30.名状しがたい重い響きを上げ

 俺たちは小堂しょうどうとの面談を終え、その場を辞した。


 帰りしな玄関先まで案内してくれた小堂は、この寺の境内のことや、近隣にあるという神仏習合の権現社があることなどを教えてくれた。そちらの権現社は足腰の健勝にご利益があることで有名だそうだ。


「折角いらしたのも何かのご縁です、ぜひお帰りの前に牛頭天王さまにお参りください」


「天王さんを奉ってらっしゃるのでしたら、ぜひ参らせて頂きます」


「そのまえに、せっかく案内いただいたんやし、お団子頂きたい思います」


 巻倉と照汰の言葉に、小堂は穏やかに微笑んだ。


「境内には弁天堂や稲荷社もあるんですよね」


「ありますよ。時間があるのでしたらお参りください」


「はい、今日はありがとうございました」


 そして俺たちは最後にもう一度挨拶をして、別の建物で団子を食いに向かった。




 ひと通り寺での参拝を終え、俺たちは帰路についた。クルマは山間部を抜け、市街地を走り始めている。精進料理を食べていかなくて良かったのかと運転しながら問う巻倉に、照汰はもっとがっつりしたものを食べるべきだと主張していた。


 最初に気づいたのは俺と照汰でほぼ同時だった。クルマの後方、約数百メートルほどだろうか、奇妙な気配を感じたのだ。


 その気配に集中すると、そこには阿修羅がいた。




 街中を走る車の中で、確認するように俺は照汰に声をかける。


「つけられてるな、俺たちは」


「尾行いうには少しばかし物騒な感じですやん」


 俺たちの言葉に驚くでもなく、巻倉は運転しながらクルマの後方へと意識を向け、異変に気付いたようだ。


「たぶん襲撃ですね。数は……六か」


 俺も感覚を集中させると、そこにはクルマと同じくらいの速度で迫る、騎乗した阿修羅たちがいた。


 馬は赤毛で、意識を向けると燃えるような熱を帯びていることが感じられる。その馬を駆る阿修羅たちはヒトと同じくらいの体格であるようだ。ただ、国宝の仏像などで見られるように三面六臂で、そのうち二本の腕で馬を操っている。そして阿修羅たちは六騎が俺たちを追跡していた。


「何やあいつら、クルマをすり抜けて来とるやん」


「……! 赤信号で停車します!」


「すぐ接触するか。天使召喚してあるから初動は対処できる」


「ぼくもや」


 小堂を訪問する前に、事前に俺は天使召喚の儀式で改めてラファエルを護衛に呼び出していた。だが、ラファエルは風元素を象る存在だ。正確なところは密教マニアな杉山などに聞けば教えてくれるかもしれないが、俺の魔術的感覚では阿修羅たちの属性は火だ。場合によっては風属性と火属性では風が打ち負けるかもしれない。魔術的なイメージからすれば、風は火を強めやすいからだ。


「襲撃者と想定するが、恐らく祈祷で阿修羅を六騎よこしている」


「また厄介そうなもん来はりましたな」


「俺の感覚では阿修羅は火属性だ。それに対抗する属性を使ってくれ」


「「了解」や」


「赤信号、止まります」


 クルマが停車した瞬間、阿修羅の騎馬隊は二十メートルほど後方に居た。そのタイミングで、大天使ラファエルが視覚化された。




 車体の上に白いトガを纏った身の丈二メートルほどの天使が、黄色い燐光を放ちながら魔術的視覚の中に現出し、阿修羅たちに向けて飛び立つ。そして同時に巻角の生えた黄色い鳥――ハスターの鳥が同じように飛び立った。


 大天使は剣と盾を用い、ハスターの鳥は羽根の付いた黄色く光る毛糸の玉のようなものを周囲に幾つも展開して阿修羅と戦闘を始めた。現実の聴覚では無いが、剣気の衝突音というか硬質の金属がぶつかり合うような、ぎんぎんぎんぎんという音が周囲に聞こえ始める。


「黒海の王たるものよ、疾く来たれ。オン・バザラ・ヤキシャ・ウン、オンアビラウンケン。その威力を以て水曜を成し、玄武の働きにより水気を成せ。急々如律令」


 シートベルトをつけたまま運転席で、巻倉はやや早口で呪文を唱えた。いつの間に手にしたのか、幅広の付箋紙にはボールペンで丸が書かれ、その上部からツノのように短い線が二本描かれていた。


黒鬼こっきよ、疾く来たりて我が敵を討て。急急如律令」


 右手の剣印で付箋紙に触れてそう告げた後、付箋紙を剥がして運転席側のドアの窓に張り付けた。直後に何処ともなく『応!』と応える声と共に、付箋紙を貼られたところから這い出るようにして、車外に鬼が一体出現した。


 体長二メートルほどの黒い肌の鬼は、祭りのときに男衆が着るような装束に身を包み、身の丈に届くような凶悪なデザインの太い金棒を片手で持っていた。黒鬼は阿修羅を認識すると駆けつけ、金棒でどすどすめきめきと殴りつけ始める。


