貴志くんの弟

 瑠偉くんがスミレ荘に遊びに来てから数か月後、新たな訪問者が現れた。

 夏の終わりを感じさせる、爽やかな風が吹く日曜日のことだ。


 わたしが外出先から帰ってくると、貴志くんの部屋の前に男の人がしゃがんでいるのが見えた。うつむいているので顔はよく見えない。


 前を横切りながらチラチラ見ていると、わたしに気づいたのか男の人が顔を上げた。


(なんだか貴志くんに似てるような……)


 思わずじっと見つめていると、彼は決まりが悪そうに立ち上がった。

「すみません、こんなとこに座っちゃって。兄に会いに来たんですけど留守みたいで」

 

「もしかして、みなとくん?」


「えっ、なんで僕の名まえ」


「たか……お兄さんに教えてもらったの」


「そうなんですか。兄がいつもお世話になってます」


「いえいえ、こちらこそお世話になってます」


「ずっとメッセージ送ってるのに、全然既読にならないんですよ」


「今日は打ち合わせだって言ってたから、スマホ見てないのかも。よかったら、うちで待ちませんか?」


「いえ、もう少しここで待ってみます」


(遠慮してるんだろうけど、ずっとこんなところで待たせるのもなあ……そうだ!)


 わたしは貴志くんにメッセージを送った。

『湊くんが部屋に入れなくて困ってるから、中で待っててもらうね』


 これでよしっと。うふふ、やっとこれを使えるときがきた!

 わたしはウキウキと合鍵でドアを開けた。


「さあ、入って入って。ずっと外にいたから喉が渇いたでしょう。飲み物用意するから、その辺に座っててください」


 湊くんはローテーブルのそばに座り、落ち着かない様子で部屋の中を見回している。


(部屋に来たの、初めてなのかな。会ったことないもんね)


 冷蔵庫を開けると、牛乳と麦茶しかなかった。

「麦茶でもいいですか?」

「はい」

「やっぱり、うちからジュースでも持ってきましょうか?」

「大丈夫です!」 

「そうですか?」


 テーブルに麦茶と氷を入れたコップを置くと、湊くんはゴクゴクと飲み干した。


「おかわりしますか?」


「いえ、ありがとうございました。それより、あの、違ってたらすみません。もしかして、兄と付き合ってたりします?」


 これ、答えていいのかな。いいよね。目の前で合鍵使っちゃったし。


「はい。お付き合いしてます」


「やっぱり! じゃなきゃ合鍵なんて渡さないよね。兄ちゃん、小説にしか興味がないと思ってたのに! あ、じゃあ、もしかして兄ちゃんと一緒に古民家カフェに行ったことある?」


「はい。店長さんがお母さまのお友達でしたよね」


「そうそう。僕もときどき食事に行くんだけど、兄ちゃんが隣の子を連れてきたって聞いたから、てっきり子どもと来たんだと思ってた」


「まだ中2だったから子どもに見えたのかな」


「中2⁉」


「あっ、そのときはまだ付き合ってなかったですよ」


「ああ、びっくりした。そうだよね。さすがに中2はないよね。はは」


「ちゃんと付き合うことになったのは15歳になってからなので――」


「犯罪じゃん!」


「違います! 極めて真面目な交際です。ちゃんと母の許可ももらってますから」


「ええっ、よく許可してくれたね。15歳でフリーターのおっさんと付き合うなんて、普通なら反対するでしょ」


「貴志くんはおっさんじゃないです! バイトはしてるけどちゃんとした小説家だし、本だって売れてるんだから!」


「悪かったよ。そんなにムキになんないで。ほら、これだって母さんに無理やり持たされたんだ」


 湊くんの持っていた袋の中には、貴志くんの本がたくさん詰められていた。


「知り合いに配るからサインもらってこいってさ。うちの本棚だって、兄ちゃんの小説と原作の漫画がずらっと並んでるんだよ」


「そうなの? お父さんが反対してるって聞いたけど」


「最初はね。でも、最近はそうでもないと思うよ。こないだも、こっそり兄ちゃんの本読んでたし。僕に見られたもんだから『くだらないな』なんて言ってたけど、あれ最新刊だったんだ」


「ほんと!?」


「素直じゃないよね」


(良かった。お父さん、貴志くんのこと認めてくれてたんだ)


「そのこと貴志くんに教えてあげてね。絶対喜ぶから」


「うん、そのつもり。いい加減、仲直りして欲しいしね」


 そのあとは、貴志くんの子どもの頃の話を聞いたり、スミレ荘の住人の話をしたりして、楽しい時間を過ごした。


 二時間くらい経った頃、貴志くんがゼエゼエと息を切らしながら帰ってきた。


「おかえりなさい」

「おかえりー」


「お、まえ、なんで、急に来てんだよ」

「ちゃんと連絡したよ。そっちが無視するからいけないんだろ」

「しょうがないだろ。仕事中だったんだから」


「まあまあ、ちょっと座ったら? 貴志くん、走ってきたんでしょ。麦茶飲む?」

「うん、飲む」


 貴志くんがぐびぐびと麦茶を一気飲みした。

 さすが兄弟。飲み方までよく似てる。


「葵ちゃんのメッセージ見てびっくりしたよ。ごめんね、葵ちゃん。こいつの相手してもらって」


「いいのいいの。貴志くんの色んな話が聞けて楽しかったし」


「え、何聞いたの?」


「小さい頃、鉄棒から落ちて骨を折った話とか、プールで溺れそうになった話とか」


「湊! おまえ、変な話ばっかりするなよ」


「べつにいいだろ。彼女なんだし」


「なっ、なんで知って――」


「ごめん。聞かれたからわたしが話したの。言っちゃダメだった?」


「いや、そんなことないけど」


 貴志くんは、しばらくわたしと湊くんの間でオタオタしていた。


 その夜、二人にはうちで晩御飯を食べてもらった。お母さんは湊くんと会えたのが嬉しかったのか、「彼女はいるの?」「お仕事はどう?」などと質問責めにして困らせていた。


 今日は貴志くんの部屋に泊まると言って、二人は帰っていった。

 お父さんが自分の本を読んでるって聞いたら、貴志くんどんな顔するかな。





 

 



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