22.何ともなしに迷子のネコを歌う歌
どちらともなく、エスニックな料理が食べたいねと言い出した結果、浅菜と赤井はベトナム料理店に居た。今日はふたりで新宿まで来て、駅周辺のショッピング施設をひやかしていた。その道すがらだ。
二人はフォーと生春巻きを頼み、それを堪能していた。温かい鶏だしの澄んだスープはレモングラスの酸味と合わさり、米粉の麺の歯ざわりにさっぱりとした味わいを与えている。生春巻きにしても、ぷりぷりのエビと生春巻きの食感に甘辛いタレが組み合わさって、口の中からベトナムの風景が広がってくるようだった。
昼を食べ終えた後、二人は店の近くのビルの谷間にある小さな公園で一休みしていた。ベンチに座り、おいしかったねえなどと話していたのだ。
「
「うん、そうよ」
「普段どんなところにデートに行くんだい?」
「デートかぁ……デート……」
「ど、どうしたの?」
「いや、デートっていうとビルの高層階とかにあるレストランに、とか。そこまで上級国民ぽくなくても、フレンチやイタリアンのいい感じの店に行くイメージあるかもでしょ?」
「ど、どうなんだろう?」
「まあ、あたしたちにそういうの『無いかな』ってふと思っちゃって」
「肩ひじ張ってるのが嫌、みたいなのかな?」
「そうかもね。気軽にふたりで出かけたり、ぼけぼけっとふたりで公園で過ごしたり、つるんでふたりで買い物したり、互いにお泊りしたり。付き合い始めだからかもしれないけど、そういうのでいいかなって思うのよ」
そのとき浅菜は密かに、神速で脳内に赤井の発言をメモしていた。なにか本人にとって、得るものがあったのかも知れなかった。
「そういうのって、恋人っていうよりは、夫婦みたいだね」
「どうなんだろ。しばらくあたしも照汰くんも結婚するつもりは無いけどね」
「そうなんだね」
ところで、と赤井が告げて、何かを絡めとるような怪しげな笑みを向けながら問いかけた。
「
「はて、……店長?」
「いーまーさーらー、とぼけてとぼけ切れるとか思ってるんじゃないでしょうね、どこをどう転がして叩いて伸ばして膨らませても、
「み、みんな?」
「あたしらのバイト先のみんな!」
「みんな……」
「
「……」
「令ちゃん?」
浅菜は表情を含め、身体が固まっていた。パントマイムの一種かと思うくらいには動きが見られなかったが、やがて顔を赤らめてから視線を下げた。
「そ……」
「そ?」
「うー、ええと。別にみんなにバレてたのなら、いいや。それなら、店長とか僕をどう……見てたのかな?」
はああああ、と長い溜息をつきながら、赤井が眉間を押さえた。
「それ、あたしに聞いちゃうの? ちょーっと冷静に考えてみなよ、客観的な第三者が令ちゃんと同じような立場になったとして、気持ちを確認すべき相手はだれでしょーか?」
「です、よね」
「もう、動揺しすぎじゃない? 中高生の小娘じゃ無いんだから、いちいちそんなことで構えちゃ駄目くない?」
それでもまだ、恋愛のIQは中高生女子の方が高いかも知れないと、赤井はじとっとした目で浅菜を眺めた。
「前にね、子安さんが言ったのよ。あなたが学生だったころ、あだ名なんかで親しく呼んでた相手が男女問わず居たでしょうって。それでね、その大切な人たちのうち、いまも繋がりがある人はどれくらい居るのかしら、って」
「どれくらい、か」
「うん。年を経るごとに古い縁はどんどん
「……」
「あたしは、その言葉に背中を押されたと思ってる――ほんとうにね。令ちゃんはどう? それこそ、あの人が倒れたとき、どう考えてたのかな」
うん、と浅菜はひとつ頷いて顔を上げる。その表情は、穏やかに凪いでいた。
「僕は、従治さんとの縁を失くしたくない」
「ふふ、もう答えはあるじゃない」
もう彼女は迷うことは無いだろう。赤井はそう思う。
「あとは具体的な作戦だけど、あたしで実績がある奴があるわ。聞きたくない?」
「聞きたい……」
「そういうのは一足飛びで
「誘うかぁ……」
「うん、しかも令ちゃんの場合、あたしがお膳立てしてあるから、『こんどは』って魔法の言葉を使えるっしょ」
赤井の言葉は、次の辻のライブに守谷と一緒に行くことを思い出させた。あるいは初めから、自分の背中を押すつもりだったのだろうかとも思う。
