29.放流されたら秒で遭難する

 朝の早めの時間帯に俺の店の最寄り駅前で集合し、三人でレンタカーに乗って飯能市に向かった。三人というのは俺と照汰と巻倉だ。運転手役は照汰と巻倉でじゃんけんをしていたが、巻倉に決まったようだ。


 飯能市は埼玉県南部のやや西に位置し、緑が多い。俺の主観でいえば、西の山がちなエリアはほとんど秩父だとおもう。その山間やまあいの道を進む感じとか、周囲の樹々がせまってくるような感じは、俺の実家のある辺りの田舎の風景を思い出させるだろう。


「飯能とかぼく、来たこと無かったんやけど、意外と近いんやね」


「近いって言ってもクルマだと二時間弱だから、それなりに時間はかかってるけどね」


 車窓に流れる街並みを見ながら、前の座席で会話する照汰と巻倉の話を何となく聞いている。そういえば、今日の目的地の詳しい話は聞いていなかったな。


「巻倉くん、今日の目的地なんだけど」


「あ、はい。車で話すって言って、しばらく走ったらコンビニ寄ったりでそのまま来ましたね」


阿那律院あなりついんのトップと会いに行くから、目的地は寺ということでいいのかな?」


「そうです、そのトップの方はあくまでも勉強会としての阿那律院の責任者みたいです。普段居るお寺では客僧きゃくそうらしくて、自身の所属する宗派の本山から来てる形みたいです。目的地の寺は牛頭天王ごずてんのうを本尊にする寺院ですね」


「なるほど」


 牛頭天王は神仏習合の時代には、スサノオノミコトと同じ尊格とされた、疫病を司る荒ぶる存在だ。元々は陰陽道の神で、京都の八坂神社などを本社とする祇園信仰の本尊だった。


 明治の神仏分離令により神社で仏教の概念の使用を禁じられ、スサノオノミコトの神社に変わった所も多い。


「そんで目的地の寺いうんは、どんなとこなん? 飯能いうとまさかとおもうけど、途中はハイキングとか言わへんよな?」


「元は林道だったような舗装路を進んだ先にある寺だよ。駐車場もある。道が細いみたいだから、おれの運転だとちょっと不安だけどな。……ハイキング希望なら途中で照汰を下すけど」


「なあマッキー、そろそろ運転手疲れてきたんやないか? ちょっとそこらのコンビニに寄って交代しよか?」


「冗談だ、いちおう」


「冗談に聞こえへん。ぼく緑は好きやけど、山で放流されたら秒で遭難する自信あるで」


 山で放流ってアユとかニジマスかよ。そんな突っ込みを俺は飲み込みつつ、俺たちを乗せるクルマは山深いエリアに入っていった。




 山あいの道を進むと、無事に俺たちは目的地に着いた。途中何度か対向車に遭遇し、運転をしていた巻倉は焦ったりしていたけれど。


「見事に山の中だな」


「ほんまです。こんなん放り出されたら、ぼくやったら確実に行方不明なりますわ」


「無事に着いたのはいいけど、帰りの運転を考えると憂鬱だよ」


 駐車場に停めたクルマを降りると、それぞれに口を開いた。


「それで、この奥に寺院があるのかな?」


「そう聞いています」


「ここからハイキングとかないやろな?」


「もう敷地内だとおもう。すぐそこだよ」


 照汰の山への苦手意識は筋金入りのようだった。樹々のあいだを進めば、面談相手がいるという建物に直ぐたどり着いた。巻倉が寺の関係者に声を掛けると、建物の一室に案内された。


 程なくして、一人の老僧が現れた。


「こんな辺鄙なところまで、良くお越し下さいました。私は小堂恵観しょうどうえかんと申します」


 そう告げる老僧は、人懐こい笑顔を浮かべている。巻倉をはじめ、俺たちも小堂に名を名乗った。


 目の前に居る老僧は作務衣を着ており、ぱっと見たその様子は小柄な老人だった。それでもぴんと伸びたその背筋は、重ねた年齢以上の風格を感じさせた。山中の和室でこうして集まっていると、このまま説法でも始まるような佇まいがある。


