
その光の中で黒い球体は融けていき、外側から虚空に消えていく。
やや光が収まったところで球体の様子を見ながら、これで終わりか、と俺は判断した。だが俺が閉式の流れに入ろうとしたところで、消えゆく黒い球体から異様な気配を滾らせる黒い人影が飛び出した。マハーカーラの残滓だろうか。
次の瞬間その人影は俺の眼前に瞬間移動し、掴みかかろうと飛び掛かってきた。その姿は黒く、その表情は恍惚とした笑みを浮かべている。舌とか出してるしな。
「往生際がわるいんだよ!」
俺は叫びつつ、マハーカーラの掴みかかる手を払い受けで捌いた後に、火の退出の五芒星をイメージしながら右のボディブローを叩き込む。その一撃でマハーカーラは俺から少し離れた。
直後に音もなく傍らに現れた浅菜が剣を振るい、マハーカーラの残滓を細切れにした。いまの一瞬で何回剣を振るったんだよ全く。
やがてその人影だったものはその場で形を崩し、虚空に消えた。
「僕が護ってるから」
そう呟いて浅菜は剣を、きんっと言う音と共に鞘に納めた。
そして俺は、改めてその場で召喚の閉式を行った。
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