37.ひとつしかない法だったとしても

 先日の鍛錬の礼の意味で、巻倉を連れ都心の山王鳥居の神社にお参りした。すると俺たちは、息抜きで相手してくれるという神猿まさると白狐に相対していた。


「救いがたい、ですか?」


「うむ、先だって拙者が白日の女神殿と会うたとき、ずい分お主を気に入っておる様子だった。拙者たちにも縁や相性、贔屓目などはあるものよ。そもそもお主程度が呼び立てて、拙者たちが行くか否かは此方こちらが決めておる。まずは呼んでみるがよかろう」


「そういうものですか」


「なに、忙しければ来ぬだけよ」


 それもそうか、と思う。


 そもそも神社に参っただけで、幽界かくりょというか、夢に近い場とはいえ神格が会ってくれるとか普通はあり得ない。そういう意味では、この縁は大切にすべきだろう。


「そうですね。――マアト様、済みません、いまちょっとよろしいですか?」


「よろしいわよ。またみんなで集まってるのかしら?」


 その言葉と共に、目の前に白いワンピース姿のマアトが居た。それまで誰も居なかった場所に瞬間移動してきたかのように現れたのだ。


 中東風の顔立ちに、さらさらの長い黒髪で大きな羽根飾りを頭に着けている。神格というには余りに可憐な姿がそこにはあった。


「お呼び立てしてすみません、伺いたいこともあったんです」


「あら、何かしら」


「前から気になっていたのですが、マアトさまを奉る神殿など日本にはありませんよね。あなたを祀ろうとしたとき、俺はどうすべきでしょうか」


 俺の言葉にそうねぇと小首をかしげた彼女は、にこりと微笑んで応える。


「今さら、私のために大袈裟な神殿を建てる必要は無いわ。私を祀りたくなったら、あなたの部屋に白い花を飾りなさい」


「白い花ですか」


「ええ。どの花でもいいけれど、ドライフラワーよりは生花がいいかしら。一輪でもいいわ。そして、花を目にするとき、それを飾ろうとしたときの気持ちを思い出して。それで充分よ」


「わかりました」


 マアトはエジプト神話の太陽神ラーの娘である。姫神を祀るにはずいぶんと慎ましやかだなと思った。


「守谷さん、そちらのお嬢様は一体……」


「ああ、エジプトの太陽神ラー様の娘でマアト様だよ。俺にとっての法の女神だ」


 俺の説明に巻倉は一瞬固まったが、丁寧に挨拶していた。


「えへへ、またお嬢様って呼ばれたわ。この子たちはいいわね。本当にお持ち帰りしようかしら」


「マアト様、流石にお持ち帰りは、時宜を得てからでお願いいたします」


 彼女の現住所は確か仕事の都合で冥界だ。いまお持ち帰りされると色々大変なので、俺はお断りした。


「冗談よ冗談。――それで今回はまた鍛練かしら」


「拙者と狐の息抜きに、少し揉んでやろうかと思ってな」


「そういうことなのね」


 結局そのまま俺と巻倉は、状況に流されるように鍛練を受けることになった。以前俺がやったときのように巻倉が見取り稽古をした。黒髪の巫女装束で狐面を被って人化した白狐が打ち出す術や、神猿の剣気を俺が弾いた。


 その間、参加しなかった神格は、手が空いていたマアトと世間話のような雰囲気で何かを話し込んでいた。以前の“女神会”のような、神々の内輪ネタを情報交換でもしていたのかも知れない。


 程なく、恐らく俺のときよりも早くに、巻倉が術の発動を即時に感じ取れるようになった。


 そのまま巻倉が術を弾く鍛錬をみていたのだが、はじめは巻倉は『バン・カン・タラク・キリク・アク・ウン』という真言と共に剣印で五芒星を描いていた。金剛界曼荼羅に由来する祓いの略儀らしい。そのうち巻倉は、真言を唱えることなく虚空に五芒星を描けるようになった。恐らく意念だけで真言を扱えているんだろう。


「さて、お主は手が空いたな。拙者に付き合え」


「はい、お願いします」


 神猿と少し距離を取り、両足を肩幅ほど開いて左足を出し左半身ひだりはんみとなって両手を構える。それを見た神猿は仮面の奥で目を細め、右手に薙刀を現出させた。


「よしよし、武を得たな。参るぞ」


 薙刀の穂先を俺に向けた神猿は無拍子で間合いを詰め、軽い突きを繰り返した。相手がただの牽制で行っていることは読み取れたので、俺は不用意に踏み込まず下段や中段の払い受けを使って往なす。ただ、捌いていて思うのは、薙刀には長い刃がついている分往なすときに刃を立てられないように神経を使う点だろうか。


 ある瞬間、神猿が左半身ひだりはんみで力のこもった中段突きを放ったので、払い受けで往なしつつ向かって左側へと大きく踏み込む。神猿は突きを放って重心を崩しており、身体の前面がこちらを向いていたので俺は迷うことなく鳩尾に拳を叩き込む。


