38.たとえば絶望した者に触れるとき
参拝を終えた俺たちは、山王鳥居の神社を後にした。俺がスマホで時間を確認していると、巻倉に声を掛けられた。
「守谷さん、この後ですが、宜しかったらお食事でも如何ですか?」
「確かに昼メシはまだだね」
「実はわたしの上司の河内という者から、引っ張ってでもお誘いするよう言われているんです」
「……もしかして、穏やかじゃ無い話が出るのかな?」
このタイミングでの指名は、やはり横浜での動きに関連するのだろうと考える。
「お礼が主目的ではありますが、ご相談したいことがあるのも事実です」
国の仕事に関わる話であるなら、かつて巻倉の道行きを助けた時のように、事務的に断ろうとすることはできた。ただ俺は先ほどまでの神格たちとのやり取りで、ここまで背中を押されているようにも感じられた。
「国の仕事とかは正直気が進まないけど、……話だけは聞いてみようか」
「ありがとうございます!」
そして俺たちは、最寄りの駅から新橋に向かった。
案内されたのは駅からやや離れた雑居ビルの奥まったところにあるラーメン屋だった。表の路地に看板が出ていないので、恐らくここを知る者しか辿り着くことは無いだろう。
あるいは、一見さんお断りの店なのかも知れなかった。
「ずいぶんとこじんまりした店だね。店名も出て無くて、
「ここはまあ、ネタばらしすると警視庁OBが一人でやってる店なんです。半分道楽で、仲間内しか受け入れない大将がやってるんですよ」
それは商売としては成り立たないだろうな、と思う。
「ともかく、店に入りましょう」
「ああ」
店に入ると、内装はごく普通の街のラーメン屋だった。カウンター席が十席ほどに、二つ椅子がついたテーブル席が三つほど。入口から想像するよりは広さがあるように感じられる。
「らっしゃい。おお、河内んとこの若ぇのに、そちらは初めて見る客だな」
「ああ、俺の客だ。守谷さん、わざわざ時間を取らせてすまねぇな」
店主らしき白い割烹着を着た初老の男がカウンターの向こうの厨房から口を開く。それに被せて同年代らしい小柄な初老の男がカウンター席から立ち上がって俺の前に立った。
「なに、報酬は渡してるんだが、個人的に礼がしたくてな。飯をおごらせてくれや。俺ぁ河内という。よろしくな」
河内はそう告げて右手を差し出したので、俺たちは握手した。外見からすれば職人を思わせるような厳つい顔つきをしているが、その眼は穏やかだ。
「まあ、座ってくれや」
「おう、あんちゃん、守谷っていうのか。オレは
重森は挨拶と共に名刺を一枚そっけなく片手で俺に渡してきた。紙片に目を走らせるが、名前と電話番号しか書かれていなかった。
「聞いてるかも知れんがオレの店は道楽でやってる。悪だくみの相談で使ってくれても構わねえし、単純にめしを食いたくなったでも構わねえが、来るときは電話してくれ。開けて無かったり、都合が悪いやつと被ることもあるからよ」
「はあ……ありがとうございます」
自分で『道楽でやってる』と言い切るラーメン屋なんて初めて来たよ。というか悪だくみって何だよ。
俺たちが席に着くと、重森が品書きを俺と巻倉に渡してきた。値段はごく普通だ。先に着いていた河内の席には六割くらい残ったノンアルコールビールの瓶と、半分ほど手が付けられたギョウザが一皿あった。
「さあ、何でも頼んでくれ。巻倉、お前ぇも好きなもんを食え、今日は奢ってやる」
結局俺はマーボー豆腐とライスにギョウザ一人前を頼んだ。他の者もそれぞれ炒め物を注文していた。
厨房で重森が手を動かし始めたのを見ていると、河内が口を開いた。
「守谷さん、ビールとか酒も頼んでいいんだぜ?」
「いえ、大丈夫です」
「そうかい。巻倉、お前ぇもどうだ?」
「おれもちょっと……」
「つれねぇな、何だよ飲んでるの俺だけかよ」
そう言って笑いながら河内はグラスをあおる。良く分からんが、勤め人が昼めしどきにノンアルとはいえビールを煽っていいものなんだろうか。まあ、俺は気にしないことにする。
「それでだ、守谷さん、感謝かたがた最新の情報を話しておこうと思ってな。今日は無理に来てもらった。ありがとうな」
「横浜の件ですね……場所とか確定なんでしょうか?」
「ほぼ確定だろう。なぁ、巻倉?」
「はい。SNSなどの個人が発信するウェブコンテンツの類いについて、専門家に調査を依頼しました。調査の対象は、“神無き祭”――要するに凍土期パフォーマンス関連のネット世論の動向です」
凍土期ネタはすでに全国に波及し、首都圏のみならず地方の主要都市や地方の有名な観光地などでもパフォーマンスが実施されているという。ネット媒体運営者も、参加者が触法行為をするでもなく、パフォーマンスに徹していることから静観しているようだ。
参加者たちについては、やはりというか凍土期に自身の人生設計を狂わされた世代の者が中心らしい。社会問題に関心の高い若年層もややみられるが、それは少数派であるようだ。