「今日はわざわざお時間を頂き、ありがとうございます」


「いやいや、久方ぶりに河内こうちから連絡を頂いたときは、何かと思いましたよ」


「河内からは、直接伺えず申し訳ないとお伝えするよう言いつかっております」


 巻倉からの言葉に相貌を崩し、小堂は穏やかに言葉を重ねた。話の流れからすれば、河内というのは巻倉の上長だろうか。


「それで、早速本題に入りますが、うちの勉強会の者が何やらしでかしたそうですね」


煤山すすやまという人物が呪術祈祷の類いを使って、特殊な経典を手に入れたようなのです」


 そして巻倉は、調査方法をぼかしながら、一連の寺宝のデジタル万引きに至る話を説明した。




 話を聞き終えて小堂は視線を落とし、暫く考えを巡らせていたが、やがて口を開いた。


「まず、煤山については、阿那律院に名を連ねていたことは間違いないですな」


「連ねていた、ということは過去形ですか」


「河内から話をもらってから改めて確認したのだけれど、彼についてはここ二年ほどは連絡が取れていないのですよ」


「それは、阿那律院を抜けたということですか?」


「そこが問題でしてね。結論を先に言うなら、院の中で生じた独自の派閥を自身の活動の場に移したと言った方がいいでしょう。ああ……」


 そこまで告げて小堂は俺たちを見回し、ひとつ微笑んだ。


「話が長くなるかもしれません、私に気にしないで足を崩してください。正座して下さらなくても、胡坐あぐらで結構ですよ。ちょっと茶を用意してきます」


 そう告げて小堂は席を外した。確かに胡坐でいいなら助かるよ。


「派閥いうんがちょっと穏やかじゃない感じがするやん」


「そうだね。その辺りは小堂さんがこれから話してくれると思うから、まずは話を伺おう」


 照汰と巻倉がそう言っている間に、俺はすでに座り方を胡坐に変えていた。やがて小堂が盆に人数分の煎茶を用意して戻ってきた。


「さて、煤山が移ったという派閥云々について話す前に、その前提として阿那律院について話をしましょう」


 阿那律院の起こりは古く、奈良時代に南都六宗が興った頃には活動の萌芽があったという。その後、比叡山ができて天台宗が起こり、真言宗が起こり、いまある諸々の宗派が出来た後も日本の仏教界の舞台裏で活動を続けてきたそうだ。


 活動の目的は仏教の三宝を護ること。三宝とはいわゆる仏法僧のことで、彼らの場合は仏像を含めた仏と、経典そのものを含めた仏の教え、そして出家している修行者をさすという。


 彼らが目的のために採用した方法は、宗派の分裂で分かたれた仏法の教えを互いに教え合うことだった。その知見を深めることで、現実に起こる様々な問題への対処の力とするとのこと。


 したがって、宗派を超えた仏教の勉強会というのが、阿那律院の主流派であるという。


「そうなんですね。勉強会言ったはった意味がようやく分かりました」


「ええ、確かに宗派を超える勉強会だから、加持祈祷の類いも修めることになっているけれど、それが全てじゃ無いのです。日本に伝わった仏教をできるだけ遺漏いろうなく勉強するのですよ。そこで得た知恵を力にするのです」


 ひとつ頷いて、照汰の呟きに小堂が応じた。




 あくまでも小堂が事実を把握しているならという但し書きは付くものの、阿那律院の主目的は把握できた。だが、寺宝の盗難やデジタル万引きに関わったらしい煤山は、同じ勉強会の独自の派閥で活動しているという。


「急かしているわけでは無いのですが、煤山がいま所属しているのは非主流派ということでしょうか。そして、非主流派は、どのくらいの派閥の数があるものなんでしょうか?」


 やや焦れてきたのだろう、巻倉が踏み込んだ質問を小堂に向けた。


「私が知る限り、非主流派となっている集団は一つのみです」


 そして小堂は説明を重ねていく。


 戦後の日本の経済発展を経て、仏教界も経営感覚が重視されるようになった。三宝を護るために、仏典に触れる時間を削ってでも財務諸表に臨むことなどが求められるようになったのだ。


 同じ時期、勉強会から早期に抜ける者の割合もやや増えた。同時に、三宝を護るためには、より積極的に社会へと仏法の実践的な知を使うべきという者が現れたという。


「院内では主流派に対して『非主流派』と呼ぶ者が多いですが、その非主流派自身は自らを『世俗介入派』とか『介入派』と呼んでいるようです」


「小堂さんは、非主流派がいわゆるカルト化したと考えますか?」


 巻倉はもしかしたら、その一言を聞くためにここに来たのかも知れない。彼がある種の緊張感を漂わせながら問うのを、俺は眺めていた。


 小堂はその問いを受けて半眼になり、長く考えていた。そして、それまでの語調と変わらずに応えた。


「盗難事件に関わっているのなら、カルト化したと考えるべきでしょう」


 しっかりと巻倉の目を見て応える小堂からは、派閥が違うとはいえ勉強会の主催者としての覚悟が感じられた。


「巻倉さん、もし捜査などのために非主流派の情報が必要な場合は、いつでも協力する用意があると、河内に伝えてくれませんか」


「承りました」


 そして俺は、ここまでのやりとりで個人的に生じた疑問をぶつけた。


「小堂さん、もし分かるようならで結構です。非主流派が生じたきっかけになった中心人物や、具体的な出来事は分かりますか?」


「具体的なきっかけですか。――私は分かりません。ただ、中心人物については、立花網膳たちばなもうぜんで間違いないと思います。しかし、彼も連絡が取れていません」


 俺の問いに、小堂は落ち着いた様子で応えた。

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