25.小さく叫ぶ声が聞こえた気が

 バイトが上がったタイミングが重なったため、志藤と山崎は駅まで一緒に移動していた。道すがら山崎が話題を振り、志藤に渋谷を案内させることを約束した。


「山崎さぁ、べつに渋谷にこだわらなくてもいいんじゃないの?」


「えぇ? でも行ってみたいのは本当なんやけど。私、まだ東京に友達そんないてへんし、遊びに出たりして積極的に外と関わらんと、ぼっちになってく気がするんやわ。まずは渋谷で情報収集や、情報収集」


「……なにその、危機感? 焦りすぎなんじゃないの。学校で同級生と上手くいってない訳でも無いんだろ?」


「そんなん失敗とかしてへんけど、こっちの言葉やと何となく距離を感じるんやわ。ただの気のせいとか慣れや思うんやけどな」


 山崎の様子について、当初は浮足立っているかも知れないと思っていた。だが話を重ねると、地元から引っ越してきて知り合いが減ったことを気にしているようだ。


 彼女は、孤独感の裏返しであがいているのかも知れないと、志藤は思った。


「でも知り合いがほぼ居ないような所に越してきたなら、他人との距離感とか多少は仕方ないんじゃない? ――知り合いといえば」


「うん?」


「バイトの辻先輩も関西弁を喋るんだけど、はじめは山崎と知り合いかと思ってたんだ、おれ」


「辻先輩て、あのロックやってそうな雰囲気あるひと?」


「やってそうじゃなくて、バンドでギターやってる。こんどライブやるみたいだ」


「何それ、行きたいんやけど! 渋谷かな? 下北沢? なあ、しどくん、一緒に行かへん?」


 ここまでの話が無かったなら恐らく志藤は、辻と付き合い始めたという赤井あたりに山崎を任せたかも知れなかった。だが多分、いまの山崎にとっては一人でも多くの仲間がこの土地で欲しいのだろうと思う。


 そう思ってしまった志藤は、いいよ行こう、と応えていた。




 駅までたどり着いた志藤と山崎だったが、山崎が駅周辺の商業施設に行きたいと言い出した。彼女に何だかんだで誘導され、志藤は同行することになった。その道すがら、不思議な踊りをする集団に遭遇した。


 人数でいえば十名強程度か、全員が黒ずくめの服装で、顔には白いドーランを塗っていた。さらに特徴的なのは全員がスキンヘッドだったことか。


 駅に接続する高架歩道の一角で、彼らは踊っていた。ややペースを落とした阿波踊りのような振り付けで身体を動かす者がほとんどだったが、中にはブレイクダンスを踊る者も数名いるようだ。


「なにあれ? 路上パフォーマンスなん? 行ってみよう」


「お、おう」


 まばらに集まり始めた通勤客交じりの人垣に加わると、踊る集団は口々に声を上げている。


凍土期とうどき!」


「融けろ!」


「凍土期!」


「融けろ!」


 独特な雰囲気の中で男たちは時折、背後に置かれた保冷バッグから取り出したかき氷のアイスを、交代で一気食いしている。見物している者の中には、アイスの一気食いに対して拍手する連中も出てきた。


 志藤はなぜか、以前動画サイトでみたバリ島のケチャダンスが脳裏によぎった。


「なあしどくん、この辺てああいう部族いてるん?」


「いや、……俺も初めて見る」


 似たようなことを考えていたのか、山崎がそんなことを言った。それにしても凍土期か、とおもう。


 この国で凍土期といえば、就職凍土期のことを指すだろう。一九九〇年ころ、それまで好景気だった日本は様々な資産の価格が暴落し、歴史的な大不況に突入した。


 経済活動は極度に停滞し、それまでの好景気で支えられていた設備投資や人件費が企業の重荷に変わった。その結果労働市場で激しい解雇が広がり、それによる人材不足でブラック企業が急速に増加したのだ。


 その影響は就職活動にも影響した。有効求人倍率は軒並みいちを大きく下回り、人材のミスマッチが国全体に広がったのだ。その就職市場の状況をメディアが就職凍土期と呼び始め、世間に広まった。


 安定した職を得ることができなかった当時の若い世代はその後の人生設計を立てることもできず、自らの家庭を持つことができない時代が続いた。それは後に、今も続く少子化の原因の一つとなり、この国の経済的な成長を押し留める影響を今も及ぼしている。


 当時を知る志藤の親は、家を継いで商店を経営している。だが、親が凍土期を語るとき、その眼には悲嘆が込められていることを、志藤は知っていた。


 親が大学で共に経済を学んだ友人の一人は卒業後に遠洋漁業の仕事に就き、その後は非正規の仕事を重ねて今では連絡がつかないという。そんな話は、この国のどこにでもあるのだと、嘆息して親が語った記憶があった。