「辻くんのライブに行く件だよね?」
「そこで仕留めなさい、とは言わないけど、失くしたくないものは掴み取らなきゃだめじゃん」
そう告げて赤井は右手の親指で、自身の首を掻き切る動作をする。浅菜は思わず苦笑いを浮かべた。
「そうして、二人で気軽に遊びに行く回数を増やして外堀を埋めるの」
浅菜は何となく赤井の言葉の向こうに、同じセリフを告げる子安の姿を見た気がした。
「大丈夫、あたしも言われてたけど、令ちゃんとあたしはうちの店の奥様ズがバックアップしてくれるらしいから」
浅菜は正式な名をとっさに思い出せなかったが、ドラクロワの“民衆を導く自由”よろしく『勝利』と朱書きされた旗を、奥様方を率いて掲げる子安の姿を幻視した気がした。
「――分かったよ」
「気負う必要は無いから、まずは遊びに行く約束をしてみて」
うん、と頷く浅菜だった。
ふと、自分たちが座るベンチの前に、いつの間にか茶トラ柄のネコが佇んでいた。一瞬浅菜の方を見た後に、赤井に視線を向けている。首輪をつけているから、どこかの飼い猫かも知れない。ネコは細い声でにゃあと鳴いた。
「この子、『おうちがわからない』って言ってる。おいで」
ネコは迷うことなくベンチに上り、赤井にもたれかかった。赤井は首輪を調べていたが、連絡先と思しき電話番号と、アルファベットでネコの名前がプリントしてあるようだった。
「連絡先が書いてある。ちょっと電話するね」
そう告げて赤井はスマホを取り出し、さっそく電話をかけ始めた。幸いすぐに連絡がとれたが、先方も探していたようで直ぐ話が通った。
「
「うん、はやく連れて行こう」
「おなかすいたねー、おうちかえろうね」
赤井の言葉にネコはまたにゃあと細く鳴き、おとなしく抱えられた。
浅菜は何ともなしに迷子のネコを歌う歌を思い出した。そして自分もまた目の前のネコのように、赤井に助けられたのだという考えが浮かび、思わず笑みがこぼれた。
その名前を見るのは、本当に久方ぶりだった。昼休憩のときにスマホを確認したら、良く知った名前からメールが入っていたのだ。メールの末尾には“Dan”と書かれていた。
用件としても初めてかも知れない。俺の親から倒れたことを知ったことや、いずれ俺を訪ねるということだった。メールの主は、俺に魔術を叩き込んだ師匠だった。
師匠の本名はダニエル・アレックス・ブラックで、普段はダンと名乗っている。俺が高校受験するころから、高校を卒業するまで英語を習った。そのついでに、俺に魔術を教えてくれたのだ。そして、俺が高校を卒業し地元を離れてからは、大学生のあいだ四年ほどは生命の樹を使った魔術的空間で指導をしてくれた。
師匠を一言で語るなら、“変人”という言葉で済む。だがその来歴に関してはどこまでが本人のネタなのか判然としない部分がある。
「従治にはボクの過去を調べられる技術を教え込みましタ。だから、ボクの経歴について語ることは、全て事実デス」
そんなことを言っていたが、底意は知れない。だって変人だし。
彼は英国人で元軍人だ。通信兵をしていたが三十代半ばで退役し、その後は通信などの諜報活動を担う組織に転職した。
転職先もある意味ぶっ壊れてる諜報機関で、家庭用ゲーム内に求人広告を掲載した実績があるという。そこを数年で休職し、ゲームやオタク文化に憧れて来日した。日本では英語を教えながら数年を過ごした。
来日後に友人の米国人のオタクから、お決まりのように『ニンジャはもう居ないよ』と言われ、リアルに膝から崩れ落ちたそうだ。しかし縁があったのか、忍術を源流に持つ古武術がある事をどうにか調べ、俺の故郷でその道場に通った。同じ道場で習っていた俺の父とは、そこで友人になったそうだ。
「店長、何や顔色良くないですけど、すんません。ちょっと相談したいことがあるんですけど」
「照汰か、大丈夫だよ。相談って何かあったのか?」
「こないだの調査の依頼主、ぼくの高校のときの同級生ですけど、そのあとどうなったかを含めて、いちど直接話したいみたいなんです」
副業の話だった。報告済みだが、俺は個人的にひっかかっていた部分があったので、照汰の友人に会うことを快諾した。
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