35.大した強さでもないその一撃は
そろそろ帰宅時間帯かと時計を見てから厨房で俺が食器を片付けていると、店の電話が鳴った。客対応をしていた訳ではないので電話に出ると、通話の相手は
清麻は
そして本題として、渋谷を散策中に白狐が山崎に降りてきて、スクランブル交差点でのパフォーマンスの背後に起きていること知ったという。そこで電話は山崎に変わった。
「仕事中すんません、店長、いま時間大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、どうしたんだ?」
「実は稲荷さんが私に入ってきて、スクランブル交差点で龍を見つけたんです」
それって位置ゲーの話じゃ無いんだよな、と突っ込みを入れたくなったが、取りあえず俺は我慢する。
「龍って、ドラゴンてことか?」
「ええと、東洋の龍です。細長いやつです。稲荷さんは“三嶋の龍”とか呼んだはりました」
「なるほど、三嶋の龍ね。それから?」
三島大明神の名は先日の巻倉からの説明で聞いている。なにか核心に迫ることに山崎は触れたのだろうか。
「稲荷さんが『神無き祭はどういうことだ?』って聞かはったんですけど、龍さんが『これは先触れで、開けない冬や夜は無く、自分は世に義をもたらすのを助けるんだ』とか言うたんです」
「……ほかには?」
「『それじゃあどこに神さまは居るんだ』って稲荷さんが聞かはって、『
「そうか……。他には何かあったか?」
「ええと、最後に龍さんが大笑いしながら空にあがって、南の方に光りながら飛んでいきました」
「大笑いって……まあいいか。『港』と『南の方』ってことだと横浜とか思い浮かぶんだけど、稲荷さんは何か言ってたか?」
「それは何も。『あやつに違わず伝えよ』って言われて、しどくんから店長が祭の情報を集めてるって聞いたんです」
「ああ、すごく助かった。休みなのに悪かった。ありがとうな!」
「いえ、そんなら失礼します」
懸念はあるが、まずは情報を整理して巻倉に連絡をしなければならないと俺は思った。そして、休憩を取っている筈の照汰を探しに、事務室に向かった。
巻倉が辻からの電話を受けた時、都内の
「どうした、何か新しい情報でもあったか?」
「有力な情報かも知れません。知人のツテで、気になる話が有りました」
「また例の店長か?」
「そうです――」
白髪交じりの髪を短く刈り込んだ老年の男の声に、巻倉が応じる。いまでこそ慣れたものの、この
巻倉が辻経由で得た情報を伝えると、河内は一つ頷いた。
「十中八九、横浜だな。あとは
「そうですね、話から判断するに例の凍土期パフォーマンスの動きが鍵でしょう」
「神無き祭、か」
ここ数日で、急速にネット上で影響力を強めているネタがあり、それが『凍土期パフォーマンス』であるとか『凍土期ダンス』と呼ばれていることまでは、巻倉も把握していた。ただ、阿那律院の儀式に連動したものと断ずるには、参加者を統制する者の姿が見えなかったのだ。
「凍土期絡みはネットで状況が動いています。それで、まえに世界遺産絡みで仕事をした関係で、ウェブコンテンツに詳しいエンジニアのツテが複数あります」
「よし、協力を仰げ。横浜と凍土期絡みのネタで関連性をすぐ洗わせろ」
「分かりました」
巻倉の返答に、河内はそれにしても、とつぶやく。
「どうしたんですか?」
「いや、ここへきて店長殿はファインプレー連発じゃねえか。前にも言ったがうちに引っ張れねぇのか?」
「難しいでしょう。今の仕事を気に入ってるようですし」
「そうか……酒か女でも使うかなぁ」
あんたがそういうことを言ってると、筋モンが手管を選んでる
もっとも、口に出せば『俺がその筋か? おまえ東京湾に沈んでみるか?』という類いの(恐らく)冗談が、ドスの効いた声で返ってくるので黙っていたが。
目的の店に二人で向かうと、店に近づくにつれて食欲を根源的な部分で揺さぶる香りが微かに漂い始めた。俺は浅菜を連れて、仕事が上がったタイミングで食事に連れてきていた。先日の仙術を使ってくれたことへの礼で、食事をおごることになっていたのだ。
