スミレ荘の平和

 その日の夜、仕事から帰ってきたお母さんに、貴志くんに助けてもらったことを報告した。


「親切な人がお隣で良かったわねえ。一緒にお礼を言いに行こうか」

「うん」

「あ、でも、持っていく物が何もないわ」

「お母さんの料理おいしいから、何か作ってあげたら?」  

「えー、いまどきの子が手料理なんて喜ぶかなあ」

  

 そう言いながらも、お母さんは急いで料理を何品か作り、それを持ってふたりでお礼に行った。


「今日は娘を助けていただき、本当にありがとうございました。あの、これ良かったら食べてください。わたしの手料理なんですけど……」

 

 お母さんが料理の入ったタッパーを差し出すと、「いいんですか!?」と貴志くんの目が輝いた。


(喜んでる!)

 わたしとお母さんは顔を見合わせてニヤニヤした。


 それからもちょくちょく料理を持っていったけど、貴志くんはいつも嬉しそうに受け取ってくれた。

 タッパーを返しに来るときも、最初は「ごちそうさま」のひと言だけだったのに、だんだん「美味しかった」とか「これ好きだった」とか、料理の感想を言うようになった。すごい進歩だ。


 こうして、わたしたちは当たり前のように部屋を行き来するようになり、ただのお隣さんから親しいお隣さんへと変わったのだ。


 ***


 貴志くんは、よく庭のベンチに座ってぼんやりしている。

 2階に越してきた佐伯さえき理香りかさんは、そんな貴志くんをあやしい人物だと思っていたようだ。


 ある日、理香さんが貴志くんを問い詰めている声が窓の外から聞こえてきた。


「いつもここに座って何してるんですか?」

「……べつに何も」

「正直、監視されてるみたいで気持ち悪いんですけど」

「そっ、そんなこと言われても、ここは僕のお気に入りの場所だし……」


 ああ、だんだん声が小さくなっていく。がんばれ、貴志くん!

 わたしは部屋の中から無言で応援した。


「女性の入居者もいるんだから、もう少し気を使って欲しいと言ってるんです! 大家さんがそばにいるから安心だと思ったのに、まさか住人にこんな怪しい人がいるなんて。だいたい、なんでいつも昼間っからプラプラして――」


 理香さんがヒートアップしてきた。そろそろ止めないと貴志くんが追い出されちゃうかも!

 わたしは慌てて部屋を飛び出した。


「待ってください! この人、変な人じゃありませんから!」


「え? あら、あなた――」


「確かに怪しく見えるかもしれないけど、いつもここでボーっとしてるのは小説の内容とかを考えてるからで、あ、このひと小説家志望なんです! だから、監視とか待ち伏せとか、そんなことしてるわけじゃなくて――わたしが危ない目にあったときなんか、怖いくせに自分より大きな男の人に立ち向かってくれて、ほんと、いい人なんです! だから、お願いします! 貴志くんを追い出さないでください!」


 頭を下げたとたん、涙がポタポタとこぼれ落ちた。

 ああ、もうっ。貴志くんのことになると、どうして泣き虫になっちゃうんだろう。


「うわぁ、泣かないで、葵ちゃん」

 貴志くんはオロオロして、ジャージの袖でごしごしとわたしの涙を拭いた。


「いたた、痛いよ、貴志くん」

「え、痛い!? ごめんね」


 理香さんはそんなわたしたちを呆れたように見ている。


「……わたしの勘違いだったみたいね。失礼なことを言ってごめんなさい」

 

 貴志くんに謝ると、少しかがんで、わたしの顔をのぞきこんだ。


「ごめんね。追い出したりしないから泣かないで。彼とそんなに仲良しだなんて知らなかったの。もし良かったら、わたしとも仲良くしてくれる?」


(わたしはいいけど、貴志くんは大丈夫かなあ。謝ってくれたけど、あんなひどいこと言った人と仲良くするの、嫌じゃないかな)

 

 チラリと貴志くんを見ると、優しそうな笑顔を浮かべていたのでホッとした。

 大丈夫ってことだよね。


「うん、いいよ」


 わたしたちは仲直りの握手をし、スミレ荘に再び平和が訪れた。

 

 

 



 

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