20.げえむなどに耽っておるから

 俺は夢の中と思しき空間で神格たちに稽古を付けてもらっていた。指導してくれているのは白狐とその顔なじみである神猿まさる、そしてマアトだった。


 神猿の仕事場である都心部の神社境内を借りて、俺は術を使った攻撃をリアルタイムで防ぐ稽古を始めようとしていた。


「天使召喚を行ったとき、あなたは五芒星を描いたわ。でも虚空に描いた五芒星は、その場に浮かび上がるように描かれたじゃない?」


「そうですね」


「私が魔術は専門外だと言っても、トートちゃんからは少しは聞いたことがあるの。現実空間で魔術に属性を込めた五芒星を描くときは、描き分ける必要があるのでしょう? 星型のどのカドからどの辺をどういう向きで描いていくかで、どういう属性を意味するのか決めていると聞いたわ」


 マアトが語るのは、人間の魔術師の都合である。現実世界で虚空に五芒星を描くとき、描き順で何の星かを決めている。


 たとえば今回使用を検討している、“地の退出の五芒星”は星形の左下の角から頂角へと描きだし、一筆書きで虚空に星を描く。別の例でいえば、“風の召喚の五芒星”なら、星形の右上の角から水平に左に星を描きだす。


「ご指摘の通りです。自ら用意した空間で星を描くとき、『地属性の星を描くんだ』と意識していればいいわけで、本来の描き順はあくまで補助です」


「どうやって描くかは手段よね。目的である“何を描くのか”を明確にすれば、星は早く描けるわ」


 俺の答えにマアトは頷いた。確かにそれなら、考える速度で“地の退出の五芒星”を描けるかもしれない。


「リアルタイムで気づいた術の攻撃は、五芒星を描くだけで弾けるんですか?」


「その辺りはお主の鍛錬によるであろうよ。簡単に申せば慣れよという話であるが、いま聞いた理屈については問題無かろう」


 何となく怖気づく俺に、神猿が言葉を掛けた。ここまで言われたなら、後は実地で試すしかないだろう。


「分かりました、よろしくお願いします」


「うむ、それでは始めると致すか」


「我、最初に掛かるなり。先ずは貴様に人に似せた術を打つなり。貴様はこれを防ぐなり」


 先ほど神猿にそうしたように、白狐は透き通った白い肌の右手で人差し指を伸ばし、俺に告げた。


「燃えよ」


 神気を含む存在の気配が、白狐の指先でまとまり固まって形を成し、火の玉となった。その火の玉は姿を現した瞬間に、こちらに微かな弓なりの軌道を描いて飛来する。


 先ほどまでの見取り稽古により、術による火の玉の感知と追跡が出来ている。俺は飛来する火の玉に手の平を出し、“地の退出の五芒星”と意識しながら、手の平の前の虚空に星形を描いた。


 描かれた五芒星と火の玉がぶつかると、ぱきんという音を上げて白狐の術は壊れ、火の玉が消えた。


「我このまま続けるなり」


「お願いします」


 そうして俺の鍛錬は続いた。


 その後、百までは数えたが、俺は延々と白狐からの術を防御した。ゲームなどと異なりこの世界には、現実を含めてMPの概念はない。


 ふつうの日常の中で俺たちは、呼吸をするとき酸素の残量を意識することは無い。何かの呪術によって気などの流れを阻害することで、望まない呪術が成されるのを防ぐことはできる。


 だが、俺たちが存在し認識する世界とは、俺たちが存在するだけでその世界とつながりがある。俺たちはその世界に満ちる力で呪術なり魔術を成す。従い、意識とか意志が途切れない限りは、制限なく呪術を行うことができる。


 神格である白狐の意志が途切れることは無いだろう。だが、俺は人の身で彼女に相対している。白狐からの術とは別に、俺の背中の肩甲骨の間から、神気に似た澄んだ気が微かに流れ込んでいた。