控えめな店構えの前まで来ると、そこには『うなぎ』と書かれていた。
「店長……ほ、本当にいいのかい?」
「ああ、俺も食いたかったし、久しく来てなかったからな」
浅菜の表情を見れば、遠慮が三割で残りが期待感のようにみえた。まあ、アレルギーとか体質的な問題が無いのなら、うなぎの魅力に抗える者は少数派だろう。以前、ネットニュースで見たのだったか、どこかの学食でカネが無い学生のために“うなぎのたれ丼”を出したら大好評だったそうだ。
俺たちは店員に予約してある旨を伝えると席に案内された。店内にはさらにうなぎを焼く匂いが満ち、食欲への圧力は凶暴なものになりつつあった。
「そういえば、うなぎで面白い話があるんだが」
「どんなのだろう? 教えてよ」
「ああ、さいきん三嶋大明神を調べることがあったんだが、静岡に三嶋大社って神社がある――」
三島市にある三嶋大社は、
そして三嶋大社ではうなぎを神の使いとして境内の池で育てていたが、これを食べるとバチがあたると言い伝えがあった。徳川の将軍の名のもとに、このうなぎを食べた者を打ち首にした記録があるという。
ところが明治維新後、薩摩と長州の兵が言い伝えを知らず、このうなぎを食べたそうだ。その結果バチは当たらず、地元の者も食べるようになったらしい。
「――なんというか、『おいしい』は理不尽だねぇ」
「ホントな」
そんなことを話していると、待望のうな重が運ばれてきた。踊る気持ちを抑えつつ、ふたを開け、お吸い物を啜ってから至高の時間を堪能した。外はぱりぱりで炭の香りが残ってるところにタレの味が飛び込んできて、噛み締めればふっくらした身が言葉を超えて俺たちの味覚を満たした。ごはんもお米が立ってるし。
「おいしいねぇ」
「ああ、食べようぜ」
俺たちは、食べ終えてしまえばもう終わりなのかと思うほど、あっという間に食事を済ませた。
うなぎ屋から夜の街に出るが、思わず先ほどまでの味を脳内で反芻してしまう。
「どうだった? 気に入ってくれたなら良かったんだが」
「いやもう、最高」
浅菜は喜色をにじませながら、俺にサムズアップして見せた。いや、ほんと旨かったもんな。
「そりゃ良かった」
「ところでさ、さっきの店長の話で気になったことがあったんだ」
俺たちは二人で夜道を最寄りの駅まで歩いていた。
「ん? どうした」
「最近、三嶋大社について調べたって言ったじゃない」
「……ああ」
「店長、また面倒なことに関わってないかい?」
浅菜の問いには、そんなことはないと応えて済ませればと一瞬脳裏によぎった。だが、そのとき俺は彼女の目を見てしまった。そして、その奥にある感情を思い、俺はごまかすことが出来なくなっていた。
「そうかも知れない」
「僕は、……僕は“従治さん”を失いたくないよ」
「はは、……メシとか奢れなくなるもんな」
いつしか俺は立ち止まって、浅菜に向き合っていた。彼女の表情は穏やかに凪いでいる。
次の瞬間、俺の腹に『ぽふ』という感じで掌底がうちこまれた。大した強さでもないその一撃は、以前俺が退院したときに喰らったそれを思い出させた。
「僕が力不足なのはわかっています。でも、どんなに小さなことでも相談してほしいよ」
最後は絞り出すような声で、浅菜は告げた。
「そうだな、ごめん。……ありがとうな」
彼女をはじめ店のスタッフには助けられているけれど、彼らに向ける気持ちを少しだけ超えて、俺は浅菜に感謝を伝えたかった。
「それで、今日はお前への礼なんだし、そんな顔で帰すのも申し訳ない。――だから、そうだな、すこし遊んでいこうか。ビリヤードとかどうだ?」
俺の腹に打ちこんだ彼女の手をゆっくりと両手で取って、告げた。
浅菜はようやく微笑んで、うん、と頷いた。
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