 巻倉とほぼ同時に動いていた照汰は淡々と呪文を唱えた。


「イアイア・ニャルラトホテプ・フタグン、


 アビクノウイ分解よイーインオストウ始点を成せ


 イアイア・アザトース・フタグン、


 ゴースイ愚性よアデコートウィ世を象れ


 イアイア・シュブ=ニグラス・フタグン、


 エックノセーイコスイ根源の蓄積よアセーイクノルゥ我に力を


 イアイア・ヨグ=ソトース・フタグン、


 アグフノウィ包含よアイーノリィ世に在れ


 その瞬間、俺の魔術的感覚で捉えられる限りは、照汰の眼前に緑の線で描かれた五芒星が生じた。五芒星の中央からはやがて、無理やり表現すれば『どぞりごむり』というか、名状しがたい重い響きを上げつつ獣の影が現れた。


 その姿は中型犬ほどの大きさの、緑色の毛をしたヤギだった。照汰の呪文から判断するに、恐らくシュブ=ニグラスの力を秘めたヤギだろう。ヤギは目を五つ持ち、蝙蝠の羽根を背に生やしていた。


 ヤギはそのまま俺たちが乗っているクルマをすり抜けて外に飛び出し、迫りくる阿修羅たちへ攻撃を開始した。その様子を伺えば、ハスターの鳥と同じような羽根の付いた緑色に光る毛糸の玉のようなものを幾つも展開し、そこから無数の糸を伸ばして阿修羅にぶつけている。ヤギは魔術的視覚上は糸をぶつけているのだが、相手を打ち据えるたびにどどどどどんという重い音が響いていた。




 程なく信号は青に変わり、巻倉はクルマを発進させた。それに合わせるように巻倉の黒鬼が大きく金棒を振り回して阿修羅たちを蹴散らし、撃ち漏らしをヤギが緑の糸の打撃で蹴散らしていた。


 やがて俺たちの手勢の召喚物たちは走りゆくクルマまで飛んだり駆けたりしてくると、その身を虚空に隠した。意識の上で帰還を命じてはいないので、待機状態に入ったのだろう。


「何とかなったのとちゃいます?」


「だといいが。阿那律院の非主流派かな……」


「このまま運転を続けますが、どうしますか? 追撃があるかも知れませんよ?」


 照汰と俺の言葉に、巻倉が懸念を告げた。そしてその懸念は実際に起きた。クルマでの移動の道すがら、約十五分おき位に阿修羅たちの追撃があった。そのたびにあしらいながら俺たちは移動していた。


「あきまへんな、完全にロックオンされとりますやん。これやとメシ屋に行かれへん」


「ああ、確かにメシも重要だけど……。祈祷で送り込まれた阿修羅を最悪は家まで連れ帰ることになる」


 照汰と巻倉がうんざりした様子で話している。彼らの懸念はもっともだと思うが、何か手はあるだろうかと考える。


 そして困ったときの神頼みなどという言葉が一瞬俺の脳裏によぎり、この状況を打開する手立てをマアトに相談できないかという考えが、頭に浮かんだ。


「ちょっと俺、知り合いの神さまに相談してみるから、このままクルマを走らせてくれ」


「神さま、ですか」


「めちゃオカルトやね」


「おれらが言うかそれ?」


 俺からの言葉に、戸惑いを多少含ませながら照汰と巻倉が応じた。


 俺は走る車内の後部座席で身体をリラックスさせ、目を閉じて意識を集中させた。


「マアト様、突然済みません。ちょっと御助力を頂いてよろしいですか?」


 現実世界で俺がそう告げると、その瞬間にクルマの走行音が消えた。


「いいわよ。あなたストーカー被害に遭ってるみたいじゃない」


 その声に目を開けると、誰も座っていなかった俺の隣の後部座席には、いつもの白いワンピース姿のマアトがいた。クルマは走っていたはずなのだが、周囲の車両を含めて時間を止めたかのようにその場に止まっていた。


 俺は車外へ意識を移すと、白狐や弁天、そして西王母もクルマの傍らに立っていた。


「今回は狐ちゃんに策があるみたいだわ」


「我に策があるなり。我、貴様に三つ指示するなり」


 ドアを閉めた状態の車内で、俺は白狐の声を聞き取ることができた。相変わらずの朗々とした女性の声だ。


「ひとつは神符の代わりたるものを用意すべし。筆も大小も巧拙も問わぬゆえ紙片に如意宝珠を記すなり。そこなる陰陽おんみょうに触れし者が記し方を解す」


「わかりました」


「もうひとつ、最寄りの我の社に参りて帰路の無事を願え。その折用意した神符の代わりを各々が携えよ。その道行きはいま貴様に宿すなり」


 白狐はそう告げて、右前足でたんたんと二度アスファルトを叩いた。次の瞬間俺の記憶に、現在地周辺の地理と最寄りの稲荷社までの最短距離が浮かんだ。


「もうひとつ、参りしのちは貴様の家までその符を運べ。運びし符は玄関の戸に内側より貼り、次の初詣に古札と同じ扱いとせよ」


「拙女に乞われて妾もおるし、手が足らずば弁天も助力する。まずは狐殿の支度に参ずるがよい」


 西王母の言葉に頷いて弁天に意識を向けると、朱色の和式甲冑を纏った弁天が自然体で佇んでいた。


「わかりました、ありがとうございます」


 俺が車中で頭を下げると女神たちは頷いた。


 そして俺は目を閉じて後部座席のシートに身を預けると、頭を横から両手でぐりぐりと撫でられる感触を一瞬感じ、気が付くと耳にはクルマの走行音が聞こえていた。

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