 延々と続く鍛錬の中で俺の意志が途切れないのは、あるいはこの神社を職場とする神猿などが、何らかの権能を働かせてくれているのかも知れない。


「流れよ」


 延々と続く鍛錬の中で、白狐がそれまでと同じように淡々と告げる。次の瞬間、目と鼻の先に分厚い水の壁が現れた。


 鍛錬を続けることで、ある意味俺は感覚が麻痺していた。俺は手を向ける動作を伴わないで虚空に五芒星を描き、水の壁を防いだ。ぱきんという音と共に水の壁は虚空に壊れた。


「それまで」


 神猿がそう告げると白狐はひとつ頷き、胸の前で柏手を二度打った。


 黒髪をした狐面の巫女装束の姿は消え、その気配は俺の背後に移った。そこには神獣の姿に戻った白狐の姿があった。


「ふむ、基礎となるものはこの辺りまでで良かろうよ。ここまで滞り無いのは、こ奴らめが平素よりてれびげえむなどに耽っておるからかの」


「いい感じじゃない?」


「防ぐ土台は既に此奴の身の内にあるなり」


 神猿はやや退屈そうに告げ、マアトと白狐は満足げに頷いた。


「さりとてこれでは拙者が退屈じゃ。拙者の息抜きも兼ねて、少しだけ応用の鍛錬と参ろう」


「応用って、ここからさらに幅が広がるんですか?」


「無論じゃ。息抜きに付き合え」


 神猿はやや楽し気な口調で告げると、自身の右腕の中に薙刀を生じさせた。


「これより拙者は、只人ただびとの術で剣気を成すようにお主を攻める。なに、攻めると申しても型稽古にもならぬただの突きや斬りこみじゃ。そろりと成すゆえお主はこれを防ぐがよい」


 神猿は空いている左手をひょいひょいと振って、俺の立ち位置を示した。先だって武蔵坊がどうとか漏らしていた神猿の申し出に、思わず俺は固まる。相手は刃の付いた薙刀を持ってるしな。


 それでも“術で剣気を成すように”という言葉に興味をひかれ、半ば及び腰で距離を取った。


「構えなどは気にせずともよい。集中し、受けて防ぐことを心がけよ」


「分かりました」


 目測で数メートルほど離れた位置で俺と神猿は向き合う。神猿は薙刀を中段に構えた状態から、ほれと告げながらまっすぐに突いてきた。


 白狐の術のときと同じように、神気を含む存在の気配が薙刀の穂先から感じられ、一拍の間で俺に迫る。俺は集中しながら右手を出し、手の平に五芒星を描いた。


 薙刀と五芒星が触れた刹那、ぎんっと硬質な金属どうしがぶつかった音がして、神猿からの突きは防がれた。


「これが剣気による攻めじゃ。現実の玉鋼で突かれたら無手では往なすしか無かろうが、いまは受けることに集中せよ」


「はい」


 神猿からほれほれと楽し気に繰り出される突きを十回ほど受けた後、『次は薙ぐぞ』と告げられ、俺は斬撃を受けとめた。ひとしきり剣気の防御を試した後、神猿はひとつ頷いた。


「応用の基礎はこの辺りで良かろうよ。ここからは突きと薙ぎを混ぜるぞ」


「ちょっと待って、この子は闘う技術はまだ持っていないわよ?」


「大丈夫でござる。この場で稽古をする分には、こ奴の心身に傷が残ることはござらん」


「なら、お試しにはいいかしらね」


 即決である。


「ほれ、お主は集中せよ。勘所はこれまでと変わらん」


「分かりました」


 また俺は及び腰になりつつも、稽古を受けることにする。神猿はご機嫌な様子だ。


「こういう時に言うべき言葉があったのう」


「何ですか?」


 何かヒントになるような言葉なら良いのだが。


「考えるな、感じろ」


 カンフーかよ?


 本当に楽しそうな声で、神猿は告げた。その後境内には、ほれほれという神猿の声と、俺の叫び声が響き、ときおり俺の悲鳴と『ひっとじゃ』という神猿の得意げな声がこだました。




 どれほど防いだのか、俺は神猿からの攻撃を受けることはできるようになっていた。素手での薙刀の捌き方は分からない上に、あからさまに神猿は手を抜いていたこともあるけど。


 あくまでも不意の、術による剣気を向けられた場合の対処に、目途が立ったというだけだ。それでも神猿から見て、一定の水準には到達したようだ。


「ふむ、此度はこの辺で良しとしよう」


「あ、……ありがとうございました」


「お主の鍛錬はここでいちど仕舞うが、此度得た勘所はこれからも磨くが良かろう」


 それなりの息抜きになったわ、と笑いながら神猿は薙刀を手から消した。


 こちらとしては死ぬ思いだった。たしかに初めに告げられた通り、ダメージとなることは無かった。それでも身体を薙刀で突き通されたり、斬撃で手足や胴体を斬られた感触は熱として感じられた。


 その感触からは先日明王に襲われた時を思い出し、反射的に死を覚悟するのに十分だった。神猿に護られていたからだろう、実際には熱を感じたのみだったが。


「お主が武を得たら、いつでも拙者のところまで参るが良い。お主なら息抜きがてら揉んでやろう」


「今回は本当にありがとうございました」


 果たして、俺が何か武術を習うことがあるかは分からない。だがそれとは別に、現実で今回のお礼を込めて参らなければと俺は考えていた。アポ無しだったからな。

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