19.あいだに何枚トビラがあったとしても

 招いたのか招かれたのか、俺は夢の中でマアトと白狐に会っていた。自身が遭遇した奇妙な現象について聞こうと願ったら、白狐の案内で夢の中のカフェでお茶をしている。


 俺の問いは、写像を介して過去と現在でやり取りをできるのか。現実ではできないことは理解しているが、魔術的な空間ではあり得るのか。その答えを聞いてみたのだ。


「時間も、本質的には位置の情報なの。人は日常生活の中で、時間が一方通行だから特別なものと考えるわ。でも、タテヨコ高さに加えて四番目の次元だと語る人もいる」


 そこまで語ってから、マアトはアイスカフェラテを一口飲んだ。白狐はマアトが語る様子を静かに眺めている。


「結局、それらは基準となる場所からの位置の情報なのよ。――だれがどういう風に一歩を踏み出したのか。それと同じことよ。魔術などのヒトの技で時を扱う場合、それが鍵になるわ。ヒトにとっての現実も、あいだに何枚トビラがあったとしても、歩いて行ける位置の情報は身近なものでしょう?」


 マアトはそう告げた。その言葉に俺は考える。


 日常生活で時間は不可逆だ。ある日突然思い立って、幼い頃のあの日に戻りたいと思っても、現実に行けるわけではない。


 それでも俺が魔術で調べ物をするとき、場の記録を読むこと自体には、時の流れによる制約を感じない。


 その現実と、俺の手持ちの魔術の間にあるものを掘り下げれば、俺は魔術で時間を扱えるのかも知れなかった。


「本来は魔術なんかは私の担当では無いから、もっと細かく知りたいならトートちゃんを紹介するわよ? でも、私からすれば時を扱うのはヒトの身には面倒くさいだけだと思うわ」


 それに、と見透かしたようにマアトは微笑む。


「あなたがそれを知りたいのは、単純な知識欲よりも、自分や身の回りの大切なものを護るのにどうやって活かせるかよね?」


 その通りだった。俺は魔術を使って時を扱う研究をしたい訳じゃあ無い。


 いや、関心が無いわけでは無いけど。それでも今知りたいのは、時を扱う呪術などを相手にすることがあるのかと、相手にする場合の勝ち方だった。


「いきなり結果だけを目の前に成せるのは神だけよ。もちろん人間にとっての現実の世界が現実である限りは、その制約には引きずられるけれど。――だから、人間が神の力を借りるにせよ、結果を得るためには過程が必要になる」


「基本的なところだと、想い願うことで意志を込めたり、なにかの呪術なりを準備して使わなければ、人間は結果を得ることができないと」


「言葉にすればあたりまえのことだと思わないかしら? だからこそ、誰かから不当に、不法に攻められたのなら、その結果を得るまでには必ず隙や猶予が生じるの」


「俺は、その隙や猶予を突くべきだということですか」


「そう、それが正解よ。戦略とか方針としてはそういう話になるわ」


 マアトの言葉を意識の中で整理しながら、窓の外に視線を移す。


 ふだん自身の魔術の中で世界の写像を作ったとして、調べ物に使うことはあっても寛ぐことは無い。オンラインゲームの中で端末を操作して飲食を楽しんだとしても、現実とは違う。だが今は神格二体が俺を案内してくれている。神にかかれば都心の中心街も貸し切りできるのかと、ふと意識が逸れる。


「それで、具体的にはどうしましょうね。私は魔術も戦いも、直接的には担当外よ。できれば専門家に手伝ってもらいたいところだけれど」


 マアトの言葉に意識を戻される。確かに、誰かに対策方法を教えてもらえるのなら心強い。


「我に宛てが有り、猿に手伝いを得るなり」


「猿?」


「然り、馴染みの猿なり。我、案内する」


 白狐はにやりと笑うと席を立とうとする。その前にせっかく白狐が居るのなら、神社で会ってバイトに来た山崎のことも少しは話をしておきたかった。


「少々お待ちください稲荷様。案内はぜひ後ほどお願いします。その前に、うちの店に来た山崎という子ですが、ご紹介下さったみたいで。何やら私の助けになるようにと送ってくれたとか」


「然り。あ奴は貴様の力となろう。あ奴自身にも得るものがあろう。えにしを結ぶが神の本懐なれば、あ奴を送るに異なるものは無し」


「彼女が来ることで、何か考えておくべきことはありますか?」


「あるがままが良し。貴様が悩むことは無し」


 どこか得意げな様子で白狐は告げた。白狐に二言は無いだろう。特に懸念も無さそうなので、俺は少し安心した。




 その後俺たちは白狐に案内され、山王鳥居さんのうとりいをくぐって参道を登り、神社の境内に入った。朱色が鮮やかに配された建物に囲まれ、清々しいというか、一段と清廉な気が強まったように感じられる。


 俺たちが境内の真ん中に集まると、白狐が座った状態から拝殿に向かって告げた。


「猿は在るか。我、手伝いを所望するなり」


 白狐が呼びかけてからしばらくすると、顔に面を被った者が拝殿の奥から現れた。その姿は深い藍色の着流しで雪駄を履き、体格から男性のように認められる。顔の面は墨と朱によって品よく線が入り、猿を象っていた。


