17.果たしてその割合はどのくらい

 志藤清麻しどうせいまはくたびれていた。先ほど同級生の揉め事の仲裁に駆り出され、取り押さえてきたのだ。空手を習っているのは知られているから、その辺りをあてにされたのだろう。


 志藤の高校は自由な校風を持つ都立高校で、その自由さは制服なしの服装自由というところにまで端的に表れている。もっとも、学校としての偏差値はかなり高い方で、入学式に校長からのあいさつで“自由と無法は違う”と告げられたことは、自身の胸に刻まれている。


 在校生たちも基本的には頭の回転が速く、掴み合いの揉め事を始めるような者は考えられなかった。そもそも今どき、少しくらい腹に据えかねることがあったとしても、SNSなどで発散されるのが普通だろう。


 それでも、同級生の掴み合いじみた揉め事は、今月になって今回を含め二度目だった。




 志藤は先ほどまでのやり取りを思い出していた。


 昼休みになり、志藤はカバンから弁当を取り出した。友人たちと固まって少し箸を付けていたとき、クラスに女子生徒が駆け込んできた。視界の隅でその様子を見ていると、志藤のところまで一直線で来たうえで、別のクラスの男子三名が廊下で揉めていると聞いた。反射的に彼女が生徒会に所属する子だと認識した。仲裁に入ってほしいとのことだった。


「まったく、どんな状況だよ」


 思わず本音を漏らしながらすぐに自席を飛び出し、廊下に出た。右手を見ると、人垣ができて何やら大きな声で言い合っているようだった。


 すぐに駆け寄ると、志藤のほかにもガタイの良い柔道部の同級生などが数名、駆けてきていた。


「――すぐに謝れよコラ!」


「いいや! 俺は間違ってねぇ。お前らは結局、親ガチャでアタリを引いて、それに乗ってるだけの寄生虫だろ! いい加減認識しろよ、甘ちゃんどもが!」


「もしそれがお前からそう見えたとしても、俺たちが普段勉強してるのは個人の努力じゃねえか! お前こそ本音は、今さら哺乳瓶でも欲しがるお子様と変わらねえんじゃねえのか――」


 人垣を割って入ると、二対一で男子生徒が大声を出していた。彼らのことはそれほど詳しく知らないが、学校内でつるんでいるところは幾度か見ていた。だが今は、直ぐにでも掴み合いを始めそうな雰囲気だった。


 何をどう拗らせたらこんな罵り合いになるんだと、志藤は眉をひそめた。そして、ややうんざりしながら二対一に割って入った。


「お前ら先ずはおちつけ、な?」


 努めて穏やかな声を掛けながら、両者の中間に立った。


「部外者は黙ってろよ、俺たちはマジメに話してるんだ!」


 そう叫んだ二対一のひとりの方が、右手を志藤に伸ばした。反射的に志藤は生徒の顔面に寸止めで正拳を出すと一瞬相手の動きが止まり、気持ち重心が後ろにのけぞった。


 それを感覚の中で志藤は把握しつつ、自身の五指を伸ばした右の手刀で相手の右手をさばき、そのまま腕を抑えつつ向かって左側から背面に回り込み、後ろから相手を抱え込んだ。


「落ち着けってば、だいじょうぶ。大丈夫だから」


「まだ謝らせなきゃだめだろうが!」


 残りの二人のうち片方が声を上げつつ、右手を伸ばしながら身体を寄せてきた。志藤は腕の中で男子生徒を抱えた状態で、上から見て反時計回りに回転した。掴みかかる生徒の腕を、自身の体側で巻き込むようにいなしながら、心持ち重心を落として背中で生徒の前面を押しのけた。


 押しのけられた生徒はそのまま後方にたたらを踏んだが、ガタイのいい生徒に受け止められた。すでに柔道部の者に抱えられている一人と共に、揉めていた三人はとりあえず押さえつけられた。


 志藤はここからどうするか考えていたが、程なく二名の男性教員がその場に現れた。誰かが呼びに行ったのだろう。うちの先生たちなら、なんとかしてくれるだろうと思いホッとした。教師たちにその後の対応を任せ、一息をついた。




 その後の授業中にも、志藤は揉め事のことを考えていた。彼らの言動については確かに部外者なので、その内容まではあまり興味はない。精神的な疲労は感じたが、それだけである。志藤はそれよりも、そもそもの揉め事が起きたことが気になった。


 これまでの学生生活からいえば、この頻度でここまでの揉め事が起きたことがない。増えたか否かでいえば、増えたと言えるだろう。


 果たしてその割合はどのくらいだろうと思う。他の学年での揉め事は把握できていないが、それでも目安の数字を考える。


 生徒数を単純化のため九百名とする。一学年は約三百名だ。このうち、一度の揉め事での関係者を仮に五名とすると、一学年三百名のうち、約1.67パーセントが揉め事の当事者になったわけだ。九百名のうちの五名としても、約0.56パーセントか。


 学校という社会の箱庭みたいな場所を、そのまま社会に当てはめるのは妥当ではないかもしれないが、社会の縮図といえば縮図である。母集団は不明だが、自身の学校を比較的理性的な社会集団のモデルと仮定する。