「それで、参加者は『散歩コース』とか『ハイキング』とか『ウォーキング』とかいうありふれた単語を使って、SNSなどで緩く繋がっているらしいんです」
「ただ、繋がりがあるってぇことは、そこから全体の構造を把握できるわけだ」
「そうですね。結局、他の年の同時期であるとか、今年になってからの別の時期と比較しても有意に増えた情報で把握ができたんです」
そこまで話していたところで、俺と巻倉にギョウザが出された。食いながら話そうや、と河内が言うので、さっそく焼き立てのギョウザを頂く。ぱりっと焼けた皮に肉汁を含む餡が相まって俺の口の中が満たされていく。
「うーん、懐かしい感じがするギョウザですね。町中華の王道というか」
「シゲのやつが妙にこだわって作ってるから、この店でハズレはねぇんだよ」
巻倉の方を観察すれば、非常に幸せそうな様子でギョウザを食べていた。
やがて俺のところにマーボー豆腐が来て、他の者にも料理が出てきた。食べながら続けようぜ、という河内の言葉で、先ほどの続きを話し出す。俺は辛めの醤と、ひき肉の味を楽しみながら話を聞く。
「そうですね。凍土期パフォーマンスの動きはだいたい把握できて、こうしている間も協力してもらってるエンジニアにモニターして貰っています。その人たちの分析ではここ数日で、横浜のあるイベントの周辺で動こうとする話が増加しているんです」
「そのイベントってのがな、日本経済団体同盟――日経同が主催する会合だ。再来週の週末にある」
「日経同っていや、あれだ。トップが『財界首相』なんてあだ名が付けられるくらい、この国の経済の中枢に居る連中だな」
話を聞いていたのか、厨房の方から重森が声を掛けた。
「そうです。結局行われてるのがパフォーマンスである以上、アピールの対象が居るわけです。そして今回選ばれたと思われるのが、日経同と分析されています」
「ここまでは話は分かったけど、具体的に何のイベントなんだ?」
「グローバルサウスという言葉を聞いたことはありませんか? 世界経済で無視できなくなってきた新興国や途上国で、多くが南半球の国々からなります。その国々の有力な財界人を招いて、民間レベルでの経済協力に関する会合があります」
「会場は?」
「国立横浜国際会議場です」
凍土期パフォーマンス参加者を分析する過程で、そのメンタルについての分析も進められたそうだ。河内や巻倉の組織である文総研は文科省の系列なので、アカデミックな協力者は掘れば掘るほど出てくるらしい。
「奴らの根っこにあるのは“無力感”だ」
「……何に対するものですか?」
「――凍土期世代は人間が多い関係で、量的な意味で素の思考力が高いやつが多い。だから考える。けっきょく自分たちが今も苦しむのはカネの問題だ。災害の被災なら国から助けてもらえるが、あの世代は棄てられた。なぜかといえば、国にカネがないからだ」
「まあ、日本は社会主義ではないし、ベーシックインカムも無いですしね」
「ああ。そんで、カネが無いから働けというのは凍土期に限らずみんな分かってる。だが、財界が欲しいのは安い労働力だ」
「……」
「蓄財もできず、キャリアも積めず、時間だけが過ぎて、禁じられているはずの年齢制限が見えない形で行われる。そして、企業がそれを行う理由も理解できてしまう。なまじ凍土期での企業の凋落を見ちまったからな」
「そして行きつくところが無力感ですか」
「そう、デッドエンドだ。だが日経同にアピールすることで、何かを変えたいのかも知れねぇ。個人的には奴らの気持ちも分かる。そもそも『カネは天下のまわりもの』なんだが、一部に停滞するばっかだ。……これが人間なら循環器疾患だな」
すべて、理解できる話だった。俺も同じ時代を後半部分とはいえ過ごしたし、同年代の知り合いも等しく巻き込まれた。他人事というわけでは無かった。
「……参加者たちの分析は分かりました。その上で、“神無き祭”での事故であるとか暴発を防ぐとしたらどうすればいいと考えますか?」
「たとえば絶望した者に触れるとき、なにが大切だと思う?」
「ええと、理解でしょうか」
「悪くねぇ。――だが俺は“共感”だと思ってる。具体的には、奴らの“無力感”に共感する者が確かにリアルタイムにいることを、著名人を使って個人の立場で語らせる」
「著名人?」
「時代を代表するヒーローみたいな同世代とかいるだろ。そいつらに協力してもらって、個人として発言する演出をする。あと、毛刈りショーも男女問わずその場でやる予定だ」
反射的に毛刈りショーってなんだよと大声で突っ込みを入れそうになった。だがその相手である河内は怪しく笑っていた。
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