隣の葵ちゃん(貴志視点)

 あおいちゃんがこの春、中学生になった。

 初めて会ったときはまだ小学5年生だったのに、あれから2年も経つのか。


 濃紺のブレザーの制服に身を包んだ葵ちゃんは、ドキッとするほど大人っぽく見えた。短く切り揃えていた髪も、鎖骨のあたりまで伸びている。


 葵ちゃんのお母さんもきれいな人だから、将来は美人になるだろうと思ってたけど、成長が早すぎないか!?


 制服のスカートから伸びた真っ白な脚がまぶしい。今まで何とも思わなかったのに、制服を着たとたんに気恥しくなるのはなぜだろう。


 もしかして、僕は制服フェチだったのか? いやいや、今までそんな性癖はなかったはずだ。

 しっかりしろ、貴志! 葵ちゃんはまだ13歳だぞ。

 だいたい、僕はロリコンではない。高校生のときに同じクラスの女の子と付き合ったことだってある。まあ、キスもしないうちに愛想をつかされたけど。


(貴志くんと付き合ってもつまんないって言われたな。ハハ……)


 今は彼女もいないから、変な誤作動を起こしてるだけ。うん、きっとそうに違いない。


 葵ちゃんはベンチから立ち上がり、くるりと回ってみせた。

「どう? 似合う?」


 笑顔がキラキラと輝いてみえる。

 またしても誤作動!


「うん。似合ってる。ブレザーだと大人っぽく見えるね」

 僕は何気ない振りをして答えた。


 *** 


 葵ちゃんとお母さんは、引っ越してきた日にふたりで挨拶に来た。


「隣に引っ越してきた香坂こうさかです。これつまらない物ですが」

「わざわざすみません」

「こっちは娘の葵です。ほら、ごあいさつして」

「香坂葵です。小学5年生です」

「こんにちは。美作みまさか貴志たかしです」

「貴志くん?」

 

 いきなり子どもに名まえを呼ばれて、びっくりした。


「え、うん」

「葵、年上の男性をいきなり名まえで呼ぶのは失礼よ」

「そうなの? 貴志くんって呼んじゃダメ?」


 葵ちゃんは大きな目で僕を見上げた。

 子どもだからか、白目がうっすらと青みがかっている。


「ううん、いいよ。じゃあ、僕も葵ちゃんて呼ぶね」

「うん!」


 実を言うと、僕は子どもが苦手だ。バイト先のコンビニでも、走りまわったり商品を雑に扱ったりする子どもを見ると腹が立つ。

 だけど、葵ちゃんのことは不思議と受け入れられた。その後も、うるさいとか図々しいとか感じたことは一度もない。


「すみませんねえ。美作さんは学生さんかしら?」

「あ、いえ……コンビニでバイトをしながら、その……」


 小説家を目指してる。


 このひと言がなかなか言えない。

 相手の反応が怖いのだ。

 だが、ふたりとも僕の言葉を待っている。

 僕は勇気を出して言った。


「しょ、小説家を目指しています!」 

「あら」

「わあ」

「「素敵!」」

 と、ふたりは声を合わせた。


「お隣が作家さんなんて嬉しいわあ」

「いえ、まだそんな」

「図書館で読めるかなあ」

「いや、だからまだ」

「楽しみね~」

「ね~」


 なんだ、この母娘おやこ。マイペースにもほどがある。変に構えていたのが馬鹿みたいだ。

 思わずフッと笑うと、つられたように彼女たちもフフフと笑った。


 その後も、料理をごちそうしてもらったり、伸びた髪を切ってもらったりと色々と世話になっている。


 今まで、アパートの住人と交流したことなんてなかったのに、この母娘は僕の作った壁を軽々と越えてくる。特に葵ちゃんは、僕の夢を積極的に応援してくれるので、その気持ちが嬉しかった。


 ***


子どもの頃から、作文を褒められることが多かった。作文コンクールで賞を取ったことも何度かある。


 ――すごいね! 貴志くん、小説家になれるかもね。

 ――芥川賞とか受賞したりして。


 みんなに持ち上げられてすっかりその気になった僕は、家でこっそりと小説を書いてみた。


 なんだこれ、楽しい!

 

 今思えば、心にたまっていた思いを吐き出しただけの雑文だが、それ以来、僕は勉強の合間をぬって小説を書き続けた。


 高校を卒業すると同時に家を飛び出し、ひとり暮らしを始めた。

 これからは誰にも遠慮せずに小説が書けるし、時間だってたくさんある。きっと輝かしい未来が待っているはずだ。そう信じていた。


 だが、出版社のコンテストはどれも落選。一次選考すら通らなかった。


(なんでこんなのが受かって、僕のが駄目なんだ!?)


 最初は審査員の目を疑った。

 だが、何度も落選するうちに、僕には小説を書く才能がないんじゃないかという恐ろしい考えが芽生え始めた。

 不安が黒いもやのようにまとわりつく。


 勉強のために、名作と呼ばれる小説やベストセラーの小説を片っ端から読んでみたが、自分の書いたものが駄作だと気づかされただけだった。

 

 そうして、僕は小説を書くのをやめた。


 バイト先のコンビニとスミレ荘を往復するだけの日々が続く。


 何のために家を出たのか。これから、どこに向かって進めばいいのか。

 夢を見失った僕は途方に暮れていた。


 そんなとき、葵ちゃんに言われたんだ。


「中学生が主役の小説を書いてほしいの。できれば夏休み中に」

「そんな簡単に書けるわけないだろ!」


 唐突な申し出に動揺した僕は、つい声を荒げてしまった。

 あのときの葵ちゃんの表情が忘れられない。


 きっと傷つけちゃったよなあ。

 大人げない自分が情けなくなる……。


「よおし!」 

 僕は、自分の頬をバチンと叩いた。


「どうせ葵ちゃんしか読まないんだから、がんばってみるか」


 べつに主役は女の子じゃなくてもいいんだよな。中学生の男の子なら、やっぱり冒険ものか? 友だちと旅に出て、謎の美少女に出会うとか。いや待てよ、タイムリープとかも面白そうだな――。


 なんだかワクワクしてきた。

 次々と想像の扉が開いていく。

 自分の世界がぐんと広がった気がした。


 出来上がった小説を、葵ちゃんは目を輝かせて「面白かった」と言ってくれた。

 そのひと言が、自分でも驚くほど嬉しかった。


 やっぱり彼女は素敵な女の子だ。僕に大切なことを教えてくれる。


 だけど、だんだん大人に近づいていくきみは、いつまでこんな僕のそばにいてくれるだろうか。








 



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