 志藤は眼前で繰り返されるパフォーマンスを見ていたが、それを囲む人垣にはスマホのカメラを向けて動画撮影している者が居ることに気づく。


 スーツを着ている者や普段着を着た者に交じって、集団の関係者だろうか、スキンヘッドの者が数名散らばって同じように撮影している。


 スキンヘッドの撮影者を観察すると、志藤は違和感を覚えた。通行人の撮影者はその表情に好奇心が見られるのに、彼らからはそれを感じない。


 好奇心ではない。怒りではない。喜悦ではない。彼らの目の奥にあるものを想像すると、それはある種の諦観であるとか、執念であるように志藤は感じられた。


 踊る連中に視線を移すと、アイスの一気食いをしている最中の者を含めて全員が同じ表情をしていた。それに気づいた志藤は、反射的に全身に寒気を覚えた。


「……なあ、そろそろ行こう」


「ん? そやね」


 山崎の耳元でそう告げて、二人でその場を離れた。少し歩いたところで志藤が振り返ると、遠くの方から足早に人垣に向かっていく警官の姿が見られた。




 店での仕事の合間に俺は、頼みがあると浅菜と子安さんに声を掛けた。照汰の友人である巻倉に付き添い、先の寺宝盗難事件に関わっているかも知れない集団と接触する件だ。


 相手が呪法を使う者たちであるので、浅菜と子安さんにおまじないをして欲しいと思ったのだ。より正確には、彼女たちを介して神格の助力が欲しかった。


 カフェの客が少ないタイミングで彼女らを呼び、かいつまんで事情を説明した。辻の友人が呪術を使う集団を訪問するので、辻と俺と三人で行くのだと告げたのだ。


「話はおおよそ分かったわー、辻くんと、そのお友達のために店長が同行するのねー」


「僕も分かりました」


「その上でひとつ確認しておきたいのだけどー」


「何でしょうか。話せることなら全てお話します」


 二人とも、俺が助力を求める状況は理解してくれたようだ。その上で子安さんは確認したいことがあるようだが、巻倉の扱う情報を考えれば話せないこともあった。


「辻くんのお友達って、男性、女性、どちらかしらー?」


 カエルをにらむ蛇のような謎のプレッシャーを子安さんから感じた。


「その質問て、大事なんですか?」


「あたりまえでしょう? ねー」


 そう告げて子安さんは浅菜に同意を求める。浅菜の方を観察すると、一瞬固まったようだが、ゆっくりと首を縦に振った。二人とも、辻と付き合い始めた赤井を気にしているのかも知れない、と思う。


「巻倉くんていう男性ですよ。けっこうブラックな職場らしくて、照汰と同級生って話なのにずい分くたびれた感じでした」


「ほんとかしらー?」


「本当ですよ? 何だったら、赤井を同席させた状態で照汰に確認してくれてもいいですけど」


 俺の表情をじっと伺いながら、子安さんは返答内容を吟味していた。やがてひとつ頷くと微笑んで、いいわ、と告げた。




 そのあとすぐ、事務所で二人におまじないを施してもらった。子安さんのものを目にするのは今回で二度目だが、浅菜の扱う初見の儀式は非常に興味深かった。


 浅菜を観察する限りでは、手のひらに極小の神殿というか祭壇の類いを気功の技術で用意し、仙道に由来する祭句で五行の気を扱う術のようだった。『水生木』と言っていたから、五行の相生そうしょうで増益をもたらすのだろう。


「ありがとうございました、うまく言えないけど気が楽になったというか。無事に行って帰ってこれそうな気がします」


「どういたしましてー」


「お粗末さまでした」


 浅菜の言葉に、以前マアトの前で天使召喚を行ったときの、自身の言葉を何となく思い出した。


「それで店長、お礼はしてくれるのかしらー?」


「もちろんいいですよ、何がいいですかね」


「“私は”スイーツがいいかしら。でも旦那様がいる身ですから、何かおいしいものを差し入れしてくれたらいいわよー、“私は”」


 子安さんはそう言って、ちらちらと浅菜に視線を送っていた。送っていたのだが、その表情は笑顔なのに、目は笑っていないようだった。何かあったのだろうか。


「ぼ、僕も何かおいしいものが食べたい、かな……」


「おいしいものか、構わないぞ」


「だったら、店長、ごはん、一緒に、行きま、せんか」


 何か浅菜は大きな声を出しているわけでは無いのだが、一句ずつを区切って告げていた。


「ああ、女の子が気に入るような店とか詳しくないけど、それでよければ行こうか」


「それで、お願い、するよ」


 浅菜の語調が微妙にいつもと異なるが、無理を言って仙術を使わせた反動でも出てしまったのだろうか。浅菜の隣では、子安さんがにこにこにこと、ご機嫌な様子で微笑んでいた。


「そういえばー、店長たちは辻くんのライブに行くのかしらー? 今回の令ちゃんへのお礼は、時間を作ってそれとは別にしてあげなさいねー」


「そうですね。そうしますよ」


 まあ、子安さんから言われるまでもなく、そんなしみったれたことは元からするつもりは無い。そもそもライブ行きは俺が誘われた話だし。お礼はきちんとしないとな。


 その時だれの声か――赤井かも知れないが、事務所の外の厨房の方で、よーしよしよしと小さく叫ぶ声が聞こえた気がした。

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