 自身の住む市の昼間の人口が約二十万人として、少ない方の揉め事当事者の割合0.56パーセントを採用すると、約千人が当事者になる計算だ。一か月を四週と単純化すると、学校では月に二回起きたから、約二週間に一度ほど千人が掴み合いの揉め事に巻き込まれる。半分にすれば一週間だと五百人か。一年間は五十二週なので、二万六千人。


 これは多いと言えるか否か。


 授業中こっそりとスマホを弄り、警視庁のサイトで検挙率を探せば、年度による増減はあるが年間の暴行の刑法犯は約五千だ。一件当たり五名が巻き込まれるとしても、当事者の総数は、一年間の都全体で二万五千人。


「検挙されるような暴力沙汰と単純に比較はできないけど、やっぱり多い気がするんだよな……」


 前提条件やら諸々の値の比較対象が曖昧であることを思い、志藤は授業に集中することにした。




 放課後、志藤は女子生徒から声を掛けられた。昼間の生徒会の者だ。


「志藤くん、昼間は助かったよ」


「ああ、大ごと……にはなったけど、暴力沙汰とかにならなくて良かった」


「全くだよ」


「なにを揉めてたんだ、あいつら?」


「そうねえ」


 内緒だよと前置きする女子生徒によると、揉めていた三人は友人だったそうだ。うち一人が母子家庭だったが、仲良くしていたらしい。


 それでもここの所、二人組だった方の成績が芳しくなく、そいつらの進路の相談に乗りながら母子家庭の男子が勉強を教えていたそうだ。


 彼らの日常のやり取りの中で、本来は流されるような些細なやり取りが引っかかり、面倒を見ていた一名が激昂。残る二名へ説教を始めたら怒気が混ざって大ごとになったらしい。


「そりゃたまらない話だな。成績の話とか身につまされる。……そいつら大丈夫だったのか? 特に一人で突っかかってた方」


「大丈夫だったみたい。最後は先生たちに諭されて、泣きながら三人で抱き合ってたらしいわ」


 生徒会の女の子はそう告げて苦笑した。やや距離をおいて志藤たちのやり取りを伺っていたクラスの女子の一部は、抱き合ってた云々と聞いて何やら鼻息を荒くしていた。


 まあ、収まるところに収まったのなら心配ないだろう、と志藤は思った。




 学校には空手部が無いので、志藤は放課後に自身が所属する文化部に少し顔を出し、学校を後にした。


 いつもの道を進めば、駅も近くなってから男の罵声が聞こえた。一瞬昼間のことが頭によぎるが、警察なりに通報するのでも先ずは確認しなければと思う。視界にとらえたのは、高校生くらいの女の子と、大声を上げる男の姿だった。


「そんなん言うたって、謝りましたやん。そんでも、ぶつかった言うてもスマホで立ち止まって地図を見てた所にぶつかったのは、あんさんとちゃいますか」


「ふざけるな。そもそももっと周りを気にして脇にどいてればいい話だろ。公共マナーとかもっと考えろよガキが!」


「そんでもこない道が広いんやったら、ぶつかることも無いのとちゃいますか? お互いさまやいう事で、かんべんしてくれません?」


 近づきながら会話の内容を拾えば、道でぶつかったことに男が強めに噛みついているようだ。男はスーツを着ており、外見上でいえば会社員のようだからチンピラの類いではなさそうだ。それでも注意深く志藤は両者の様子を観察しつつ、近くまで歩み寄った。


「あー、済みません。友達が何かやらかしちゃったみたいでごめんなさい」


 調子こいてるなら真正面からぶっ潰す。


 組手の試合のときに込めるようなドス黒い気合を腹から呼び起こし、スーツの男に遠慮せず叩き込みながら、志藤は口では努めて柔らかく男に告げた。


 気合の込め方は、杉山が得意げな様子で秘伝だと言って道場で教えてくれた。道場長からは聞いたことが無いので、どうせ映画かマンガを参考にしたのだろうとその時は思った。


 男は志藤が放つ気配に一瞬ひるみつつも、口を開こうとした。


「この子、関西弁でしょ? まだ東京に出てきたばかりで浮足立ってるようなところもあったのかも知れないっス。自分からもしっかり言っとくっスから、お兄さんを引き留めても申し訳ないし、この辺で手打ちにしませんか? ……ねぇ?」


 ガキだと舐めてたら真正面からぶっ潰す。


 口調とは真逆の気配を志藤が込めると、スーツの男は深くため息をついた。


「全く……しっかり言っとけよ。お前も道でぼけっとしてるんじゃないぞ!」


 志藤と女の子に捨て台詞を残し、男は足早に駅の方に消えた。


「大丈夫か? この辺りは言うほど治安が悪い訳じゃ無いんだけど、ついてなかったな」


「ありがとう! 正味どないしょうと思っとったんよ。ほんま助かったわ。おおきに」


 スーツの男が視界から消えたところで、志藤は声を掛けた。女の子は気を張っていたのか、やや赤らんだ表情で応えた。


「いやあ、バイトの面接で来たんやけど、地図を確認しとったらぶつかってもうてな。正直てきとうに謝ってダッシュで逃げようかとおもっとったんよ」


「そうだったんだ。そういう時は人のいる方に逃げるのは正解だと思う。道が分からないんだったらコンビニとかかな」


「そやね。もしものときはそうするわ」


 喜色を込めて微笑む女の子を見ながら、志藤はとりあえず安堵した。

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