 だがヒットの直前に神猿は薙刀の柄を使って俺の突きを上げ受けで往なし、その重心移動のまま俺に前蹴りを放った。俺は右回転しながら前蹴りを避け、神猿の頭部に裏拳を叩き込もうとしたが、回転が終わり切っていないところで、薙刀の石突が俺の顔面に飛んできた。


「ぐえっ」


「はっはっは、乱戦のさ中ならともかく、立ち合いの中で不用意に回転するのはどうかのう」


 尻もちをついた俺へと、ひゅ、と薙刀が突き付けられた。幸い前回と同じで、攻撃を受けた箇所に熱を感じたのみでダメージは無い。


「さて、あちらの者が仕上がるまでは、まだ幾らか掛かろうよ。まだ続けるが、良いな?」


「はい、お願いします」


 そうして俺は神猿とスパーリングを繰り返した。興が乗ってきたのか、ときおり神猿は『ひっとじゃ』と得意げに告げ、そのたびに俺の『ぐぇ』という類いの呻き声が辺りに響いた。それでも最終的には十回に一回程度は俺が勝ちを取れるようになっていたが。神猿はなぜか、自身がスパーリングで負けてもそれはそれで楽しそうだった。




 何度目の立ち合いだったか、俺は巻倉が手をとめているのに気づく。どうやら人間の技で用いる術に関しては、巻倉も即時に受けることが可能になったようだった。


「ふむ、此度はここまでとしようか。お主の次にあ奴も揉んでやらんとの」


「あ、ありがとうございました」


「――守谷さん、見事でした。演武を見ているようでしたが、武術の心得があったんですね」


 手を止めた俺に巻倉が話しかけた。


「いや、色々あって特殊な魔術を使って武の記憶をこの身に修めただけなんだ。現実では体力が追い付いていないから、ここまではまだ動けないんだけどね」


「そうなんですね……」


 特殊な魔術というのはダン師匠から教わった魔術武器の記憶から武術を読み出すものだ。だが、後から知ったのだが、あの魔術は他人に施すには著しく成功率が低いらしい。師匠の説明では、受け手側に記憶を受ける器が用意できていないと難しいらしいという話だった。俺のときも、自分で召喚をおこなったしな。


 その後、神猿は巻倉に剣気の防ぎ方を鍛錬させ始めた。少し離れてその様子を見守っていたのだが、いつの間にか狐の姿に戻った白狐とマアトが俺の傍らに来て居た。


 そういえば、と俺は先日の山崎から聞いた話を思い出し、白狐に話題を振ってみた。


「稲荷様、先日は“神無き祭”の情報をお伝えいただき、ありがとうございました」


「元より神成る者どもが気にしておった故なり。我が最も近く触れられたゆえ話を得たり」


「三嶋の龍さまが居られたということですが、龍さまの祭という事では無かったのですね」


「然り。龍めは乞われてあの場に立ち会っていたに過ぎぬなり。そも、あ奴は日ノ本の背骨たる身なれば、平素は地の底で微睡み日ノ本を支えるが本義なり。あの場に居ったことが珍妙なり」


「そうだったのですね。――もたらされた情報で、現実では横浜を警戒して色々な者が動くことになるでしょう。ただ、気を付けるべきは横浜ということで宜しいのでしょうか」


「貴様らは前に進むが善きかな。此度の鍛錬も、その折の力になるなり」


 流されるように稽古を受けた俺と巻倉だったが、白狐には何らかの思惑があるようだった。


「心配しなくても、あなたは自らの法に則って行動すればいいだけよ。そしてあなたはそれができる人間と私は理解しているわ」


「俺の法、ですか」


「そうよ。たとえひとつしかない法だったとしても、どんなに素朴な内容だったとしても、あなたがあなたであるために、自らの魂に確かめて定めた法よ」


 そう告げるマアトの表情は、陽だまりに咲く白い花のように優しかった。そして俺は、その言葉を噛み締めていた。




 その後、巻倉の鍛錬は進み、『考えるな、感じろ』と神猿が告げてから巻倉の悲鳴と『ひっとじゃ』という神猿のご機嫌な声がその場に響いていた。


 そして俺たちの鍛錬は区切りがついた。


 マアトを含む三柱の神格は拝殿の前に立ち、俺と巻倉は並んでそれに相対していた。


「「ありがとうございました」」


「なに、それなりに拙者たちの息抜きになったゆえ、気にするな。今後も機が整えばこうしてまみえることもあろう」


「貴様らは貴様らの善を成すなり」


「そうそう、神さまは神さまで自分たちの仕事をするわ。全部背負うなんて考えなくていいのよ」


 神格たちはそれぞれに告げ、最後はマアトが微笑んで手を振った。そして俺たちがもう一度そろって頭を下げると、顔を上げたときには神格たちの姿はその場から消えていた。


 気づけば境内には人の気配が戻っていた。俺たちは現実に帰ってきたようだ。


「いやぁ……ちょっと言葉にならない経験をさせて貰いました」


「俺も毎回神社を訪ねるたびにこんなことがあるわけじゃないけど、今回はラッキーだったな」


 今回の鍛錬で、俺と巻倉はそれぞれに得るものがあったが、巻倉は術士としてまた実力を増すことができたと喜色を浮かべていた。

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