「狐か。此度は突然でござるな」


 猿と呼ばれた者は白狐の前まで歩み寄ると、しばらく両者で視線を合わせていた。やがて彼は一つ頷くと、口を開いた。


「ふむ、仔細ない。先ずはそちらの乙女にご挨拶を。拙者は神猿まさると申す。お初お目にかかる」


「ラーの娘のマアトです。お会いできて光栄です」


「拙者こそ白日の女神とお目通りできて光栄でござる。以後お見知りおきを」


「はい、よろしくお願いします」


「――さて、お主が奇縁を纏う者か。中々に面白そうな奴じゃな」


「神猿さま、お目通りありがとうございます。お仕事中でしたのなら済みませんでした」


 話の流れからして、神猿はこの神社の神かその使いだろう。また神様と縁が出来てしまったが、幸いなのだと思うことにする。


 白狐の顔なじみとはいえ、拝殿から呼び出してしまった。神の業務妨害をしたのなら、どんなバチを被るのか恐ろしかったりする。


「そう硬くなるで無い。片時お主の相手をするなど、毛ほどの手間にもならぬよ」


 さて、と呟いた神猿は、刃の付いた薙刀を右手の中に出現させた。次の瞬間、その薙刀をぶんぶんと大車輪よろしく身体の周りで振り回してから、どんと石突を地面に打ち立てた。


「稽古は構わぬが、お主は武の心得は無いな。武蔵坊までは求めずとも、数多の僧兵の類いにも遠く及ばぬか」


 そう告げて、うーむと神猿は考え込んでいた。


 稽古を行うということで得物を借りられるとしても、さすがに神格相手にはぼこぼこのボコにされる自信がある。というかいまさりげなく武蔵坊とか言ってなかったか? 比較対象がガチな実戦派なんですが。すごいよ神猿まさるさん。


「そ奴はいずれ自ら武を得るなり。此度は我が猿に火や水を打ち出すなり。我は此れを人に似せて為さば、猿はこれを防ぎ、そ奴に勘所を示すなり」


「そうね、まずはその辺りからが妥当かしら」


「で、ござるか。なれば狐よ支度せよ。整い次第、始めるでござる」


 白狐は然りと告げ、右前足でたんたんと地面を叩いた。その瞬間白狐は眼前から姿を消した。周囲を見渡すと、俺たちの背後の随神門の方から、長い黒髪の巫女装束の女性が歩いてきた。女性は神猿の面と似た狐面を被っていた。


「我、支度は済んだものなり」


 そう告げる巫女の声は、白狐の声と同じだった。神猿はそれに頷くと俺を見やり、自身の傍らに居るように促した。その後に神猿と白狐は距離を取り、境内で向き合った。


「お主はまず、人に似せた術を感じ取れるようにせよ。防ぐのも攻めるのも、疾く感じ取れねば話にならぬ」


 俺に告げて神猿は手にしていた薙刀を虚空に消し、参れと白狐に告げた。


 白狐は透き通った白い肌の右手で人差し指を伸ばし、神猿を指さした。


「燃えよ」


 白狐がそう告げると指先に火の玉が生じ、瞬く間に神猿に迫った。神猿は慌てるでもなく右手の平を前に出すと、その火を手の平で受け止めた。その瞬間、ガラス状のものが砕かれるような、ぱきんという音がした。火の玉は虚空に消えた。


「これをしばし続けるぞ。お主は集中せよ」


「はい」


 その後、火の玉を水の玉や鉄球、風の塊のような空気の玉などに変えて続けられた。それらは全て、ぱきんという音と共に防がれた。


 距離に関しても白狐の指先から始めたのが、神猿の眼前に突然現れるものを織り交ぜて続けてくれた。その様子を集中して観察していた俺は、いつしか自分が力のやり取りを追えていることに気が付いた。


「ふむ、お主はもうえておるな」


「はい、力の流れを追うことはできるようになったと思います」


「元より貴様は追えていたなり。それをいま遅滞なく可としたものなり」


「存外に早かったのう。この場でならばそれこそ一日千秋を字義通りに成せるが、拙者には息抜きにもならんな」


「それならせっかくだから、この子が攻撃を受けられるところまでは覚えさせましょう」


 マアトの声に白狐と神猿が頷き、俺の鍛錬は次の段階に進むことに決まったようだった。


「覚えられるなら本当にありがたいですけれど、術を使った攻撃をリアルタイムで受け止めて防ぐって、どうやったらいいんですかね?」


「そうねえ。以前あなたが天使を召喚するところを見せてもらったでしょう。その時に場を清めるのに五芒星を使ったじゃない?」


 魔術で場を清める儀式といえば、五芒星の小儀式だ。この時使う五芒星には、魔術的な四大元素のうち地属性の退出を象るものを用いる。


「あの五芒星を使えばできるわよ?」


 本来は儀式の中で使うものを、リアルタイムの防御で使えるのだろうかと、俺は考えていた。

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